第3話
別棟校舎は俺達以外に人が居るのか疑わしいくらい、静かだった。
人の声も、足音さえも聞こえない。窓は閉め切られ、入り口の引き戸もご丁寧に閉じられていた。
ただ、目の前に迫った女の子の荒い吐息ばかりが聞こえる。
なんかね、ちょっといかがわしい感じに聞こえるかも知れないけれど、これ、人知らず始末されるのにはベストな状況。翌朝平山裕太が無残な姿で発見されてもおかしくない。
「ちょ、ちょっと落ち着いて、上原さん……!?」
襟元に絡みついた彼女の手首を必死に押さえる。
頭半分低いところから俺を睨み付けているのは、言うまでもなく、上原ひなたその人だった。
「ひ、人のことを地雷女だの、お嬢様気取りのぶりっ子だの、異世界転生チーレムバカだの好き勝手言って、よく落ち着いてとか言えたものね!」
「半分以上俺言ってない、どういうこと!?」
朝のにっこり挨拶の上原さんはどこへ行ってしまったというのか。
逆立った眉、引き結ばれた唇、わなわな震える襟元の握りこぶし。
なんなのこの人、教室に居る時とキャラ変わりすぎじゃないですかね、猫かぶり? 二重人格? オルタ化? 俺の見てないところで聖杯の泥にでも触っちゃったの?
「教室でもやたらと見てくるし、なんなの。言いたいことあるなら言ってよ!」
「そ……そりゃ、言いたいことは山ほどあるよ!」
華奢な手をなんとか振りほどいて、距離を取る。締めつけられていた喉がひゅーひゅー掠れた音を出した。流石にいきなり首根っこ掴まれて、俺も平静ではいられない。
「いきなり襲いかかって来て、なんなんだよ、異世界転生したいって。桜の木を見上げてロマンチックに言う願い事じゃないでしょう、心の中に秘めておけよ! 口に出した方が悪いに決まってるだろ、恥ずかしい奴だな! まるっきり地雷女じゃねぇか!」
こっちも荒く息をつく。言ってやったという満足感は、しかし、上原さんと目をあわせた瞬間に吹き飛んだ。
「……こ、殺してやる……」
「ひ、ひぇっ……! ま、待ってごめん落ち着いて……その程度のことで殺さないで」
「その程度のこととは何よ!」
「たかだか異世界転生したいって聞かれたぐらいで……ぷふっ」
「うわああああああ、やっぱり殺す! 君を殺して私も死ぬ! 一緒に異世界に行ければ文句ないでしょ!!」
「わ、悪かった、笑ったのは悪かったから、そんなの文句あるに決まってるでしょう!?」
いかな美少女とは言え、今日初めてまともに話をしたような相手と無理心中ならぬ無理転生とか、笑えなさすぎた。そんなことを口に出す上原さんも笑えない。
「と、とりあえず落ち着こう。俺も悪かったから……まずは話し合いから、ね?」
「ふーっ、ふーっ」
全身の毛を逆立てた猫みたいな威嚇音を出す同級生を、どうどうとなだめる。確かに上原さんの見た目は猫みたいなところあるけどさ……毛並みの良い血統書付きの方だと思っていました。
「ふーっ!」
「はいはいどうどう……」
教室椅子を並べて、座るように促した。
しぶしぶながら座って、息を落ち着けて。息をつく余裕があると、人間、我に返るものだ。
頬に赤色を差して、ひざの上でスカートを握りこむ、同級生の女の子。肩で息をしていたのが鎮まるにつれ、段々視線も下に落ちていく。人の目をちゃんと見れないのは後ろめたいことのある証拠と言います。
「……いきなり掴みかかったのは謝る……ごめんなさい」
「そりゃどうも」
どうってことないよと言いそうになるのをぐっと堪えて、俺は頬を掻いた。可愛い女の子に申し訳なさそうにされただけでついつい水に流してしまいたくなる、チョロ系男子ですまない……。
「そもそも上原さんはなんでこんな所にいるのさ」
「偶然通りかかって……」
「用も無きゃ、別棟校舎なんて通りかからないと思うんですけど……」
「……後をつけさせて貰ったの」
