第9話 残されし者たちよ、懺悔せよ


 九つに分割された画面の中で、黒のボディスーツとマスクで全身を覆った二つの人影が戦っていた。


 両者の動きは人間離れしていて、一方がもう一方に壁まで吹っ飛ぶような打撃を加えても、次の瞬間には体勢を立て直して逆襲を始める……そんなあり得ない映像が繰り広げられていた。


 俺は携帯の小さな画面に映し出される異様な風景に、しばしくぎ付けになった。

 この動画は一係を経由してもたらされた資料だが、どういう経緯で入手した物かは不明だった。


 わかっているのはこの動画が「アンフィスバエナ・フィジカルプロジェクト」と何らかの関係がある、ということだけだ。


 俺はまるで映画のような両者の動きを、数日前の「復讐者」と思しき人物の姿に重ね合わせていた。「復讐者」の着用していた黒いスーツは、動画の二人が着用している物と酷似していた。


 仮に「復讐者」が「アンフィスバエナ・フィジカルプロジェクト」で開発されたスーツを着用していたとしたら、「復讐者」は明石と何らかのつながりがあることになる。


 それどころか、明石自身が「復讐者」という可能性すらある。明石の鍛え上げられた肉体と比べると俺が戦った相手はスリムだったが、そのあたりはどうとでもなるに違いない。


 ――もう一度、明石に会ってみるか。


 俺はポケットからライターに似た金属製の小箱を取りだし、眺めた。これは「被害者」を持ち運ぶ際に使用する「携帯死霊ケース」なのだ。俺が動画の再生を止め、携帯をしまいかけると、ふいに手の中で携帯電話が呼びだし音を鳴らした。


「……もしもし、カロン?沙衣だけど、待ち合わせ場所についたわ。たしか「N区3―5―9の第一天界ビルでいいのよね?」


「……ああ。それがどうした」


「このビル、四階から九階まで「アンフィスバエナ・フィジカルプロジェクト」のオフィスが入ってるのよ。知ってた?」


「何だって、本当か?」


「本当よ。テナント表示に出てるもの。これってこれから会う相手と関係があるのかしら」


 沙衣の問いかけは、俺の中の明石に対する疑惑を増大させた。


「わからん……とにかく俺もすぐに行く。後は出たとこ勝負だ」


「わかったわ。じゃあ待ってるわね」


 沙衣との通話を終えた俺は、電車を降りるべく席を立った。これから会う相手はハンク・由沢ゆざわといって荒木丈二をタイトルマッチで再起不能にした、かつての対戦相手なのだ。


               ※


「第一天界ビル」のカフェで俺と沙衣の前に現れたのは、浅黒い肌の精悍な男性だった。


「はじめまして、由沢と申します」


 ハンクは如才ない笑みを浮かべ、俺たちに握手を求めてきた。


「朧川です。……時に、このビルにはどういった用向きでいらっしゃったんですか?」


「身体のメンテナンスですよ。以前、世話になったトレーナーがここで東洋式の施療院を開いてましてね。僕も喘息の発作を持っているので鍼治療をしに時々、来ているんです」


 俺はハンクの健康的な表情を見て、意外の念に打たれた。そういった持病を持っているようには見えなかったからだ。


「ところでハンクさん、荒木丈二さんをご存じですね?」


 俺が本題に入ると、ハンクは真剣な表情になってうなずいた。


「その話題ですか。……もちろん、知っています。彼の死は僕にとっても残念な出来事でした。なにしろ彼の引退のきっかけを作った人間ですからね。何とか再起して欲しいと願っていた矢先でもありました」


 ハンクは沈痛な面持ちで絞り出すように言うと、拳を固く握りしめた。


「荒木さんは肘を痛めて辞められたとのことですが、ハンクさんから見て彼の負傷は致命的なものに見えましたか?」


「……ええ、残念ながら。彼の武器はフックで、たまたま僕のパンチが彼の肘をまともに砕いてしまったんです。ストレートが弱い彼にしてみれば、フックを封じられることは命を奪われるのに等しかったはずです」


