第30話 湯気の中、鬼が優しく嗤う


「いったいなんの悪ふざけなんだ?これは」


 インテリジェンスビルの六階で、エレベーターを降りた俺は予想外の光景に言葉を失った。廊下の奥にあるはずの「ペパーランドカンパニー」のドアが外れ、めちゃめちゃになったオフィスがその枠の向こうに覗いていたからだ。


「牛頭!……無事か?」


 俺はオフィスに飛び込むと、牛頭原の姿を探した。オフィス内に人気はなく、まるで事務所荒らしにでもあったかのように、机や椅子があり得ない位置に押しやられていた。


「……事務所ごと襲われたのか?いったい、誰が?」


 俺が呆然と立ち尽くしていると、背後から「カロン……さんじゃないですか」と声がした。振り返ると、牛頭原の腹心だった福田という小男が立っていた。


「これは何の騒ぎなんだ。抗争でもあったのか?」


 俺が尋ねると、福田は険しい顔つきで頭を振った。


「先日、五道が突然、事務所をたたんで行方知れずになったんです。うちの社長が親父に問い合わせたら、なんだか様子がおかしかったんですよ。鬼が来た、五道は化け物だってね」


「化け物……」


「それで社長が親父の様子を見に行く事にしたんですが、今度は社長が音信不通になってしまったんです。うちはトップがいないと動けないんで、仕方なく待機していたら突然、得体の知れない連中が現れて……」


「得体の知れない連中というと?」


「真っ黒なスーツに身を包んだ男たちです。三人くらいしかいないのに、あっと言う間に事務所を滅茶苦茶にしてしまって……」


「で、牛頭は?行方不明のままか」


「それが昨日、ふらりと戻ってきて……それも頬がげっそりこけて、鬼のような表情でした。社長はオフィスの様子を見るなり「許せねえ……福、またちょっとばかし留守にするから、みんなでここを片付けて待っていてくれ」って言い置いて、消えちまったんです」


「なんだって……駄目だ、あの連中を追っちゃいけない。いくらやくざでも牛頭は普通の人間だ。化け物と戦っても勝ち目はない」


「化け物ですって?」


「福田さん、牛頭のことは俺に任せてくれないか。必ず連れ戻して見せる」


「なんでそこまで……」


「あいつとの間に貸し借りはないが、一応、友人だからな。みすみす殺されるのを見逃すわけにはいかない」


「殺される?……牛頭の兄貴が?まさか」


「奴が追っている敵には血や涙はおろか、魂すらない。倒せるのは限られた人間だけだ」


「あんたが……刑事さんが社長を助けてくれるって言うんですか」


「ああ。間に合えばな」


 俺は信じられないという表情の福田に連絡先を告げると、エレベーターに引き返した。


 なんてこった。奴ら、亡者の計画に少しでも触れた人間を根こそぎ潰す気か。

 ……こうなったらアンフィスバエナに直接、乗りこむしかない。普通の人間と、亡者……その両方に犠牲が出るとしても。



                 ※


「ねえカロン、あらたまって話って、何?」


「釜ゆで屋」のカウンターで俺が切りだした言葉に、沙衣は即座に反応した。


「……まあ、そう慌てるな。もつ煮を食ってからでもいいだろう」


 俺がわざと間延びした口調で返すと、沙衣は固い表情のまま頭を振った。


「……すぐ話して。カロンがわざと冗談めかすってことは、簡単な話じゃない。むしろ逆よ。……そうでしょ?」


 沙衣が身を乗り出して俺の顔を覗きこむと、その向こうのケヴィンまでもが神妙な顔つきになった。


「そうすよ、こんな風に勿体つけるなんて兄貴らしくないっス」


「……お前たち、短い間におかしな知恵ばかりつけやがったな」


 俺は肩をすくめると、湯気の向こうを見据えた。


「荒木の死体を取り戻しに、アンフィスバエナへは俺一人で行く」


「ええっ?嘘でしょ?捜査の基本を忘れたの?」


「亡者相手の戦いに、基本もへったくれもない。こいつは普通の捜査じゃないんだ」


「兄貴、俺なら少しは戦えますよ」


 ケヴィンが興奮した口調で言ったが、俺は首を縦に振らなかった。


「だから余計に危ないんだ。敵は一人じゃない。いちいちさしで相手はしてくれないんだ。それなりに戦略を練っていく必要があるし、一人の方が動きやすい」


「それはわかるけど……一斉に襲いかかられたら、カロンだって危ないのよ」


「まあな。だから装備もぬかりなく……」


 俺がそこまで言いかけた時だった。カウンターの向こうから「相変わらず、野暮だねえ」と声が飛んできた。


「お加世さん……」


「装備が必要なら、あたしが用意してやるよ。「亡弾ベスト」を三つ、あつらえればいいんだろう?三日くれれば何とかしてやるよ」


 俺は話の腰を折られ、思わず沈黙した。すると沙衣が「それって、「亡者」からの攻撃に有効なんですか?」と問いを投げかけた。


「もちろんさ。……ええと、女性用はまだあつらえたことないけど、なんとかなるさ。……あ、でも、そっちの枯れ木みたいな兄ちゃんに合わせるのは、ちょっと大変かねえ」


 加世の言葉にケヴィンが「そりゃあ、ひどいっすよ」と返し、もはや二人は俺の話を完全に無視し始めていた。


「決まりね。三日後、ベストを受け取ったらすぐに「アンフィスバエナ」に行きましょう」


「おい、いい加減にしろよ。まだ何の作戦も……」


「作戦なんて、三日あれば立てられるだろう?百戦錬磨のカロン様なら」


 加世はそう言い切ると、俺の前に小鉢を立て続けに並べた。


「四の五の言わず、腹ごしらえを済ませて打ち合わせをするんだね。抜け駆けでもしようもんなら、このあたしが許さないよ」


 立ち上る湯気越しに女将の顔を眺めながら、俺は肩をすくめた。


 ――やれやれ、こんな敵は冥界にもいないし、戦ったら恐らく死神でも歯が立つまい。


            〈第三十一回に続く〉

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