第一話 運命の出逢いが落ちて来る
精根尽き果てた様子でベッドに横たわっている彼を、私は膝立ちで見降ろしていた。
ふと、空気が張り詰めた感じがして私は周囲を見遣る。
「……何?」
性行為に及んだ後というのは、体の火照りの中で意識は心地良いまどろみに包まれるのが大体。
だけどそれを許してくれない緊張感が走ってくる。
――不快、ね。これじゃ狩り成就の余韻が冷めちゃうじゃないの。
私は露骨に唇の端を歪めた。でもベッドの彼が突然上体をガバッと起こした事には驚いてしまう。
「きゃあ!? いきなり何よ!」
回復が早いタイプなのかしら。第二ラウンドに移りたいっていうなら相手してあげるけどさ……。
「おお、これは上物のエナジーを持った女だな」
「はあ?」
エナジーって、なんの事? いや、活力的な意味なのは分かるけど、なんで今その単語を出してくるのかが分からない……。
ていうかこの男、さっきまでとは口調も違ってる気がするわ。
周囲から感じていた張り詰めた感じが、今は全部この男に集まってるってそう感じる。
「ふん」
男が手を伸ばしてきたのと私がベッドから飛び降りたのは、同時だった。
「乱暴ね。――アナタ、本当にさっきまでとは別人みたいだけど、どうしたのかしら?」
私の頬に汗が流れている。それは体の火照りの所為じゃない、この男に対する言いようの無い危機感からだわ。
「ほう、勘が良いな。これまでの女は皆すぐに我が手に落ちたのだがな」
これまでの女はすぐに落ちた、ですって?
「ふ、ふふっ」
「どうした。恐怖で気が動転でもしたか?」
「いいえ、大きく出たなって思って笑っちゃっただけよ。私だって狩りには自信が有るけど、それでも中にはそれなりの時間を掛けた相手も居たから」
なのによりによって簡単にホテルまで付いてきたこの男が、そんな大それた事を言ったのが可笑しくって――。
でも男が私に向けて手をかざしてきて、その手から何か波動のようなものが出て私の体を弾き飛ばしたのには、焦った。
「ぐうっ!」
床に転がされる。
結構、痛い。今裸なのだからそれもそうかと、そんな呑気な事は思えない――!
顔を上げた時には、もう男は目の前に居て、やっぱり私に向けて手を伸ばしてきて、私は、顔を掴まれた。
「愉快な女だが、我もヒマでは無い。すぐにでも貴様のエナジーを頂いて、我が世界ゼルトユニアへと帰らねばならん」
男がそんな訳の分からない事を言ってる時、私は彼の指の隙間だったお陰で見えた左目でその顔を見た。
右目は、丁度中指で塞がれていたから。
人間が出来る限界ギリギリって位の、怪しく歪んだ笑顔。
「ううっ!?」
変な声が出てしまったのは、その表情にビビったからじゃない。寧ろそこに対してはゾクリとして、少し興奮した位で。
でも私の顔を掴んでる手から何か力が抜かれている感覚が生じて、それはヤバいと思ったわ。
いえ、力っていうか精気? エナジーって、この精気の事なんだと理解が走る。
「おおこれは、やはりこれまでの者とは比較にならない強い闇のエナジーだ。これは
奸邪って何よ……。闇っていうのは、なんとなく分かるけどね……。
光だとか言われたら、そっちの方が反応に困ったわ……。ともあれ……。
「……アナタ、ゲームのし過ぎって訳じゃあ、無さそうね」
「ゲームという言葉はゼルトユニアにも有るぞニホン人。最も貴様達が言うのはコンピューターに依るゲームだろうがな」
「アナタ、本当になんなの?」
「中世ヨーロッパ風のファンタジー世界から来たもの、とでも言えば分かり易いか? だからコンピューターという物は無いが、剣と魔法……そして我のように人の体に
最後の部分にやたら含みを持たせて、男は「ククク」と笑った。
なんか話自体がおかしな方向へと向かっているわね。
でも、ファンタジーだとか、剣と魔法と魔物っていうものに対する一応の理解は私にも有るわ。
あの元恋人が、そういうのが出てくるゲームをよくやってたから……。
「――なんだ? エナジーが更に増大しているぞ」
「あー、また、思い出しちゃったじゃないの……」
幾ら踏ん切りが付いてるとはいえね……。自分から進んで楽しかった過去を思い出すなんて、気分の良いもんじゃないわよ……。
「貴様、一体何をしている!?」
「何って、何が……?」
なんか男――っていうかその中に憑いてる魔物が、急に驚いた顔をしてる。
「偉いものね……。驚いてたってちゃんと人間離れした表情の歪み方は、キープしてるんだから……」
「人間離れしているのは貴様の方だ! エナジーの増大が、止まらんだと……!」
何よ、うるさいわね……。こっちはただ元恋人の事を思い出して、
その思い出が闇のエナジー?――っていうのになって出てるんなら……。
あー、そうだ。
「ねえアナタ。もっとちゃんと、私からこのエナジーを抜き取ってよ。カラッカラになるまで……」
そしたら一緒にこの思い出も、私の中から出ていくかもしれないじゃない?
