樹木の恋人
三谷銀屋
樹木の恋人
(1)
「私の最後の作品が出来上がったから見に来てほしいの」
いつもと変わりのない電話越しでのおしゃべりの合間に、先生が何気ない調子でそう言った。先生の声は相変わらず、低く柔らかで心地よく、僕の鼓膜を、揺りかごのようにゆらりゆらりと振動させる。
3ヶ月前から先生が何か大きな作品に念入りに取りかかっているのは僕も知っていた。作っているのは、子供の背丈ほども高さがある大きな植木鉢だったはずだ。
しかし、「最後」とはどういうことだろう。
週末に先生の家に遊びに行く約束を交わして電話が切れた後、僕はようやく疑問を抱く。
先生はもう陶芸家をやめてしまうのだろうか?
先生は、僕が3ヶ月くらいの間通っていた陶芸教室の講師だった。
先生は長い髪を後ろでキリリと結び、色とりどりの粘土と釉薬で汚れたエプロンを着て、生徒たちの作業机の間をハキハキと歩き回っていた。先生は、まだ柔らかい粘土をつまんで生徒たちの作品をほんの少し修正する。その手が白磁の陶器のように透き通っていて眩しかった。
僕の作る不格好なカップや茶碗の作品数が4、5個程溜まった頃、とうとう先生は僕の恋人になった。その後、僕は陶芸教室をやめてしまった。
先生が「最後」と言ったのは、もしかして僕との結婚を考えて・・・・・・ということか。しかし、僕はまだ先生にプロポーズもしていないし、結婚も考えてはいなかった。先生のことが好きなのは確かだが、僕にとってはあくまで行きずりの恋に過ぎなかった。
約束通り、僕は次の土曜日の午後、先生の部屋を訪れた。
先生はニコニコ嬉しそうに笑って僕を部屋に招き入れた。陶芸教室の時とは違い、先生は髪を無造作におろしている。
部屋のフローリングの真ん中には、布で覆われてこんもりとした大きな物体があった。
先生がさっと布を外す。
口が広く開いた大きな壷には、なまこ釉という深い紺色の釉薬が全体的にかけられていて、その上には、星を散りばめて流したような光沢のある銀色の模様が天の川のように浮き出ていた。
シンプルな意匠ではあるが、大きな壷の表面に微妙な色の濃淡や模様を思い通りに表現するにはそれなりに高い技術が必要なのだろう。
「どうかしら?」
先生が無邪気に僕を見上げて尋ねる。
「いいんじゃないですか。品が良くて美しいです」
僕は彼女の傑作について感想を聞かれても、たいしたことは言えず、凡庸な言葉しか出てこない。
しかし、当の先生はとても満足そうだった。
「植木鉢・・・・・・ですか?」僕は、ちょっとおそるおそる聞いてみた。
「そうよ」
「お洒落なデザインだとは思うんですが・・・・・・大きすぎませんか? 何を植えるんですか?」
「私、よ」
「え?」
「私がこの中に入るの」
からかっているのかと思って先生の顔を見たが、彼女は真剣そのもののようだった。
(2)
「どうやって事情を話せば分かってもらえるか、分からないけど」
僕が部屋を訪ねてから2時間後、寝室のベッドに腰掛けた先生は、そう前置きしてから、タブレットの液晶画面を僕に見せようとしている。僕は隣に座り、彼女の手元をのぞき込む。シャワーを浴びたばかり先生からシャンプーのほのかで暖かな香りが匂った。
「これは、私の父なの」
確かに、液晶画面には白髪頭の初老の男性の写真が映っている。インターネットの検索で出てきたもののようだ。写真の下にはプロフィールも書いてある。
「大学の先生、ですか?」
そのホームページは日本の著名な研究者を一覧にまとめたものらしかった。先生のお父さんは、「植物細胞学」という学問の権威であるらしい。プロフィールには、研究に関する賞の受賞歴や著書についての記述がかなりのスペースをとって書かれている。そして、その最後の一行に一言「なお、200×年5月に失踪、その後行方不明」と記されていた。
