しあわせ病

拍手の波が押し寄せる舞台のちょうど真ん中。



彼女は消えた。



不意に私の喉から漏れた呟き、それは自分自身の声なのだけれども、耳を疑った。





数ヶ月前から話題のそれは、世間を騒がせ、テレビのどのチャンネルも、SNSのホットワードも、電車でたまたま隣り合った人たちの会話をも独占している。



無論、私自身も独占されているその内であって、独占、や、毒染とも書こうか、すっかり中毒的にそれに魅せられ、染められている。



始まりは半年前、夏休み真っ盛り。宿題もほどほどに、家族の出かけた誰もいないリビングで、全く興味のない高校野球を見ていた時である。



どうやらそれは全国大会の、しかも決勝戦の最終回。ドラマチックなカメラワークが勝利の瞬間を捉え、思わず私も見入ってしまっていたのだけれども、その直後、興奮した実況のアナウンサーの声が静まり、球場の大歓声も不自然などよめきへと切り替わっていった。

私は、さっきまで歓喜の輪の真ん中にいたはずの背番号1の男の子の姿が見当たらないことに気付いた。




それから昨日まで。分かっているだけでも、40人。



突然、姿を消した。



それもどれも、10代の思春期ばかり。



さらにさらに、昨日。遂に私の目の前で、私の親友だった人が消えた。



自称・有識者、心理学者、医者、カウンセラー、物理学者、等々が色んな仮説を立てては披露して、否定され、帰着点はオカルティックなものばかりになっていた。





「うちのクラスの子も『しあわせ病』になったんだってね……」

「はい」

「あなた、その場に居たんだよね」

「はい」



消えたのは私のクラスメイトで、親友だった。

私はその件で現場に居合わせた唯一の学校関係者だったため、担任の先生から事情聴取、や、カウンセリングを受けている。



「びっくりしたよね、つらかったよね」



私の精神的ショックを案じてくれているのだろう。



ハッキリ言ってしまいたい。



私はつらくも何ともない。むしろ。




ちなみに、先生が言う「しあわせ病」とはネット上の誰かが、この思春期の謎の消失に面白がって付けた名前で、世間は何となくこれを気に入って使っているらしい。



高校野球の彼が優勝という幸せの瞬間に消えたように、ピアノコンクールで金賞を取った瞬間に消えたように、みんなが、そういった「幸せ」とか「喜び」とかの果てに消え果てているのだ。



実に愚直なネーミングに聞こえるけれども、「幸せ」と「死逢わせ」とで言葉遊びをしているんだろうか。



私だって幸せになりたい。



だから、私が消えたみんなに思うことは、妬み。



本当に幸せの果てが消失なら、口だけで「私は幸せです」と言ってる有象無象とは比にならない、正真正銘の幸せを彼らは得ているのだから。妬ましい。



だから私は、彼女が消えた瞬間、あの時は耳を疑ったけれども、や、納得、「ずるい」と呟いてしまったのだろう。





先生は心配そうに私の顔を覗き込んで、ギョッとした。


「どうしたの?」


自分の口角が上がっていたことに気付いた。

どうして親友が消えて、笑っていられるのだろう。



「私も幸せになって消えたい」



力強く私は言い放った。

職員室中の視線が、冷たい視線が突き刺さる。



「みんな、ずるい」



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マジック うちで小槌 @k0dzuchi

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