「くっ、無理だ! これ以上は、我の精神が持たん! も、もう焼け付くようなのだ!!」
男の中の魔物はそう言ったけど、私は彼が次に何をするかが読めてたから、先に手を打つ事にする。
「な!? 貴様、我の手を掴むんじゃない!」
「嫌よ。だってそしたらアナタ、私の顔から自分の手を離す気でしょう……」
魔物は必死で私の手を振り解こうとするけど、自分で言ってた精神が焼け付きそうな状態な所為か、上手く力が入らないみたい。
「あああああ! 熱い、熱いぞぉ!!」
「ふふっ」
「何が可笑しいぃ!」
「いえ、だってさ……。なんだか私今、ヤッてるみたいだなって思って……」
エナジーを抜き取られていると心は一種の脱力状態みたいになって、これが実は結構気持ち良いってなってきたのよ。
ふぅん、こういうタイプの快楽っていうのも有るものなのね。
しかも抜き取られても抜き取られても、ちっともあの人の思い出が消えて無くならないから、結果的にこの脱力系の快楽を味わえているだけっていうのが滑稽で――でもそんな自分の滑稽さにも、ちょっと感じてくるわ……。
「ヒイィィ! やめろ、やめろー、これ以上闇を増大させるなぁ!!」
「そんな事言わないで? ヤッてる時って熱くなるから、だからアナタもその熱さがきっと気持ち良くなってるんでしょ、ねえ?」
「グハアアア! い、意味が分からんんん! こ、怖い……貴様のその左目、何処までも空虚な闇の現れのようで、まるで奥底が見えんん!!」
私には勿論自分が今どんな目をしてるのか分からないけど、まあ、瞳孔が開いてるとかじゃあないだろうってそんな風に思ってたわ。
「アァァァァ! 闇のような黒から、黄金の眼へと変化していくぅ!?」
「えっ?」
ちょっと、見た目に何か変わってきてるっていうの?
「そ、その眼はまさかゼルトユニアに伝わる、
契りの転移……。
契り?
契りって……。それ、結婚の時の誓いみたいな事でしょ?
結婚……。くっ……!!
「グギャアア!!」
魔物が断末魔って言葉がお似合いな感じの絶叫を上げてビクンと大きく仰け反ったのは、多分私のエナジーが、さっきまでの比じゃない程膨れ上がったから。
でもそれはしょうがないわよ。今の私に結婚を連想させる言葉なんか言うからよ……。
あー、これはきっと死んだわね……。
といってもそれはあくまで魔物の精神がって事で、男の方はなんとか生きてるわよ。だって、なんか白目剥いて痙攣しながら口からは泡吹いてるもの……。
でもそんな事以上に、なんかヤバいって予感がする。
私の体からも、魔物が結局抜き取れ切れなくなって噴き出した分のも、合わせて尋常じゃない量の闇のエナジーが部屋中に渦巻いてるからよ!
エナジーの渦の中心で、空間が大きくバチバチいってる。これ、辺りの部屋でヤッてる他の客にも聞こえてるんじゃないの? だったら愉しんでる所凄く気の毒だなって思うけど!
バチバチいってる空間そのものに何か歪みが生じて、ガバッと開いて――。
その中から、それはボトリと音を立ててベッドの上に、落ちたわ……。
「人間の、男……?」
私が見間違える筈が無い。それは正しく人間の男だった。
ベッドに顔を半分埋もれさせているけど、でも若くて、しかもかなりのイイ男よ。
細く整った眉に長いまつげ、血色の良いハリの有る頬。髪は私のに系統の似た、でももっと赤みが強い――赤毛。
ニホンじゃ選択する人も少ないであろうその赤毛は、でも毛染め剤で染めたのとは違う、天然の艶がある。まるで生まれた時には既にその色だったかのように。
着ている服も独特だったわ。それこそゲームでよく出てくるような、ファンタジー風の貴族が着るみたいな質の良い絹みたいな生地の服。
でも装飾の類は殆ど無いけれど。
腰に鞘付きの剣を下げてる。この分厚く背中まで伸びてるマフラーみたいなのは、
とにかく、一目でこのニホンとは違う、何処か別の世界の男らしいのだけは、否応無しに理解出来た。
「……ん」
男は目を開いて体を起こす。
冷たいようで、でもとても落ち着いた印象の青い眼だわ。
立った姿を見ると、身長百七十後半はありそう。
カッと開かれた綺麗な青の眼で、男は私を見てる。無表情な感じがするのは、何か色々と考えているからかしら。
まるで悟りを開いてるかのような、そんな或る種の境地に達しているような眼。好きな感じのする眼――。
「……お前はなんだ。サキュバス、か?」
それが彼の第一声。
サキュバスって、確かセックスで男の精気を吸い取る妖艶な美女の見た目をした魔物の事、だったっけ。ゲームの敵としても出るのよね?
「違うわよ。私は人間の女」
サキュバス自体は夢のある存在だから嫌いじゃないけど、でも魔物っていう所がさっきのと同類な感じがして、それは嫌だとそう思う。
「だが、しかし……」
男は怪しむ素振りで私の事を舐め回すように見てる。
疑り深いわね、人間の男なら人間の女の事位きちんと見て分かりなさいよ。私は逆の立場としてちゃんと分かったっていうのにさ、もう。
「あ、もしかして私今黄金色の眼をしてる? そうだとしてそこに引っ掛かってるのなら、これには事情が有って――」
私はさっきの魔物とのやり取りを説明しようと、逸る思いで彼に近付く。
「――! 来るな!」
「何よ、だから私は人間だって言ってるでしょう」
しかし彼はあくまで気丈な態度で、私に指差して言う。
「全身裸の格好で、ここまで堂々と出来る人間の女が居るものか!」
「あ……」
忘れてたわ。そういえば私、ずっと裸なんだった……。
なんだ、そこを怪しんでたのね。だったら納得してあげるわよ……。
――第一話 完――
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