第37話 死と裏切りの最終ラウンド


 俺は沙衣が白い顔で頷くのを確かめると、部屋の中を見渡した。すると、俺の視線に応えるかのように祭壇中央の階段が二つに割れた。中から現れたのは、二人の人物だった。


「……荒木さん」


 人影のうちの一人は、邪気に憑りつかれた荒木だった。身体が倍ほどになった荒木は黒いスーツと一体化し、身体のあちこちから触手のようなものを生やしていた。


「うう……俺……殺す。生者の肉……捧げる」


 荒木がろれつのまわらぬ口でそう言うと、俺のポケットの「死霊ケース」が震えた。


「いかがです、我々の研究の「成果」は。彼こそが生者と亡者の完全なる融合体です」


 荒木の傍らで不気味に言い放つ人物を見て、俺ははっとした。人物は以前、ハンクのトレーナーとして紹介された春陽海という男だった。


「あんたはたしか、施術師の先生……」


「生者の芦田はともかく、我々の同族である五道までやられるとは思いませんでしたよ」


「同族だと?それは冥界の人間という意味か」


 俺が質すと、陽海はくっくっと忍び笑いを漏らした。


「わざわざ尋ねるまでもないでしょう、カロンさん。ご自分だってそもそもは「こちら側」の存在なのですよ?」


「なんだと?俺は亡者だが、それは死んだとき死神と契約したからだ。俺の生まれはこのごみ溜めみたいな生者の世界だ」


「本当にお忘れなのですね。……これはお気の毒だ。カロンさん、あなたは刑事だというのによくよく疑うことを知らないようだ」


「……どういう意味だ」


「さて、どういう意味でしょうね。あなたの「相棒」である死神に、一度良く聞いてみたらいい」


 陽海はせせら嗤うと「さあ亡者対亡者、世紀の一戦だ。どちらかが「本当に」死ぬまで思う存分、戦うがいい!」と叫んだ。俺が反射的に身構えると、荒木の目が青白く光った。


「……がっ」


 その場で跳躍し、踊りかかってきた荒木に俺はリボルバーを向けた。俺の仕事は成仏させることであって殺すことではない。マグナムはご法度だった。

 俺が引鉄を引くと銃声がこだまし、銃弾が荒木の身体を貫いた。……だが、撃たれた身体がゴムのようにたわんだのが見えただけで、次の瞬間、俺は荒木の爪で左手の肉をごっそりえぐられていた。


「……くっ」


 傷口から赤黒い肉と黄色い脂肪の絡み合った中身が覗き、奥に骨の一部が見えていた。


「銃など役に立ちませんよ。殺すつもりでおやりなさい」


 陽海がけしかけ、視界の端に攻撃のタイミングをうかがっている荒木の姿が見えた。


「があああっ」


 荒木の跳ぶタイミングに合わせ、俺は鞭を放った。次の瞬間、荒木は空中で鞭をつかむと俺の身体を祭壇の方に放り投げた。俺は柱に背中から激突し、床に落下した。


 ――くそっ、死神も使えないとすれば……引きつけて「中和」するしかないか。


 俺は床に伏したまま、荒木に向かって再度、リボルバーを構えた。荒木は体中の触手を揺らしながら、悠然と俺に近づいて来た。


 ――ようし、そうだ。もっとこっちへ来い。


 俺は銃口を荒木の胸に定めながら、チャンスを待った。だが。俺の少し手前で、荒木がふいに動きを止めた。


 ――どうした、来ないのか。そこじゃ俺を殺せないぞ。


 俺が思わず歯ぎしりをした、その時だった。荒木の身体から生えている触手が一斉に伸びたかと思うと、鋭い錐のような形になって俺の身体を上空から襲った。


「うわああっ」


 背中を鋭い先端で蜂の巣にされ、俺は思わず悲鳴を上げた。荒木の触手は俺の内臓をことごとく突き破り、触手が抜けた傷口からは血が噴水のように溢れ出た。


 ――野郎、俺の作戦を読んでやがったな。


 俺は起き上がると、マグナムのホルスターに手を伸ばした。このヤマは片付かないかもしれない、そう覚悟を決めざるを得なかった。


「死ね……死んで闇に還れ」


 荒木は地の底から響くような声で言うと、右の拳を固めてファイティング・ポーズを取った。やっこさん、人の姿を失くして初めて本来の姿を思いだしたらしい。


「……いいだろう。これが最終ラウンドだ。判定は地獄の沙汰にお任せするぜ」


 俺は自分の拳に邪気を込めた。亡者同士なら、元ボクサーに分があるに決まっている。クロスカウンターの直前に俺が奴の邪気を「中和」できるかどうか、それに賭けるしかなかった。


「ぐあああっ」


 荒木が腕をしならせ、俺の顔面に狙いを定めた。俺は半歩踏みだし、重心を低くすると荒木が拳を繰りだして来る「瞬間」を待った。と、その刹那、俺はポケットの中から何かが飛びだすのを感じた。


 ――なんだ?


 俺の気が逸れた瞬間、目の前で白い光が爆発した。俺の身体は祭壇の一番上の石像に激突し、頭蓋骨が割れる感覚があった。俺はそのまま階段を転げ落ちると、床の上に放りだされた。


「あ……うああ……」


 必死で顔を上げ、よく見えない目で前を見ると、驚いたことに荒木が床に膝をつき、何かを振りほどこうと身をよじっている姿が見えた。荒木の身体に貼りついているのは、なんと「被害者」――つまり荒木本人の「亡霊」だった。


「被害者」は、触手の生えているスーツを荒木からむしり取ると、離れた場所に放り投げた。スーツを剥ぎとられた荒木は体中に管が浮き出た筋肉の化け物だった。俺は再びリボルバーを構えると、裸の荒木に向けて引鉄を立て続けに引いた。


「KOできなくてすまない……許せ、荒木!」


 俺の銃弾を受けた荒木は後方に吹っ飛ぶと、壁に激突して動かなくなった。俺は生まれて初めて丸腰の人間に集中砲火を浴びせたのだった。


「あう……あう」


 壁にもたれ、口から血の混じった泡を噴いている荒木に、「被害者」がふわりと覆いかぶさった。俺は立ちあがると、仕事の終了を確かめるため荒木に近づいた。


「荒木さん……やっと成仏できるな」


 血の海の中で「邪気」と「霊」が一つになり、荒木の目から禍々しい光がふっと消えた。


「終わった。……死神、後を頼むぜ」


 俺が言うと、身体から薄まった黒い影が抜けだし、荒木の身体を包むのが見えた。やがて黒い影はその内に白い無垢な光を抱いたまま、天井の方へと消え去っていった。


「これで今回のヤマは終わりだ……だが」


 振り返った俺の前に小柄な男――陽海が立っていた。


              〈第三十八回に続く〉

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