「世間では父は失踪したことになっているわ」
僕が最後の一行に見入っていることに気がついたのか、先生がささやくように言った。
「したことになっている? ということは、失踪はしていないんですか?」
「・・・・・・」
先生は黙って、タブレットの液晶画面の上で指を滑らせた。次に先生が僕に見せた画面には、遠くの山並みを背景に二本の木が並んで立っている田園風景の写真が映っていた。
「これが父と母」
「え?」
「右が父で、左が母なの」
先生は確かに指で写真の二本の木を指し示していた。
僕は何と言っていいのかわからない。
「父は、人間が樹木化するための研究をしていたの。人間の細胞の組成を徐々に変えていき、最終的に人間は植物・・・・・・樹木になる」
信じられないような言葉が先生の口から紡がれ、僕の脳はもはや彼女の話す内容について行けそうになかった。
しかし、先生は、僕が神妙に自分の話を聞いてくれているものと理解したのか、ポツリポツリと自分の家族、そして父親が心血を注いでいた研究について語り出した。
(3)
父は研究は、人口増加、文明の進歩による地球の環境悪化をくい止めようとするためのものだったわ。
父は考えたの。人間が植物になる・・・・・・たとえば、樹木・・・・・・光を浴びて光合成をし、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出す・・・・・・動かず、活動せず・・・・・・。
全ての人間が樹木になる必要はない・・・・・・でも少なくとも地球上の人間の3人に1人が樹木化すれば、人間の社会活動は縮小し、文明はこれ以上の発展を止める。あとは、自然界の回復機能に従って、損なわれた自然がもとの姿を戻るのを待つだけ・・・・・・何千年、何万年をかけて・・・・・・。
それが、父が長年の研究の末に辿り着いた理論。
途方もない発想だったけど、父は本気だった。それまで築き上げたキャリアと信用を捨てても、夢中で「人間の樹木化」の研究にのめり込んでいった。やがて学界から異端扱いされて、冷たくあしらわれるようになっても、ね。
研究の実験台は母と私・・・・・・そして、父自身。
貴方も知っているでしょう? 私がとても少食なこと。
私は、昼間に日光に当たっていれば、光合成して体内で栄養素をつくることができるの。だから食べなくても本当は大丈夫。
私は、子供の時から、赤茶色い、甘ったるい飲み物を飲まされたわ。その薬品が徐々に私の細胞を変えていった。
じゃあなぜ、私が今に至っても樹木とならずに「人間」として動いたり生活できているんだ、って思うわよね?
私は、中学生の頃から薬を飲むのはやめていた。今考えると反抗期だったのだと思うけど、父の研究の実験台にされるのがイヤだったの。飲むふりをして全て捨てていたのよ。
でも、父も母もずっと薬を飲み続けていたわ。毎日、欠かさずに。
私が高校生の時、ある日、二人の肌にはところどころ、堅いひびわれた大きなかさぶたのようなものが斑状に現れたの。まるで木の幹のウロのように。
そのかさぶたが父と母の肌に現れてから二週間ばかりして、我が家は突然引っ越すことになったの。山の奥深い、過疎化した村に。
私は生徒が10人くらいしかいない小さな学校に通わなければならなかった。
森の奥に建つ古民家で暮らしながら、両親は確実に樹木化していった。
肌の赤いひび割れは日に日に大きくなり、そのひびの割れ目から新芽のような緑色の植物が生えてきた。
二人はあまり言葉を発しなくなったわ。日の出ているうちは、一日中家の庭で地べたに並んで腰をおろし、ニコニコしながら日光浴をしていた。
ある日、学校から帰ると二人の姿は見えなくなっていた。
代わりに庭に寄り添うように並んだ二本の木が立っていたの。
・・・・・・・・・・・・当たり前だけど、結局、地球上の人間の30%を樹木化するという父の夢は叶えられなかった。
