第16話 死者を撃つなら小さな音で
「立って歩いて本当に大丈夫?」
処置室から出てきた俺を見て、沙衣が悲鳴に近い声を上げた。
「ああ。医者も「本当にさっきついた傷なんですか」って驚いてたよ。ナイフを抜いておいて正解だった」
俺は刺された腹を撫でさすりながら言った。刺創の深さはすでに刺された直後の半分以下になっていた。
普通ならあれこれ質問攻めにされかねないところだが、俺を診た医師はあっさりと俺を解放した。牛頭原の知人だけあって訳ありにはそれ以上踏みこまないのだろう。
「だって、ナイフで刺されたはずよね。たしかに見たわ。刃がこう、深く刺さって……」
沙衣の丸い目は興奮で、いつもの倍ほどに大きく見開かれていた。
「言ったろう、俺の命は借り物だって。気をつけなきゃならないのはむしろエネルギーの方なんだ。病院で検診だの点滴だのって無駄なことをするより、アパートで寝ていた方が回復が早いのさ」
「信じられない話ね。……まあ、あの五道って人のやることも信じられないけど」
「これからはああいう手合いばかりになる。捜査中はできるだけ俺から離れない方がいい」
「それってつまり、刺されるとかそういうこと?」
「刺されるくらいで済めば御の字だ。俺はともかくお前さんには……」
俺が危険と遭遇した時の心構えを説こうとした、その時だった。廊下の突き当りに白衣を着た複数の人物が姿を現した。皆、一様に無表情でまっすぐ俺たちの方を見つめていた。
「何かしら……回診?」
沙衣がそう口にした直後、白衣の人物たちが一斉に武器のようなものを構えた。
「銃だ!サイレンサーが付いてる」
「嘘っ、こんなところで?」
「伏せてろ、ポッコ!」
俺は沙衣の前に立ちはだかると、身体の奥で眠っている死神を叩き起こした。
――おい、悪いが出番だ。
――ふむ……なんだ、いきなり。
頭の中に死神の声が響くのと同時に、熱く灼けた塊が俺の身体をえぐった
一発……いや、二発だ。高速で撃ちこまれた弾頭は俺の内臓と筋肉を一緒くたに引きちぎって止まった。
俺は床に膝をつき、死神の登場を待った。やがて意識が身体の奥に吸い込まれる感覚があったかと思うと、巨大な闇が俺の身体を支配した。
――またせたな。……どれ、わしが相手をしてやろう。
俺は死神の目で、銃を構えている連中を見た。皆、死神の気配を感じとったのか、それまで虚ろだった目を恐怖に見開き、おののいているのがはっきりとわかった。
――そうれ、あいさつ代わりだ。
死神が「大鎌」をふるうと、敵の手から銃が一気に薙ぎ払われた。「大鎌」が見えたのかどうかはわからないが、ほぼ全員が恐怖に青ざめながら血のにじんだ腕をさすっていた。
――お次は、これだ。
死神が大きく口を開けると、中から黒い塊が大量に吐き出された。廊下に溢れた塊は黒い鼠の姿となって駆け出し、敵に襲いかかった。
「うわあああっ」
幻の鼠は白衣の集団に飛びかかり、首筋や腕に噛みついた。幻とは言っても痛みは本物なのだ。やがて一人が悲鳴を上げて逃げ去ったのを機に、他の仲間たちも次々と退散を始めた。
――どれ、弾を抜いてやろう。
敗走する敵にひとしきり高笑いを浴びせた後、死神は「俺」に語りかけた。
死神は俺の身体を壁に持たせかけると、骸骨の指を俺の腹にめり込ませた。死神が指を抜くと、誘われるように弾頭が体の外に零れ落ちた。同時に銃創がゆっくりと塞がってゆき、ものの一分足らずで俺の腹は元の状態に戻った。
――それでは、わしは寝に戻る。あまり頻繁に起こすのではないぞ。
死神が心もちけだるい声で俺に告げ、俺の意識が改めて自分の身体に吹きこまれた。
俺は立ちあがり、沙衣の方を見た。床にしゃがみこんで青い顔をしている沙衣は、俺と目が合うと口をぱくぱくさせた。
「驚かせちまったな。……だがこれが俺の戦い方なんだ。少しは慣れてもらわないとな」
俺はそう言うと、何気に自分の左手を見た。そしてはっとした。手首の色が、灰色になっていた。まだエネルギーが切れる時間じゃない。死神を呼んだせいか?それにしてもこの減り具合は尋常じゃない……
「カロン、もう帰りましょ。今日の捜査はおしまいよ」
沙衣はそう言うと、健気にも俺の手を引こうとした。俺は「大丈夫だ」と先に立って歩こうとしたが、不覚にも足がふらつくのを止めることができなかった。
「ほら、言わないこっちゃない。今日のところはおとなしく私に部屋まで送られなさい」
沙衣はそう言うと、携帯でタクシーを呼び始めた。俺は珍しく、それもいいかもなと思った。どうせここからは血みどろの戦いになるのだ。半日くらい、休憩してもいいだろう。
「カロン……そういえば、カロンのアパートって、どのあたり?」
「タクシーに乗せてくれればいいよ、今日はもう解散だ。ご苦労さん」
「駄目です。ちゃんと部屋に入るのを見届けるまでが、捜査です」
〈第十七回に続く〉
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