第13話 美しき神は死者を冒涜する


「久しぶりだな、カロン!」


 陽気な声と共に繰りだされた上司の回し蹴りをかわした俺は、代わりに空っぽの頭をうやうやしく差し出した。


「ほら、目を覚ませ!」


 後頭部に肘の衝撃を受け、俺は署に戻ってきたことを痛感した。


「いい心がけだな。これで十五分の遅刻は帳消しだ」


「もう十五分遅れてたら殺人事件が起きてましたよ、ダディ」


 俺は類人猿のように唇をつき出している壁倉に、しれっと言い放った。


「……で、呼びだした理由は何ですか?圧力でもかかりましたか?」


「ああ。かかったよ。「アヌビス」のところに行ってくれ」


 俺は急にやる気が萎えるのを覚えた。真智か。あの女、何をねじ込んできやがった。


「死体がらみですか。死因に何か不審な点でも?」


「さあな。そのあたりはぼかしてきやがった。あいつ、特務班をなめてやがる」


 壁倉がどこか他人事のようにぼやくと、不思議そうに俺と壁倉のやり取りを聞いていた沙衣が口を挟んできた。


「あの、なんです?「アヌビス」って」


「うちの署の監察医だ。放っておくとすぐ死体を切り刻んじまう厄介な女だよ」


「その人が、わたしたちに何の用でしょう」


「知らねえよ。ポッコは会ったことがないだろう。一度あの女の洗礼を受けて来い」


 壁倉はそういうとサディスティックな笑みを浮かべた。


「カロン、あなたはその人と親しいの?」


 鳩のような丸い目で顔を覗きこまれ、俺は思わず肩をすくめた。


「よしてくれ、あいつと親しいってことは、半分死んでるってことだ」


               ※


「ハイ、カロン。お久しぶりね。生きてた?」


 白衣の女はなれなれしく俺に呼びかけると、いきなりネクタイをつかんで首を絞めた。


「生きてるよ。死体じゃなくてあいにくだったな」


「本当ね。最近はいつ死んだの?」


「忘れちまったよ。それより用件を手早くすませてくれ。ここにいると寿命が縮まる」


 ネクタイを引っ張りながら辛辣な言葉を浴びせてくるこの女は、外場真智そとばまちと言って監察医、つまり死体のプロだ。


「ご挨拶ね、カロン。本題の前に、隣にいる子を紹介してくれない?」


 真智は人形のような顔に舌なめずりせんばかりの喜色を浮かべて言った。


「あ、河原崎沙衣です。今月から特務班付けを拝命しました」


 沙衣が強張った表情で挨拶すると、真智は眼鏡の奥の目を嬉しそうに細めた。


「よろしく。私は外場真智。カロンとは古い付き合いよ。それにしても若いわね。このきめ細かな肌……どんな綺麗な内臓をしてるのかしら」


 真智の目は早くも沙衣の身体をばらばらにし始めているようだった。


「ポッコ、こいつは人間の中身を見るのが何より好きな変態だ。気をつけた方がいい」


「あら、あなただって切り刻まれても死なない変態じゃない。仲間を侮辱すると痛い目に遭うわよ」


「痛い目ね……しょっちゅう遭ってるさ。で、今日は一体何の用だい」


 俺は憮然とした表情の真智に向かって、押し殺した声で言った。


「あなたの扱ってる事件だけど……犯人のほかにもう一人、探して欲しい人がいるの」


「探して欲しい人だと?」


「人というか、モノね。「被害者」の身体よ」


「「被害者」だって?」


 俺は思わず声を上げると、ポケットの上から「死霊ケース」に触れた。


「そう、「被害者」よ。死体がどこかに消えてしまったのよ」


「死体が……ばかな、荒木の死体は司法解剖されて焼き場に回されたはずだ」


 俺が畳みかけると真智は目を伏せ、頭を振った。


「司法解剖はされてないわ。担当の法医学者から聞いたのよ。脅しに近い形でずっと口止めされてたらしいんだけど、解剖しようと待ち構えていたところに人相の悪い連中が現れて強引に死体を奪っていったそうよ」


「死体を……誰が何のために?」


「そう思うでしょ?全く腹立たしい連中よね。今から身体を開いて美しい内臓を拝もうっていう時に、横からご馳走をかっさらって行くんですもの。憤懣やるかたないわ」


 俺は真智の独自な価値観に共感できないまま、首をひねった。死体なんか奪ってどうするつもりだ?


「それでね、あなたに一つ、ヒントをあげたいの。死体を攫っていった連中の特徴を聞いてたら、わたしの記憶にある人たちと似た特徴があったの。獄卒会ごくそつかいの舎弟よ」


「獄卒会だと?ばかな、あそこの若頭の牛頭原ごずはらとは旧知の仲だ。あいつがうちに不義理をするとは思えない」


「じゃあ、幹部が変わったのかもね。じかに会って聞いてみたらいいわ。うちの獲物を横取りしただろうって」


「しかしやくざが死体を欲しがるなんて、妙な話だな」


 俺が訝ると、真智が我が意を得たりというようにうなずいた。


「解剖されたくないのなら、死体そのものを消し去るのは御手の物よね。わざわざ警察の手から盗んでいくってことは……」


「金か。荒木の死体を欲しがっている誰かに売りつけるつもりで俺たちから奪ったのか」


「その辺が妥当な推理かしらね。獄卒会の兄さんたちに会ったら言っておいて。今度私の獲物を横取りしたら、体中の血を抜いて内臓を残らずプラスチックの標本にするって」


「ああ、承っとくよ。あんたの素敵な情報のお蔭で捜査がイチからやり直しだぜ」


 俺は真智に礼を述べると、沙衣と共に署を後にした。獄卒会の若頭、牛頭原とは古い付き合いだ。奴が一枚かんでいるのなら話は早いが、そうでないとしたら相手はやくざ以上に厄介な連中だということになる。こいつはてこずりそうだ。


 俺はポケットから荒木の「死体写真」を取りだすと、恨みがましい気分で眺めた。


              〈第十四回に続く〉

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