化粧
ドロドロドロ、雨に濡れ顔が溶けてゆく。其の過程は異形の様である。其の女は傘を差さない。何故と問われればきっと貴女は「愛の喪失」と答えるのであろう。
彼女が愛していたのは一方的だった。相手は何とも考えていなかった。そうとも知らずに尽くし、相手の好む顔となれるように努力は怠らなかった。――それが仇となり、彼女は今此処に立ってゐる。
ザァーと喚く雨の音。きっと其の中には彼女の声も隠れている。何故、どうして……其の言の葉は音とはならず、只宙ぶらりんと浮いているのだった。
雨は彼女の隠した傷を露にしていく。彼女が必死に隠した己の醜さを。彼女は確と知っていたのだ。人は等しく醜く在ることを。然し相手は知らぬ。彼女の顔を一瞥して罵った。そんな己の顔が一番醜く歪んでいるとも知らずに。
シャツは濡れて張り付く。膨よかな双璧を覆う下着は透ける。スカートは千切れそうに。ストッキングは伝線して。鞄は棄てられた。腕はダラリと落ちて。ヒールは折られた。顔は現在進行形で溶かされている。悲愴さの中に艶かしさを持つ彼女の心は美しい。然し彼の相手に穢されてしまった。だから此は一種のカタルシス。雨により浄化するのだ。醜さを隠し己を恥じたことを罰する為に、そして浄化される為に。それ故貴女は傘を差さぬ。只上を向いて、其の聖水に抗うこと無く浴び続けているのだ。
咽び哭く彼女の底からの声は相手には届かぬ。彼女は酷く脆い。誰かが支えねばならぬ。彼女に支柱は無い。只野に咲く華の様に。溶けゆく顔を守る者もゐぬ。いや、もう彼女は其の歪な顔を守る必要は無いのだから、いっそ全て流されてしまえ。一度真っ新な状態に戻すのだ。嗚呼天の涙よ、穢らわしく薄汚れてしまった濡れ鼠を浄化したまえ。穢れを落としたまえ。此れは彼女の禊だ。
穢れの大分落ちてきた彼女の顔には疑問詞ばかりが浮かぶ。何故、何、どうして。何で私じゃ駄目だったの。こんなに頑張ってきたのに。何がいけなかったの。どうして他の女が隣に居るの。許せない、許セない、許セナイ……。
小夜時雨、彼女は異形と化した。其の姿は原型を留めぬ。然し此れでいいのだ。彼女は漸く自分を愛せるようになったのだから。
真っ新なカンバスに無理矢理塗り絵をするように、顔を埋めてなどしなければ――或いは彼女が人として生まれなければ、こんなことにはならなかったのかもしれぬ。
月夜に浮かぶ彼女の姿は醜い。然し其れを醜いと感じるお前こそが最も醜いのだ。
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