第36話 全てが闇に呑まれようとも


「……刑事さん」


 ふいに弱々しい声が足元で響き、俺ははっとした。声は芦田の物だった。


「元に戻ったのか?」


 苦し気な顔の芦田に俺が問いかけると、芦田は「……たぶん」とうなずいた。


「刑事さん、あそこに見える円形の窪みに立って、床の上にこれを置いてください。そうすれば下の階……オルトロスのいる「玉座の間」に降りることができます」


 そう言いながら芦田が俺に差し出したのは、握り拳ほどの黒い髑髏だった。


「本来は私の掌紋しか受け付けないのですが、ロックを解除したので誰でも反応するはずです。……私がこうなったのは行き過ぎた野心のせいです。あなたを恨んではいません」


 芦田から髑髏を受け取った俺は、一つ頷くと「そうかもしれない、だがな」と言った。


「亡者があんたをそそのかさなければ、こんな馬鹿げた事態にはならなかった。だから俺はその元凶を潰しに行く。そして生きてここに戻り、あんたを逮捕する」


「……わかりました。その時私に命があったら、いつでも連行してください」


 俺は芦田に背を向けると、疲れ切ってへたり込んでいる二人の同僚に声をかけた。


「二人とも、こっちへ来い。これから黒幕のいる部屋に突入するぞ」


 俺が檄を飛ばすと、二人はふらつきながら俺のいる伽藍の中央へと移動を始めた。二人の身体が円形の窪みに収まったのを見計らい、俺は芦田から受け取った髑髏を円の中央に置いた。しばらく無言で見つめているとやがて、髑髏ががたがたと震えはじめた。


「真ん中に集まれ。床が動くぞ」


 俺の号令で全員が中央に集まると、ほぼ同時に円形部分の床がゆっくりと沈み始めた。


「だ、大丈夫すか、兄貴」


「大丈夫……と言いたいところだが、今までのエレベーターの中では一番、乗り心地がよくないな」


 俺が場を和ませようと憎まれ口を叩いているうちに、円形の床は伽藍の下の一回り小さな空間にたどり着いた。


「ここは……」


 俺は部屋の中央に施されたまるで祭壇のような構造物に目を瞠った。石造りの巨大な動物を中心に供物を捧げる台がしつらえられ、ここが重要な儀式の場であることをうかがわせた。


「とうとうここまでやってきたか、愚かな生者よ」


 背後から聞き覚えのある声が響き、俺は思わず振り向いた。立っていたのは、僧服を思わせる黒い服に身を包んだ五道だった。


「おまえが「オルトロス」なのか?」


 俺が問い質すと五道は「さて、どうでしょうね」とせせら笑った。


「いずれにせよ、あなた方はここで冥界の裁きを受け、人の姿を失うのです」


 五道が不気味に言い放った、その直後だった。


「裁きを受けるのは、お前の方だ!」


 叫び声とともに銃声がこだまし、五道の身体が仰向けに倒れた。次の瞬間、俺たちが見たのは拳銃を構えて立っている牛頭原の姿だった。


「牛頭!」


 俺が牛頭原に呼びかけた瞬間、倒れていた五道の身体が、ブリッジをするように腹部をそらせた格好で跳ねあがり、倍ほどの大きさに膨れ上がった。


「やはりこの世のものではなかったようだな、五道。ここで引導を渡してやる」


「駄目だ、牛頭。お前の手におえる相手じゃない。ここは俺に任せるんだ」


 俺が叫ぶより早く、五道の身体から羽根と二つのトカゲに似た頭部が伸びた。


「……このっ、化け物めっ」


 怪物と化した五道は、銃弾をやすやすとかわすと牛頭原めがけて遅いかかった。俺は鞭を取り出すと、五道に向けて放った。


「死神、やれるか?」


 俺の鞭が五道の獣と化した脚を捕らえた。凄まじい力で抗う五道をどうにか抑えていると、俺の身体から黒い影が飛びだして五道に覆いかぶさった。


「があああっ」


 空中で五道と死神がもつれあい、互いの身体から黒い邪気が噴き出した。

 ……が、次の瞬間、俺は信じがたい光景を目の当たりにした。死神の姿がどんどん、薄くなっていったのだ。なぜだ――そう思いつつ、自分の手首を見た俺は、思わず絶句した。


 ――灰色になっている!エネルギーの減りが思いのほか早かったのだ!鞭が五道の脚から外れて床に落ちた。まずいぞ、そう思った時だった。


「……ぐっ?」


 五道に向かって無数の白い気が襲いかかるのが見えた。あれは……コヨーテだ!


「兄貴……こいつは、俺が……やっつけます!」


 気が付くと五道の下でケヴィンが目を血走らせて叫んでいた。


「駄目だ、ケン坊!無茶するんじゃないっ!」


 俺は気づくとアンデッドリボルバーを五道に向けて構えていた。ケヴィンのコヨーテは最初のうちは五道の勢いを食い止めていたが、やがて死神同様、徐々に薄くなっていった。


「くくく……貴様のような新米の亡者が、この俺を止められるとでも思っているのか」


 五道の怪物の首がゆれ、その狭間からもう一つの顔――五道本来の顔が姿を現した。


「やめろ、ケン坊に手を出すなっ」


 俺は力なく床にへたり込んだケヴィンに襲いかかる怪物に、ありったけの銃弾を撃ちこんだ。トカゲの首がちぎれ、羽をもがれても五道は一向にひるまなかった。


「あ、兄貴ぃ……」


 俺は特殊警棒を取り出すと、五道の「顔」に狙いをつけた。


「身の程を知らぬ亡者よ、元の冥界に還れ!」


 俺は先端を尖らせた警棒にすべての邪気を纏わせると、五道の「顔」に向かって投げつけた。警棒は五道の顔面深く突き刺さり、全身を青白い炎で包みこんだ。


「ぎゃああっ」


 五道の身体はケヴィンから離れるとあちこち狂ったように飛び回り、やがて床に激突した。俺はケヴィンに駆け寄ると、血塗れの細い体を抱き起こした。


「ケン坊……しっかりしろっ」


「兄貴……俺、もう駄目っす」


「馬鹿な事をいうんじゃない、かすり傷だ。格好つけても俺にはわかる」


「ねえ兄貴……俺、こう見えても結構、役に立つと思うんすけど……」


「当たり前だ。お前は俺の命を救ってくれた。……ここからは俺がお前の盾になる。だから縁起の悪いことを言うな」


「兄貴……うれしいなあ」


 俺はぐったりしているケヴィンの身体を担ぎ上げると、沙衣の方を向いた。


「さあ、早く荒木を探し出して、こんな忌まわしい場所から一刻も早く抜け出そう」


             〈第三十七回に続く〉

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