第2話

「……異世界転生したい」

「ブフォッ」


 噴き出してしまってから、慌てて口を塞いだけれど、もちろんそれで無かったことになるほど、世界は甘くなかった。

 ギギギ……と音が鳴りそうなぎこちなさで、女の子が振り向く。上原さんだと気付いたのは、その時だった。教室で、いつも澄まして微笑みを浮かべている様子とは似ても似つかぬ、引きつった顔の、陽差しの色をした髪の美少女。

 

「あ、いや……その、ごめん、お取り込み中のところ……?」

「…………っ!」


 その表情が目まぐるしく変化する。驚き、恥じらい、怒り、絶望……そして泣きそうに目尻に涙が浮かぶ。

 

「っ……いや、その」


 女の子の涙に弱くない男子なんて居ないだろう。狼狽した俺に、だけど彼女は何を言うでも無く。ただ、走り去ってしまった。


 それが昨日のこと。


――――泣かせてしまった。


 理由はどうあれ、そんな罪悪感に囚われて、悶々としてあまり眠れず今日という日を迎えたというのに、上原さんはいつも通りの完璧な笑顔。

 なんだっていうんだろう。

 昨日の事なんてさっぱり忘れられるくらいの些事だったのか、それとも、単に繕っているだけなのか。


――――あんなの、猫被ってるだけじゃねぇの。


 そんな言葉が、いつだか耳をかすめたことを思い出した。ほら、クラスの会話って耳に入ってきちゃうんだよね。会話する相手とか居ないから、みんなの会話が平等に。これも一つの平等の精神の在り方だと思いたい。

 机に突っ伏した腕の隙間からこっそりと……上原さんの微笑む横顔を見ていると、そんなのはやっかみだか負け惜しみに過ぎない気がする。そんな、裏表なんてなさそうな綺麗な綺麗な笑顔。


 だけど……昨日の表情を思い出すと……途端にその笑顔には裏がある可能性を探り当ててしまう。

 気丈に悲しいのや苦しいのを隠して笑う女の子とかなら、好きなんですけどねー。ちなみにそういう子はラノベやゲームの中でしか見たことないです。そもそも女の子に笑顔を向けられたことが少ない疑惑まである。さっき上原さんがくれた微笑みは、何年ぶりに見た笑顔だったろうか……。良い風に聞こえる表現だけど、その実は最低な内容だからな、俺の人生が。

 

 女の子って一緒に戦ったり素材を注いであげれば笑顔見せてくれるようになるもののはずなのになー……(ガチャガチャ


 ◆◇◆


 そんなまま、放課後を迎えた。


 ホームルームが引けると、みんな思い思いの行き先に散っていく。部活がある奴は荷物をさっさと纏めて教室を出て行くし、帰宅部連中は教室に残って放課後遊びに行く算段を立てている。人口密度が下がる好ましい時間帯だ。

 

 上原さんは、相変わらず女子グループの中心で談笑していた。昨日までと何も変わらない、いつも通りの彼女と、いつも通りの光景。


 もやもやしたままの気分をため息と一緒に吐き出して、鞄を持ち上げた。

 俺にだって放課後の部活動がある。え、平山くん部活入ってるの!? 意外ー、絶対帰宅部だと思ってた、アハハ。って言ってきた奴、俺はまだ許してないからな。


 平山裕太は文芸部員である(アニメタイトル風)

 

 部活と言ってもピンキリ。ほんとに寸暇を惜しんで練習に励む運動系の部活もあれば、とりあえず集まって好きなことを語らう同好会レベルの部活も多い。

 文芸部はと言えば、当然、ゆる部活物におあつらえ向きの部活動だった。ぶんげい! とかね。男が居る時点で無理かな。

 活動の成果物らしき物と言えば、半年に一度出す部誌のみ。ただ部室に集まって、本を読むも良し、執筆に励むも良し。きっとこの学校に文芸部が存在することさえ知らない人も多いんだろう。それでいい、部長がどう思うかは知れないけれど、文芸部なんてそういうもんであってほしい俺にとっては。


 2-3組のホームルームは、本校舎の二階。

 階段を下り、校舎の端へ端へと向かう。陽ざしの降り注ぐ渡り廊下に出るころには、人影なんてほとんどなくなっている。

 文芸部室のある別棟校舎への道の横に、桜の木があった。


 ……昨日の現場。

 

――――上原さんはちょうどあの辺りに立ってて……


 昨日も、部室に向かう途中だった。

 春の風に舞い上げられた花びらを纏って、何か遠い物を見るみたいに、桜を見上げて居た彼女。

 それは本当、物語の始まりの一場面のようだったのに。


――――異世界転生したい……。


「展開に意外性ありすぎでしょ……」


 ぼそりと呟いて、またため息が出た。

 世の中PVで期待させておきながら中身がっかりだったゲームやアニメなんてごまんとある。


「上原さんはPV地雷、とかな。ランキング入れそう」


 見た目は完璧なお嬢様系美少女のヒロインが実は家ではオタクで自堕落な残念系とか。使い古されすぎか。


 別棟校舎の中は、どこか薄暗い。ちょっと前までは、こちらの校舎でも普通に授業が行われていたんだという。だけど、少子化の昨今、本校舎だけで教室は十分足りておつりがくる。今や、存続しているんだかなんだかよくわからないマイナー部活の厄介払い先に過ぎない古びた校舎は、おおよそ高校生活世界の果てのような場所だった。

 プレートも張り紙もなく、知らない人には打ち捨てられた倉庫代わりにしか見えないだろう文芸部室。渋くなっている戸を、俺は軋ませながら開く。

 簡単な本棚と、カーテンが閉じられて薄暗い教室。時折掃除はしているものの、どこか、埃っぽい。古本屋を思わせる匂い。

 

 ぱちん、と電気のスイッチを入れた。文芸部の主は今日は未だ来てないみたいだった。昨日も結局来なかったし、流石に3年生ともなれば忙しいのかも知れない。

 鞄を机の上に放って、中からノートパソコンを取り出す。

 なんだかんだで、部長が居ると雑談してしまうし、一人の時間は貴重な執筆時間だ。


 そう思っていたのに、パソコンを開いたところで、引き戸が音を立てた。


「あれ先輩早かったですね……っ」


 若干の落胆とともに、振り返った瞬間。

 襟首を締め上げられた。


「ぐぇっ……な、なな……っ!?」


 認識が追いつかない。宙を彷徨った視線を下に向けると、この部屋の主とは似ても似つかない、淡い色の髪。大きな瞳が爛々と輝いて、至近距離からこちらを睨み付けてくる。昨日の続きみたいに、眦に涙を溜めて。


「だ、誰が地雷女かーっ!?」

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