「なるほど。……話は変わりますが、最近、荒木さんとゆかりのある何人かが不慮の事故で亡くなられています。ご存じですか?」


 俺が「復讐者」の話題を持ちだすと、ハンクの顔色がさっと変わった。


「やはりそれが本題でしたか。先日も別の刑事さんが僕のところに見えられましたよ。荒木さんの代理を語る人物が復讐をして回っているという話でしょう?」


「その通りです。そしてあなたは先週、その「復讐者」の襲撃を受けていらっしゃる」


 俺が核心に切り込むと、ハンクの目が驚愕に見開かれた。


「なぜそれを……」


「刑事には一切、打ち明けてないのに……ですか?そうですね、しかし無意識に呟かれることはあるでしょう?」


「そうか、SNSでの知人とのやり取りが漏れたんですね。……その通りです。黒づくめの男と一戦、交えかけました。しかし僕が突然、喘息の発作で倒れると、相手は逃げていきました。理由はわかりません。倒すまでもない相手と思ったのかもしれません」


「なるほど、そう言うことだったんですか。……では、一つうかがいましょう。あなたを襲った黒づくめの人物は、このような黒のスーツとマスクを 着用していましたか?」


 俺は携帯を取りだすと、スーツを着た人物同士が戦っている動画を見せた。


「これは……」


 動画に目を落とした瞬間、ハンクは絶句した。やはり俺たちを襲ったのと同一人物か。


「このスーツはあるプロジェクトのために開発された物だと、私は考えています」


「あるプロジェクト……」


「身体機能を高めるスーツを着用した人間同士の格闘を実現する、プロジェクトです。このビルにそのオフィスがあるのですが、ご存じではありませんか?」


 ハンクが一瞬、躊躇するように口をつぐんだ、その時だった。


「……ハンクさん、まだお帰りになってなかったんですね」


 ふいに横合いから声がして、小柄な人影が姿を現した。


「ああ、先生。ちょっと人と会わなくてはならなかったもので」


 ハンクに先生と呼ばれた男性は白い施術服を着ていた。どうやら元トレーナーというのは、この人物らしかった。


「すみません、ちょっとよろしいですか?」


 俺が警察手帳を見せると、白衣の人物は目を丸くした。


「警察の方ですか?ハンクさんが何か事件と関係でも?」


「ええ、実は最近、巷を騒がせている暴漢がハンクさんを襲ったと聞きましてね。話を伺っていたんです」


 俺が簡潔に話をまとめると、男性は納得がいったというように頷いた。


「その話なら、私も聞きました。……申し遅れましたが、私はこのビルの三階で東洋式の施療院を営んでいる秦陽海はたあきみと言います。ハンクさんとは以前、ボクシングのトレーナーをしていた時からのお付き合いで、時々、喘息の治療にいらしゃってるんです」


「なるほど、では暴漢に襲われた時に発作が出たという話もお聞き及びですね?」


「はい。なんでも黒づくめの人物だったとか……」


「先生、刑事さんがおっしゃるには、このビルに入っている会社が、その人物が着ていたスーツを作っている会社だというんだ……」


 ハンクに囁かれ、陽海の目がすっと細くなった。


「面白いですね……」


 俺が次の質問を準備していると、上着の内側で何かが動く感触があった。あらためてみると「死霊ケース」の蓋がかたかたと小刻みに鳴っていた。


「おい、どうしたんだ……」


 俺がケースの中にいる「被害者」に向かって問いかけた、その時だった。

 突然、店の外で悲鳴のような声が上がったかと思うと、ドアから二メートルはあろうかという巨漢が姿を現した。巨漢は入院患者のような白い衣服に身を包み、血走った目で俺たちの方を見た。


「がああっ」


 巨漢は足元のテーブルを蹴散らすと、俺たちのいる方に大股で近づいてきた。そしてふいに足を止めると、なぜか俺を見下ろして薄笑いを浮かべた。


「ちょうどいい……こいつを殺ってすっきりしよう」


 頭の中で警戒シグナルが点滅し、俺は巨漢が手を伸ばすより一瞬早く後方に飛び退った。


「むっ?」


 巨漢の腕が空を切り、壁際で息を荒くしている俺を忌々しげに睨んだ。


 ――カロン、わしに代われ。今ならエネルギーも満タンだ。


 ふいに俺の中で声が響いた。やつだ。「死神」が目を覚ましたのだ。


 ――いったいこいつは何なんだ、旦那。


 ――わしにもわからん。だが相当厄介な相手であることは確かだ。


 俺は左手にはめている手袋をそっとずらした。よし、真っ黒だ。戦うには十分だろう。


 俺は人間狩りの喜びに燃えている巨漢の目を見返すと、目を閉じて全身の力を抜いた。


              〈第十回に続く〉

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