第8話
「それじゃ、また明日」
美月先輩は、電車通学だ。
城戸が丘高校の校門を出てまっすぐ行けば、ローカル線のこじんまりとした駅がある。部活が終わった後……といっても結局いつもだらだらしゃべったり、各々好き勝手に読書に励んだりして、完全下校のチャイムを聞くだけなのだけど……校門の前で、徒歩通学の俺と先輩は別れる。
「今日はその……ありがとうございました」
「またいつでも来てね」
上原さんも手を振る側だった。
長い黒髪を揺らしながら、若干猫背気味の背中が去って行ってしまうと、なんとも言えない間が訪れた。
「……じゃ、俺こっちだから」
「私もそっち」
『俺こっちだから』はぼっち語でさようならだって習わなかった?
「別に、30分にも満たないんだから。当たり障りの無いこと話して、やり過ごせばいいじゃだけじゃない、そんな顔しなくても」
そんなことを言って、上原さんはなんだか少し眩しそうに笑った。
「不器用なんだね、平山くんは」
「器用にやれたら隅っこで縮こまってませんよ……」
別に今の状況が死ぬほどいやというわけでもないが、最良だとも思わない。教室に趣味だのなんだの包み隠さず色々好き勝手におしゃべりが出来る友達がいて、ついでなら女子からちやほやされたりしながら一生暮らして行ければ、それに越したことは無いだろう。ハーレム主人公になりたいだけの人生だった……。
眩しくなるのは俺の方なんだ。異世界転生だのなんだの言いながら、結局上原さんはクラスでちゃんとみんなと仲良くして、いつも笑顔でいる。俺なんかより、よっぽどすごい。
ともあれ、ずっと立ち止まっているわけにも行かない。この同級生と何を話せば良いかわからないことに変わりは無く、そもそも隣り合って歩くのも気兼ねして、俺はゆっくりと歩き始める。
日が大分長くなったとはいえ、まだ夏至の頃には及ばない。山間の盆地にあるこの街の日は山の向こうへと落ち、まばらな街灯がぽつぽつと灯る。
「……というかさ」
「うん?」
投げかけた声が思ったより近くから返ってきて、振り返った。その視線を躱すみたいに、すっと隣に並ぶ上原さん。
「今さらだけど、なんで異世界転生したいなんて言ったの」
流し目に見た上原さんは、白い頬を赤らめて、こちらを横睨み。
「本当、今さらその話蒸し返す? 平山くんは空気読めないよね……」
「いや、そういえばなんかそこ曖昧になってたなと思って……なんか好きなんだなっていうのは聞いたけど、それってあんなところで呟くほどの話でも無いし。俺、襟元締め上げられたりしたんだから、そのくらい聞いてもいいと思うんだよね」
空気が読めないなんて、自分でも良くわかってる。なお自分で良くわかってることほど人に言われると傷が深い現象に名前を付けたい。
「なんだろうね。桜の森の満開の下、願い事をしたら叶いそうな気、するじゃない」
そんなことを軽い調子で言う上原さんに、眉根を寄せた。
「桜の森の満開の下じゃ、怖い桜の木なクチですけどね……確かに、あの景色は物語的だって思ったよ。でも、そういうことじゃなくてさ……」
「異世界に行きたいなんて願いは、そんなにまともじゃないかしら?」
俺を追い越して、振り返る上原さん。
言葉は相変わらず軽い調子だったけれど、その目はやけに強い色を帯びていた気がした。気のせいだったかも知れない。夜に向かう空を背にこちらを見た淡い色の瞳。消えゆく夕映えの残滓を映し込んで、赤色にも見えた光。
「……まともじゃないよ」
「……知ってる」
ぼそりと絞り出した声に、すぐさま返ってくる言葉。追い越したままに、同級生の女の子は綺麗な髪を揺らして、歩き出す。だから、表情はわからなかった。
「でも、平山くんもまともじゃない方よね」
「どうだろうな……てか、そんなに仲良くも無い人にまともじゃない呼ばわりされたら普通の人怒ると思うんですけど? あと、願いとかそういう話じゃ無くて俺自体がまともじゃないことになってるのなんで?」
「クラスの誰かから陰口言われても、じっと息をひそめていられるなんて、私には出来ないなって」
「朝の聞いてたのかよ……」
ため息をついて、上原さんの後を追う。
本当、色々あっても知らない顔で澄ましていたり……俺にはそんな器用な真似は出来はしない。
学校を囲む塀が途切れる交差点。上原さんは、まっすぐ行く道を指さしてみせた。そちらは、最近マンションがいくつか建ちつつある、新興の住宅街だ。俺の家は昔からある、平たい家々が並ぶ住宅街。
「それじゃあね、平山くん。また明日」
「おう……また、明日」
木造の古い家の屋根の向こうに覗くコンクリートの高い影。東京からの転校生、上原さんの家もあの一室なんだろうか。
振り返ることも無く、歩き去って行く同級生の女の子の背中を、しばらく見ていた。
上原さんは異世界転生できない 紫花 @lavandula
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