第5話

 小説を書き始めたのはいつぐらいのことだったろうか。

 そんなに読書好きな子供であった記憶はない。ただ、運動全般得意でなかったから、自然と家の中で遊びがちになって、ラノベやらコミックやらに時間を費やすようになったんだった気がする。

 創作の中のキャラに憧れた。勇者ごっことかしたよね。なんとかの剣みたいなの、木の棒を削って作ったりしたよね。中学生ぐらいまでは引きずるよね。え? そんな経験無い? そうですか……ボクのこと忘れてください。

 物語の世界に行きたいと願った。たぶんその果てに……自分で物語を作り始めたんだったと思う。

 理解できないわけではなかったんだ。異世界に行きたいとか、それに近いことを小さい頃願っていたはずで。

 でも受け入れられなかったのは、そういう願いは言葉にならないものだと、言葉にしてしまったら意味が無いと俺が頑なに信じているからで……。

 ……同族嫌悪の類いでは無かったと、信じたい。

 


 どさり、と取り落した鞄が音を立てた。


「どうしてこうなった……」


 翌日の放課後の事だ。

 図書室に寄り道してから別棟校舎に向かった俺は、部室の前で立ち尽くすことになる。

 文芸部室の様子をドアの隙間から覗き込もうとしていた不審者、悪戯のバレた子猫のように全身を震わせて、陽射しの色の髪がふわりと揺れる。振り返ったのは、異世界転生希望の美少女地雷女、上原ひなたさんであった。今度から俺がC-4と言ったら上原さんの隠語だと思ってもらいたい。


「ひ、平山くんどうしてここに」

「こっちの台詞ですけど……」


 おかしい、昨日確かに縁を切ったはずなのに。えんがちょえんがちょ。

 教室では相変わらずのお淑やかな様子で、今日は俺もガン見したりしなかったので、挨拶を交わすこともなく。一件落着とほっと一息ついたばかりだというのに。


「その……教室出るとこ見たから来たのに」

「その答えで俺が納得すると思ってるなら、もしかして上原さんって馬鹿なのかしら、あと、ストーカーなのかしら」

「し、失礼ね! そ、そのこれは……ストーカーとかじゃなくて」


 もじもじとテンプレのように人差し指の先をぐにぐにさせる同級生の女の子。


「まだ平山くんのこと信じきれないっていうか……異世界についてもうちょっとちゃんと話し合う必要があると思ったらからというか……」


 異世界についてもうちょっとちゃんと話し合う必要がある(New!)

 なんだろうな……異世界へのゲートが開いちゃった国の安全保障会議か何かか。


「俺、今は異世界について考えたい気分じゃあんまりないんだけど。なんなら今後当面考える気分になる予定ないんだけど。あと部室来たところで俺が上原さんのこと言いふらす相手なんかいないって何度言ったら」

「でも教室に誰かいるみたいだけど……」

「……ん?」


 上原さんの存在はちょっと脇においておいて、部室の扉へと歩み寄る。

 特に中の様子を伺うこともせず、俺は扉をあけ放った。


「遅かったわね、裕太くん」


 薄日の差し込む部室の中には、ぽつりと椅子に座って、膝の上に置いた本に視線を落とす少女が一人いた。頬に流れ落ちた黒髪の一房を、すくい上げて、耳にかける。俺の方に視線もよこさず、本のページをめくる手も止めないままの挨拶。それもいつものことだ。


「それ昨日、一昨日と来なかった人が言います?」

「別に悪いとは言っていないわ。いつも私に会うことだけを学校生活の楽しみに部活にいそしむ裕太くんが、珍しいと思っただけ」

「俺の部活への動機について、だいぶ見解に相違がありますね……」

「で、どうしたの?」


 そこで初めて顔を上げた、銀縁の眼鏡に腰まで届こうかという長い黒髪の、いかにも文学少女といった見た目の――――文芸部長。

 浅間美月あさまみつき先輩。3年生だというのにまだ文芸部室に根を張っている、俺以外の唯一の文芸部員。この世界の果ての文芸部室の主。


「ちょっと、部室の前で対人地雷の爆発に巻き込まれまして」

「だ、誰が……っ!」


 美月先輩の存在に憚ってか小声ながら、髪の毛が逆立ちそうにボルテージを急上昇させる上原さん。やめてびりびりはやめて。現代異能モノがまた流行る日はくるだろうか。


「どんな事情があるのか知れないけれど、10人中10人が裕太くんが悪いって言うんじゃないかしら、外見的に」

「世の中女の子に甘すぎでしょう……?」

「来世に期待することね」


 こういうこと言う人いるから、すぐ異世界転生したくなる人が生まれちゃうと思うんですよね。俺も美少女の来世が約束されているなら転生にもやぶさかではない……。


「で、とりあえず無関係の通りすがりの人とかでないのなら、紹介なりなんなりしてくれると嬉しいのだけど」

「まぁそうですね……ごめん、上原さん」

「あ、う……うん」


 俺の素直な謝罪の言葉に、拍子抜けした顔をする同級生。

 後ろに隠れるように立っていた彼女に、前に出るように促した。


「んと、文芸部長の浅間美月先輩。3年の優等生で結構有名人なんだけど、上原さんは転(校)生だからあんま知らないかな」

「今なんか変なニュアンス乗せたよね? イントネーション変だったよね?」

「浅間美月先輩」

「お名前だけ聞いたことは……」


 美月先輩が流れるように会釈する。慌てて上原さんはぺこりと頭を下げた。


「で、こっちは上原ひなたさん。俺の同級生で」

「よ、よろしくお願いします」

「異世界転生とか興味あるみたいなんで、とりあえず美月先輩に対処をいてぇえっ!?」


 下半身を襲った衝撃に文字通り飛び上がった。


「な、なななな何普通に話してるのおぉぉぉっ!!」

 

 絶叫とともに、強烈なキックを尻に叩き込まれたからなのだけど。

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