自分の研究を誰からも認めてもらえない孤独と絶望から父が救われるためには、自分自身が樹木になって研究の成果を自分の肉体で証明するしかなかったのかもしれないわね。それには、母と・・・・・・そして、本当は私も道連れだったのだけど。 ・・・・・・いいえ、父は多分知っていたのね、私がずっと薬を飲んでいないことに。
両親が樹木化して実質的に1人取り残された私の手元には、父の研究データが残されたわ。いつかの未来、世の中が父の考えを受け入れるように変わった時に公表してほしいと願って私に託したのかもしれない。
でも私はこれを公表することはないと思う。
その代わり、私はこのデータを読み取って、父の薬・・・・・・人間を樹木化させる薬を再現してつくることができたわ。
(そういって、先生はシルクのナイトウェアの長い袖を捲って僕に見せた。彼女の腕は、赤茶色いひび割れに覆われていた。まるで木の幹のような)
ここ一ヶ月くらいずっと薬を飲んでたの。意外に効果が早いみたい・・・・・・私はもうすぐ樹木になるわ。あの植木鉢は、樹木になった私を植えるためのものよ。
なぜ今更って思うでしょう?
別に世の中に絶望したりしたわけじゃないの。ただ・・・・・・これからの人生は、もっと穏やかな時間の中で過ごしたい・・・・・・そう思っただけ。
日の光を浴びて光合成をし、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出す・・・・・・動くこともなく・・・・・・。
(4)
その夜の先生は、いつもよりも魅惑的だった。柔らかな肌と、斑模様に浮き出た「木の幹」の部分。確かに、前に先生に会った時にはなかったものだ。急速に樹木化してきているということなのか。
堅い鱗状になった先生の肌がゴツゴツと僕の肌を擦る感触が妙に官能的だった。そして、先生の肌から生えてきた柔らかな葉がサワサワと優しく僕をくすぐっていた。
朝起きると、先生は息をしていなかった。
僕はびっくりした。
先生の肌の赤茶色いひび割れは更に大きくなって、全身を覆っていた。
肌のひび割れからは、蔓状にぐねぐねとうねった枝が伸びてきている。枝には、まあるい小さな葉が群生するように生い茂り、その合間を縫って血の色のように赤い花の蕾のようなものが顔を見せ始めていた。
僕は気がついた。先生は死んだのではなく、動物としての呼吸をやめただけなのだ、と。
しばらくすると、先生の口の端や耳の穴からも蔓状の枝が伸びてきて、3時間ほどかけてゆっくりと先生の顔に絡みついた。
先生の体には蔓状にうねる枝と丸く小さな葉の群れが複雑怪奇に絡まりあって、かつて人間だった姿を完全に覆い尽くしていった。
僕は先生の体を持ち上げ、例の植木鉢に入れる。先生の体から生えた枝と葉っぱがわさわさと揺れた。
午後になってから僕は車の後部座席いっぱいに植木鉢ごと先生を乗せ、隣の県の山間地帯に向かった。
ベッドのサイドテーブルに地図が置いてあったのだ。
地図の上に赤く丸をつけられたその場所がどこであるか僕はすぐに理解した。
先生はその場所に行きたがっている。
そこには、赤い西日に照らされて二本の木が寄り添うように立っているのだろう。その真ん中に植木鉢に入った先生を置いてあげよう。先生も、二本の木も、木の葉をキラリキラリとそよがせながらきっと喜んでくれると思う。
バックミラー越しに、樹木化した先生の枝の赤い小さな花がポツンポツンと咲き出したのがチラリと見えた。
車の振動に合わせて、濃紺の植木鉢の上で赤い花たちが踊るようにゆらゆらと揺れている。
樹木の恋人 三谷銀屋 @mitsuyaginnya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます