境界線とルール

第6話

 初めてのメールは、とても短いものだった。


『明日、駅前に1時集合ね』


 夕食を終え、部屋に戻った私を待ち受けていたのは鈴からのメールで、返事がイエスだと確信した文面に思わず吹き出す。放課後の寄り道と同じでとても彼女らしい誘い文句は、鈴を知らない人から見れば不躾なものだったけれど、私はすぐに「わかった」と短く返した。


 毎日一緒に帰って、寄り道をするだけ。

 あの日、鈴はそう言った。私もそのつもりだったけれど、今は休みの日に会うことくらい何でもないことのように思える。


 どうせ、日曜日は何の用事もないから断る理由がないし、彼女の強引さにも慣れている。それに、用事があると言えば、それを受け入れないような相手ではないことも知っていた。


 送ったメールには返事が来なかったけれど、私はそれくらいの手短なやりとりを望んでいるから丁度良い。当たり障りのない言葉で装飾された文章を送り合っていると、いつメールを終わらせていいのかわからなくなって疲れてしまう。だから、鈴の端的なメールは好ましいものだった。


 私はメールを送るという役目を終えたスマートフォンをベッドに放り投げ、机に向かう。開いたままの英語の教科書を睨み、苦手だからと後回しにしていた宿題を片付けていく。


 それから、お風呂に入って、いつもよりも三十分早く寝たのに、翌日起きたのは予定よりも三十分遅い時間だった。でも、目が覚めたのは十時だったから、朝と昼をまとめて一食にしたものを食べてから出かけても、待ち合わせの時間には余裕で間に合った。


「デートコースはクレープ、ケーキ、映画ね」


 駅まで一緒に帰って、別々の電車に乗る私たちがいつもさよならを言う場所。ホームで鈴と出くわした私は、挨拶もそこそこに今日の予定を聞かされていた。


「コースっていうか、ほぼ食べ物の名前なんだけど。それに、甘い物食べ過ぎじゃない?」

「食べたくない?」

「食べたいけど、太る」

「太ったら、痩せればいいんだよ」


 鈴が無責任に言い放って歩き出す。

 私の前で見慣れないチェックのスカートがふわりと翻り、それが制服よりも鈴に似合っていて一瞬目が奪われる。


 どん、と肩に誰かの肩が当たり、当ててしまったのか、当てられたのかわからないまま、すみませんと謝ってから鈴の隣を歩く。


「それ、言うのは簡単だけど、やるのは大変だからね?」

「じゃあ、食べない?」

「……食べる」


 どこで調べてくるのか、鈴が連れて行ってくれるお店で出てくるものはどれも美味しい。食べたいか、食べたくないかで言えば前者に決まっていて、私は増えた体重については今後の課題に回すことにする。


 英語の宿題はやったのかとか、昨日見たドラマだとか。そんな当たり障りのない話をしながら、改札を通って、本来の待ち合わせ場所である駅前へ向かう。


 チェックのスカートにデニムシャツ。見慣れない姿をした鈴の隣には、スキニーパンツにデニムシャツを合わせた私がいる。並んで歩いていると、デニムシャツがお揃いのようにも見えるけれど、鈴は何も言わない。だから、私も何も言わなかった。


 私は、クマのマグカップを思い出す。

 一緒に雑貨屋に行った日、鈴はマグカップをお揃いで欲しいとは言わなかった。些細なことだけれど、私はそんなことを思い出した。


 最初の目的地は街の小さなクレープ屋さんで、私たちは公園でクレープを食べながら、最近聞いた音楽や読んだ本の話をした。喋ることがなくなれば、鈴は無理に話題を探そうとはせずに黙った。それはいつものことで、私も鈴との間に生まれる沈黙は気にならない。


 なんだか胃の辺りが重たかったけれど、それはきっとクレープの生クリームが甘すぎたせいだと思う。チョコバナナを選んだことが敗因で、生クリームにチョコレートがかかっていたのも良くなかった。いつも通り黙り込んだ鈴の側にいることだって気にならないのだから、すべてクレープが悪い。


 心の中でバナナにも、クレープ生地にも文句を言っていると、鈴が次なる目的地に向かって歩き出す。私は、ふわふわの髪の毛みたいにふわりと舞うスカートについていく。


 そうして辿り着いたのは、蔦が絡まった喫茶店だった。

 内装は、入らなくてもわかる。このお店は私が鈴と初めて一緒に来たところで、中にはアンティークの家具が置かれている。

 鈴は店内に入ると、この前と同じ席に座った。


「いちごのショートケーキでいい?」


 メニューを見ずに鈴が言う。


「モンブランじゃないんだ?」


 あの日、鈴がおすすめだと言ったモンブランではなくショートケーキを薦めてきたことを疑問に思い、口に出す。すると、鈴が古めかしいお店の雰囲気を壊さないように静かに笑った。


「ここ、ショートケーキも美味しいの」


 結局、注文は鈴の希望通りのショートケーキと紅茶で、それらはすぐにテーブルの上に並んだ。


 二等辺三角形の頂点のあたりをフォークで崩して口に運ぶと、控えめな甘さが口に広がる。スポンジの間に挟まれたいちごの程よい酸っぱさが、胃の中に溜まっているクレープを溶かすような気がした。


「美味しいでしょ」

「うん、美味しい」


 まるで自分がショートケーキを作ったかのように尋ねてくる鈴に、私は頷く。この自信がどこからくるのか不思議ではあるけれど、確かにショートケーキは美味しくて、私は歪になった二等辺三角形をさらに崩した。


 あっという間になくなっていくショートケーキを惜しむようにゆっくりと味わっていると、目の前に赤い塊が差し出される。


「いちご、あげる」

「それ、ショートケーキのメインだよ」

「ショートケーキのメインはケーキの部分で、いちごはおまけ。だから、あげる」


 いちごはビタミンCが豊富なんだっけ、とこの瞬間には関係のないことを考えながら鈴を見た。けれど、その前に催促するようにぐるぐる回されたいちごの先端が目に映り、私はフォークに刺さったいちごに齧り付いた。

 鈴が、甘酸っぱいいちごを咀嚼する私を満足そうに眺める。


 口の中にあるいちご。


 これが鈴の好きなものなのか、それほど好きではないものなのかわからない。わざわざいちごのショートケーキを頼むくらいだから嫌いではないのだろうけれど、何故、好きなものを私にくれるのかは想像できなかった。


 私だったら、メインのいちごを鈴にあげるだろうか。


 少し考えてみるけれど、欲しいと言われたらあげるかもしれないが、あげないかもしれないという中途半端な答えしか出なかった。


 私は、こういう面倒なことを考え続けるのは好きじゃない。だから、いつもなら、厄介な思考の種は投げ捨ててしまう。でも、今日は投げ捨てた種がどこかで育つかもしれないことがとても良くないことに思えて、本人に尋ねてみることにした。


「鈴はさ、いちご好き?」

「好きだよ」

「じゃあ、私の食べる?」

「いらない。晶の食べたら、私があげた意味なくなるもん」

「好きなものって、自分で食べたくない?」

「メインならね。おまけはいいの」

「そういうもの?」

「私にとってはそういうもの」


 そう断言して、鈴が微笑む。緩やかなカーブを描く唇は、これ以上何を聞いても答えてくれそうになかった。


 短い会話でわかったことは、好きなものを私にくれたということ。鈴は、いちごを欲しがらないということ。ただ、それだけだった。

 打ち切られた会話を続ける意味を見いだせず、なんとなく「そういえばさ」と口にする。深い意味のない言葉に、紅茶を飲んでいた鈴が私を見た。


「この前の放課後、私、委員会があったでしょ。あのとき、鈴はどこに行ってたの?」

「教室にいたでしょ」


 鈴が当然とばかりに言い放つ。でも、その言葉には小さな棘が混じっているように思えた。


 頭の中から引っ張り出してきたものは、あまり良い話題とは言えなかったかもしれない。かといって、口に出してしまったものをなかったものにも出来ず、私は小さなため息を一ついた。


「委員会に行く前。いつも教室にいるのにいなかったから、どうしたのかなと思って」


 私は、お皿の端によけていたいちごをフォークで行儀悪く突きながら鈴を見る。


「ちょっと用事があって、美術室にいたの」

「美術室? 鈴、美術部じゃないよね?」

「違うよ」

「先生にでも、呼ばれてたの?」

「うん。まあ、そんな感じかな」


 鈴は珍しく歯切れの悪い言葉を残すと、それ以上の回答を拒むように残りのケーキを口にした。少しの沈黙の後、私も同じように残っていたケーキをすべて食べてしまう。


「鈴って、部活してたことある?」

「ない。部活とか面倒だもん。晶もしてないよね?」

「してない。疲れるし」

「年寄りっぽい」

「年寄りではないけど、疲れるのは事実だし」


 年代物の家具が占める空間を邪魔しない程度に、鈴がくすくすと笑う。そして、ひとしきり笑った後、学園ドラマに出てくる爽やかな主人公のように鈴が軽やかに言った。


「映画、やめよっか」


 私は、考える間もなく返事をする。


「いいけど。この後、どうするの?」

「ちょっと用事思い出したから、帰る」


 店を出て、駅まで一緒に歩いて、ホームで別れる。学校から帰るときと同じように、私たちは別れた。

 翌日の放課後、鈴は教室にいなかった。

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