「そりゃ……また物騒な話ですね」
後をつけさせて貰った、なんてセリフを聞く機会、人生で何回も無いことだろう。出来れば一度も経験せずに終えたかった。
俺にとっては二回目。小学生の時にサッカー大会のクラス練習を、家の用事があるって嘘ついてさぼったの、つけられて公園でゲームしてるのバレてつるし上げられた時以来だな……なんでスポーツ苦手な子供にばっか厳しい場所なんでしょうね、小学校って。
童心の記憶にバッドトリップしかけた頭をふって、目の前の状況に戻ってくる。
俯いた上原さん。
「……だって心配になるじゃない。教室で意味深にこっち見てくるくせに、何も言わないし……陰で、異世界転生って言ってたとか言いふらされたらと思うと気が気じゃ無くて」
「あー……」
俺の視線気付かれてたのか。なおかつそういう意味に捉えられてたのか……。人付き合いの苦手な奴の視線なんて、なんとなく目が合ったら目を逸らすのも失礼な気がして、タイミングを逸して見続けちゃってるだけだからね。悪いことをした。
「だから、もう聞かれてしまった以上消すしか無いかなって」
前言撤回、簡単に人のこと消そうとする人に、気を遣う必要なんてありません。
「物騒すぎでしょう……」
誰にでも笑顔でお淑やかなクラスの美少女。その口から殺すだの消すだの耳にすることになろうとは世も末だ。
「別に誰にもしゃべったりしないから命までとらないでもらえないですかね。ほんと。俺、誰にも迷惑かけずに静かに生きていたいだけなんで……」
「そんなの信用出来ない……みんなちょっとでも変わったこと言う人がいるとすぐからかったり、馬鹿にしたりするくせに」
そんな、少しばかり声音の違う上原さんの言葉に、俺は後頭部を掻きやった。
まぁ世の中、色々マウントの取り合いとか? 大変みたいだからな……そういうのは社会に出てからやればいいのに。
俺なんかあまりに目立たないせいで、マウントをとりに来る奴も滅多に居ない。誰も山だと気付かない山に登ったところで何の自慢にもならないってところか。マウントだけに。
「ま、俺そんなこと話すような相手も居ないしさ……第一、俺が言ったところで誰も信じないと思うよ……」
以下想定シナリオ。
――――みんなー、上原さんって異世界転生したいらしいよー!
――――は? 平山何言ってんの、ウケる。
――――えー、何異世界転生とか、マジきもい。
――――上原さんこんなのに絡まれて大変だねー。
――――転生信じてんでしょ? この場でしてみてよ、はい、転生! 転生!
「何急に泣きそうになってるの……? 大丈夫?」
「……ごめんなんでもない、大丈夫だよ」
教室で囲まれて囃し立てるとか、やられた方は子供心にトラウマになるから止めるんだぞ、いいな。知り合いから聞いた話なんで、確かなことは言えませんけど?
「とにかく、異世界転生がどうのこうのなんて、むしろ俺の妄言扱いされるだろうしさ、安心して良いって」
「ふうん……」
まだ心の底から、という風では無いものの、矛を収めつつある上原さんに、安堵のため息をついた。
クラスの女の子と転生だの解脱だのを目指す危うい運命は回避できたようだ。
確かにみんなが輪廻の輪から抜け出せれば、幸福な世界が訪れるんだろう。静かで、怒りもなく、憎しみもなく、喜びも無い、無色な世界が。
だけど、俺はそんな世界より……穢くても、争いが絶えなくても、この感情に溢れた世界で生きていきたい!(最終決戦付近の主人公の決意)
そうして、平山裕太はいつもと変わらぬ日常を取り戻したのであった、エンドロール。
「ちなみに平山くんは、異世界転生についてどう思うの……」
……えー、ここでそういう方面にルート分岐する?
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