後編

「俺じゃだめ、かな……?」


 私の左側で、ぽつりと落ちた言葉。

 私はその意味が分からず、訊き返した。


「今、何て……?」


 思わず顔を上げて佐藤さんの方を向くと、自分のグラスに目を落としている佐藤さんの横顔は、薄暗い店内でも分かるほど赤く染まっていた。


「恥ずかしいこと、二回も言わせないでよ……」


 照れたようにそう言った佐藤さんは、咳ばらいを一回してから体ごとこちらを向いた。まだ下を向いている。


「俺はずっと山城さんのこと見てた。俺なら山城さんのこと幸せにできる。だから――」


 佐藤さんは意を決したように顔を上げた。

 目が合う。


「俺と、付き合ってくれませんか――?」


 透き通った茶色い瞳に見つめられ、私たちの周りだけ時間が止まったような感覚に襲われる。

 今度は佐藤さんに何て言われたかが分かった。

 分かってしまった。

 理解したところで顔に血が上ってきた。私もきっと、佐藤さんと同じくらい真っ赤だ。


「さ、佐藤さんが、わ、私のことを……⁉」


「そ、そうだよ……」


「本当ですか?」


「本当だよ」


「嘘……じゃないですよね?」


「嘘じゃないって。信じてくれないの?」


「うっ……」


 正直まだ信じられない。

 ずっと追いかけてきた、ずっと好きだった、あの佐藤さんが……⁉


「佐藤さん」


「ん?」


「あの、さっきまで話してた、私が好きだった人なんですけど……」


 一旦深呼吸をし、はやる気持ちを押さえてから、私は再び口を開いた。


「……佐藤さんのことなんです。私、佐藤さんのことがずっと好きだった――」


「本当に⁉」


 今度は佐藤さんが、目を丸くして驚いている。


「本当ですよ」


 その表情が面白くて、なんだかかわいくて、私はちょっと笑ってしまった。


「何笑ってるの?」


 ちょっと怒ったようにそう言った佐藤さんだけど、目は笑っていた。


「何でもないですー」


「腹立つなあ」


 失恋してくすぶっていたはずの心が、いつの間にか穏やかになり、温かくなっていく。

 私たちはまた少しずつお酒を飲みながら喋り続け、時間はあっという間に過ぎていった。


             *   *   *


 明日は仕事がないと言えど、あまり遅くなるのも良くないということで、そろそろ出ようと佐藤さんが言った。

 私は席を立とうとする佐藤さんに、そういえば、と言って切り出した。


「まだ、肝心なことを聞いていないです」


「何?」


「私は佐藤さんに、好きってちゃんと言いました。佐藤さんは……?」


「あー……」


 あれ、言ってなかったっけなあ……と呟きながら、私をまっすぐに見つめる佐藤さん。


「俺は山城さん、いや……」


「?」


「桜のことが好きです」


「――⁉」


 唐突に下の名前で呼ばれた。あまりに突然の出来事で、私にとってはかなりの不意打ちだった。

 佐藤さんは優しく微笑んで、そして席を立った。


「ずるいです、佐藤さん。いや……」


「ん?」


 私は座ったまま、先に立った彼を上目遣いで見ながら言った。


「遼さん」


「……」


 遼さんは照れて横を向いてしまった。耳がさっきまでよりも赤くなっている。


「そ、そっちの方がずるい……」


「ふふふ」


 遼さんの様子を見てちょっと笑ってから、私も席を立とうとしたらふらついた。


「あっ――」


 そのまま前にいた遼さんの方に倒れこんでしまった。

 私はバランスを崩して思わず遼さんに抱きついてしまい、遼さんもわたしのことをとっさに支えてくれた。


 いきなり抱きついちゃった――⁉


 心臓が大きな音を立て始める。


「大丈夫? そういえば結構飲んでたような……」


 遼さんに心配そうに訊かれ、そういえば何杯飲んだっけ、とぼんやり考えるけれど思い出せるはずもなく。


「ご、ごめんなさい。大丈夫です……」


 小さな声でそう答えた。


「本当に? ちゃんと家に帰れる?」


「……」


 なんだか足元がふわふわしているような……。


「しょうがないなあ。……よかったら、うちに来る……?」


「――いいんですか?」


「桜さえ良ければ――」


「もちろんです!」


 私は遼さんの腕の中で返事をして、遼さんの顔を見上げて微笑んだ。


「じゃあ、行こうか」


 遼さんは私から体を離した。

 私がもう少しだけ抱きついていたかったなあ、なんて考えていたら、今度は遼さんが私の右手の指に彼の左手の指を絡めてきた。

 私の心臓はまた高鳴る。

 お互いの手の温もりを感じながら、来たときとは違う気持ちで私たちはお店を後にした。

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私の好きだった人 海月陽菜 @sea_moon

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