第4話
退屈な授業をいくつも受けて、いつもの放課後がやってくる。にぎわいの消えた教室、みんなが帰ってから柴田さんと二人で昇降口へ向かう。
ケーキ、パフェ、クレープ、フレンチトースト。
柴田さんに強引に連れて行かれた場所の方が多いけれど、いくつものスイーツを食べて駅まで一緒に帰った。割合にすれば八対二で、柴田さんの意見が通っている。いや、通っていると言うよりも、私が主張することはほとんどなかった。
「今日、行きたいお店があるの」
「ん、わかった」
いつも通り、柴田さんの提案を受け入れる。それは、意見を通すよりも従う方が楽だからという消極的な理由だけれど、柴田さんが選ぶお店に行って後悔したことはない。彼女の好みは、私の好みに合うことがほとんどだった。
下駄箱で上履きからローファーに履き替え、校門へ向かう。十月も半ばに差し掛かろうとしているのに外はまだ暑く、冬服が重く感じる。立派とは言い難い門を通り、街へ向けて歩く。
「どこへ行くと思う?」
傾いていく太陽の日差しよりも柔らかな笑顔で、柴田さんが言った。
「わからないけど、どこでもいいよ」
「えー。もっと、行き先に興味持とうよ」
「着いたらわかるし、それでいいかな」
「やる気がなさすぎる」
柴田さんが黒目がちな目を細め、むう、と唸る。そして、ふわふわとした髪をくしゃりとかき上げると、歩く速度を速めた。目的地に向かって、跳ねるように軽快に足を進めていく。
高校生になってから何度も通ったはずの道なのに、柴田さんの速度に合わせて歩く街は景色が違って見える。今まで気がつかなかった歩道のタイル、街路樹の色に気がつく。悪くはない気分だけれど、それはなんだか落ち着かなくもあった。
私は、放っておくとどんどんと先へ行ってしまいそうになる柴田さんの隣を歩く。歩幅を合わせて並んで足を進めていると、ときどき、彼女が私を見る。隣にいること、側にいることを確認するように私を見る。
そんなとき、私はその視線に気がつかない振りをする。町並みや空、あるいは通り過ぎる人々、いつもそんなものを見ているうちに目的地にたどり着く。
今日も柴田さんとともに足を止めれば、目の前には扉も窓枠も木で出来ている建物。落ち着いた青で囲まれた大きな窓を覗くと、バッグやぬいぐるみが見えた。
「雑貨屋」
ぼそりと呟いた言葉に、柴田さんが反応する。
「そう、雑貨屋。鈴木さん、結構可愛いもの好きじゃない?」
「うん、まあ、好きかな」
「ここ、鈴木さんが好きそうなものあると思うから」
そう言って、柴田さんが雑貨屋の扉を開けると、からんからん、とドアベルが高い音を鳴らし、私たちを歓迎した。
「一応、私のこと考えてくれてるんだ」
「それ、失礼じゃない? 基本的に、いつも鈴木さんのこと考えてお店選んでるから」
モンブランの一件を思い出しながら、柴田さんを見る。彼女の思いやりというか、配慮はとてもわかりにくい。押しつけがましさが勝って、柴田さんが思い通りに振る舞っているように感じることが多かった。だから、彼女なりに私のことを考えてくれていると知っていながらも、その言葉に驚きを感じてしまう。
「そのわりには、どこ行きたいとかって聞いてこないよね」
「聞かなくても、なんとなくわかるから」
「いや、好きじゃないこともあるかもしれないでしょ」
「そのときはそのときかな。鈴木さんが好きじゃなくても、私は好きだし」
「結局、私のことそれほど考えてないじゃん」
不満を漏らすと柴田さんがくすくすと笑って、ぬいぐるみが並んだ棚の前で足を止めた。
森の中の隠れ家といった雰囲気の店内を見れば、可愛すぎない内装に、可愛いだけではなく使い勝手が良さそうな小物たちが置かれている。目の前には手作りと思われるクマのぬいぐるみがちょこんと座り、掠れたペンキで塗られた壁にはアクセサリーや鞄がかけられていた。
私は行儀良く座っているクマの中から、一番小さなものを手に取る。ひっくり返して値段を見ると、三が一つとゼロが三つ。大きさの割りに値段が高くて、棚に戻す。
「これくらいが良いんだって。鈴木さん、感情の起伏があんまりないし、私くらい強引な方がいいでしょ」
私が棚に戻したクマを手に取り、柴田さんが「高い」と呟く。それに同意しながら「良くないと思う」と返せば、柴田さんが力強く言った。
「良いって、絶対」
「すごい自信」
「自信だけなら、たっぷりあるから」
「いや、自信だけじゃだめでしょ。実績も必要」
「実績、結構あると思うけど。鈴木さん、今まで行ったところ気に入ったでしょ?」
「まあね」
私の返事に満足したのか、大きなクマを眺めていた柴田さんがふわりと笑った。そして、スキップでもしそうな勢いでそう広くない店内を歩き出す。いくつかの棚を見て回り、彼女は何色もの食器が並ぶ一角で足を止めた。視線の先には、白いマグカップとピンク色のマグカップがあった。
柴田さんの薄くて軽そうな学生鞄の中に入っているものは知らないけれど、ピンク色をしたイルカのキーホルダーが付けられていることは知っていた。
「柴田さん、こういうの好き?」
私は、ピンク色のマグカップを手に取って見せる。けれど、彼女が手に取ったのは白いマグカップだった。
「んー、あまり好きじゃないかな。こっちの方が良い。クマ、可愛いし」
マグカップには、小さなクマのイラストが一つ。中を覗くと、底にもクマが描かれていた。
「私もこれ好き」
「クマ、好きそうな顔してるよね」
「どんな顔、それ」
「鈴木さんみたいな顔だよ。これ、すごく欲しそうな顔してる」
はい、と柴田さんにマグカップを手渡され、私は底にぺたりと貼ってある値札を確認する。ゼロが三つはさっきのクマと同じだったけれど、先頭の数字は一だった。
「さっきのクマよりは安いけど、どうしようかなあ」
クマのグッズを集めているというわけではないが、最近、マグカップを割ってしまったこともあり、新しいものが欲しかった。値段も手が出ないというものではない。でも、すぐに買うとは言えなかった。私は、隣に大人しく立っている柴田さんの顔を見る。
「柴田さんは、こういうの――」
お揃いで欲しい?
疑問を口に出してしまえば現実になりそうで、私は言いかけた言葉を飲み込んだ。
時間を共有して、同じものを持って。
そんなことを繰り返していると、私と柴田さんという存在が鎖のようなもので繋がれてしまう気がする。
「なんでもない。やっぱり、これ買うのやめとく」
「そっか」
素っ気ない柴田さんの返事を聞いてから、私はマグカップを棚に戻す。
学校もそれ以外の時間も、私は一人でいることが苦にならない。学校という小さな世界の中にあるもっと小さな教室という世界で、上手くやっていくにはそれなりの労力が必要になる。笑顔と愛想の良い相づちがあれば、平穏に過ごせることを知っているからそうしているが、私は一人でいる方が楽だと感じる。
柴田さんには、作った笑顔も心ない相づちもいらない。それでも、一人でいるという気楽さは手放したくなかった。
「柴田さんは何か買わないの?」
「買わない」
そう言った彼女の視線は、マグカップのクマに注がれていた。
お揃いのものが欲しい。
柴田さんなら躊躇わずにそんなことを言いそうなのに、彼女は何も言わない。ただ、クマを見ていた。
もう一度、柴田さんがマグカップを手に取る。
彼女の腕は、制服の袖で隠れていた。
白い腕は見えない。
どういうわけか、残念だな、と思う。自分の思考に驚き、何故かと考えはじめて、すぐに柴田さんの声が聞こえた。
「鈴木さん、まだ時間ある?」
「え?」
形にならない思考の種とでも言うべきものに囚われていた私は、柴田さんの声に現実へと引き戻される。
「時間、まだある?」
「あ、私の予定聞いてくれるんだ」
「これくらいは聞くよ。門限もあるし、聞かないと困るでしょ」
「ごめん、ごめん。この時間なら大丈夫だよ」
「じゃあ、寄り道の寄り道しよう」
「いいよ」
行き先を聞かずに、柴田さんの言葉に従うことは日常の一部になりつつあった。彼女も、どこへ行くのかはあえて言わない。びっくり箱のような柴田さんは、目的地での私の反応を楽しんでいるようだから聞いても教えてくれないと思う。最近の私は、彼女のそんな子どもっぽいところを面白いと感じ始めていた。
雑貨屋を出て、五分。
今度の目的地は、とても近かった。たいして話もしないうちに着いた場所はファーストフード店で、二人で今まで来たことがないお店だった。
私たちは、赤と黄色の看板を見ながら中へ入る。
「たまには、こういうところで食べるのもいいでしょ」
「いいね。高校生って感じ」
「鈴木さんの高校生のイメージって、貧困。っていうか、高校生の発言とは思えない」
私は柴田さんから高校生であることを否定されながら、ポテトとアイスティーを頼む。隣を見れば、楽しげに口角を上げた柴田さんがチーズバーガーのセットを手にしていた。
それほど混んではいない店内で私たちは窓際を選び、並んで腰を下ろす。
「ハンバーガー、食べるんだ」
私は、ファーストフードよりもケーキが似合いそうな柴田さんをまじまじと見る。お嬢様という見た目でも、乙女という言葉が似合う見た目でもない。けれど、他の人よりも少しだけ糖度が高そうな雰囲気を持つ彼女は、ハンバーガーを好みそうには見えなかった。
「私をなんだと思ってるの。これくらい食べるよ」
柴田さんは包み紙からハンバーガーを半分ほど出して、大きな口を開けて齧り付く。
「口、大きい」
「いいの。こういうのは大口でばくりといかないと」
身長が私よりも少しだけ低い柴田さんは、私よりも大きな口でハンバーガーを胃の中に収めていく。私は彼女の豪快な食べっぷりを眺めながら、ひょろりとしたポテトを口に運ぶ。
一本、また一本と囓り、赤い入れ物からポテトが半分ほどなくなった頃、ハンバーガーを食べ終えた柴田さんが言った。
「ね、耳かして」
柴田さんに手招きされ、私はストローに口を付ける。氷で薄まったアイスティーだった液体が喉を通っていく。胃の中が冷たくなり、私は柴田さんに体を寄せた。
「好きだよ」
誰にも知られたくない秘密を言うように、約束の引き金となる言葉を告げられる。
「――私も好き」
私は柴田さんの耳に口を寄せ、決められた言葉をいつも通り返した。胸の辺りがざわざわとするけれど、こうしたやりとりにも慣れてきた。
私と彼女にとって、好きという言葉は定型文のようなもので、決まった言い回しを送り合うだけのものだ。だから、もうすぐこの言葉に何も感じなくなるはずで、私はそれを待っている。
柴田さんを見ると、大人に悪戯を仕掛けた子どものようににこにこと笑っていた。
「ポテト、もらってもいい?」
私は、彼女にしなびれたポテトを入れ物ごと渡す。
「明日は、どこに行こうか。鈴木さん、行きたいところある?」
「ない。っていうか、勉強しなくていいの?」
「勉強?」
「中間テスト」
「ああ、確かにそんなものがあったよね」
「あった。というか、ある。来週、中間テストだから。図書館でも行く?」
「そうだね。そうしよっか」
勉強するつもりがあるのかないのかはわからないが、柴田さんが随分と軽い調子で私の提案に頷く。そして、元気のないポテトをぱくりと食べた。
私の日常に柴田さんが組み込まれ、柴田さんの日常に私が組み込まれていく。スケジュールは、彼女との予定で埋まっている。今はもう、深い意味がない好きも当たり前になっていた。
私にとって当たり前だった何もなかった毎日は、どこを探してももうない。彼女といる毎日は悪くはないけれど、何かがあることが当たり前になってしまった毎日が少しだけ怖かった。
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