淀み

 キィ、と音を立ててドアを開ける。其の部屋に入った瞬間、空気の淀みを感じた。空気が重い。何かが溜まっている気がしてならない。


 もやっ。


 酸素は薄い。どよっと何かが蠢く気配。あはははは、え、昨日のさぁ、お前馬鹿じゃねえの、キャハハハハ……喧騒の中、誰も淀みに気付かない。

 嗚呼、これは誰か死ぬんじゃないか。瘴気が流れ込んで来ていて、このまま誰かが倒れる、そんな気がして。


 形容し難いもやもや。もやもやもや。何だか悪意が形となって現れたような。気持ち悪い。胃の中から波が押し寄せるように吐き気が連続する。どっ、と胃液の波が、喉という海岸に押し寄せる。

 いや、此処は教室。吐いて良い場所じゃない。せめてトイレまで、保健室には行けたら行こう。

 すっ、力は抜けて立ち上がれない。目の前がぼやけてゆく。あれ、もしかして、瘴気に当てられたのかい。もやもやもや。自分の上に淀みが乗っかる。嗚呼こうなっては動けない。重いなあ。皆の悪意だとか嫌悪だとかが淀みを生んで、僕の上に乗っかってるんだ。


 ざわめく群衆の中、僕は諦めそっと目を閉じた。重いなぁ。勉強したいのに出来てない焦り。自分だけ受験の終わっていない不安。大事なあの子がとられた嫉妬。嫌いな人に対する憎悪。色んな負の感情が僕の背中に伸し掛かる。肩が重い。痛いな、心に棘も刺さるんだよな。


 もやもやもや。視界がぼやける。ブワアッともやもやが一気に広がる。待って待って、置いてかないで。僕だけ此の淀みに置き去りにしないで助けて嗚呼怖い。息がしたいよ、喉に引っ掛かるよ。酸素が欲しい、二酸化炭素も淀みも全部いらない、今は酸素が欲しいんだ。

 目の前が白くぼやける。此処は何処か。僕は今ちゃんと息しているのだろうか。酸素が欲しい、酸素に溺れたい。嗚呼瞼も重いな。どんどん鉛の様になっていく。


 もう一度目を開けた時、背中がとても痛かった。沢山の淀みが乗っていたからだろうか。背中を反らすとバキバキと音を立てる。身体を捩ればポキポキと。気味が悪いな。

 はぁ肩が重いぜ。筋が張ってて悲鳴をあげてる。何かがまだいる。其処に確かに乗っていた。今鏡を見てしまったら、何かいるのを確認してしまいそうで。


 この空間から出たい。けど指一本動かすことは叶わない。動け動け動け。この身体は僕のもんだ。もやもやが乗っ取って良い筈が無い。ぼやぼやぼや。

 誰か僕を此の場所から引き摺り出してくれ。僕はもう淀みにやられてしまったのだから。

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