第5話

 日が暮れて、風無は虚の中に戻った。野草粥と干し肉で腹は満たされているが眠たくはない。電波時計は止まってしまったので推測しかできないが、八時くらいだろう。

 月の明かりも虚のなかには十分に入ってこない。風無はリュックから懐中ラジオを取り出した。手回しハンドルで充電し、鳴らないラジオに落胆しながら静かな中ライトをつける。発光ダイオードの白い光が虚を照らした。

 懐中電灯がだんだん明るくなるような仕様ならいいのに。ボリューム上げるつまみ、ダイヤル式とか。風無が目を細めたときだった。

「うわっ!まぶし!」

「なんだ?」

「昼みたいよ!」

 風無が反射的にライトを向けると、その先には昼間の三人組がそろっていた。

「……風無、それどうにかしてくれない?目がおかしくなりそう」

 目をつぶったり覆ったりする三人を見て、風無はスイッチを切った。


 ちょうちんと松明とかがり火。虚の外で、それらがほのかにまわりを照らした。なにから話したものか。考えあぐねている三人を確認し、風無が口火を切る。

「ずっと思ってたことがあるんだ。ここがどこなのか。どう考えてもこんな台地僕の目的地にはなかったし、みんなの生活用品を見てるとますます分からなくなる。野草はいいとして火打ち石とか。それにそんなちょうちんやかがり火。実物みたのは初めてだよ。時代を超えてきたみたいだ」

 三人はアイコンタクトを行うと、代表して一人が答える。風満だった。

「……わかった。避けてたけど、話すね。信じる信じないは風無の自由だけど、あたしは嘘なんか話さないから」

 ――ここがどこか。間違いなく言えるのは風無のいた世界ではない。この部分は詳しい説明は分かっていないこともあるのでできない。でもあえて説明すると、ここは特殊な能力を持ち、それを使って暮らしている世界。

「特殊な、能力?」

 風無はつぶやいた。

「そう。私たち全員が持ってる、風を起こす力、風起こし。私たち風の民は風を起こすことを仕事にしてる」

 若葉が風無の問いに答え、あとを科戸が引き取る。

「仕事っていうより義務に近いか。俺たちが起こした風は風無たちの世界に渡るんだ。様子はよく分からないけど、知識としてそっちの世界が『ある』ってことは知ってるよ。ほかにもたぶん、風無が住んでいる世界とは違うと思う」

 科戸はおもむろに転がっている缶を指差した。

「例えば、あんな金物俺たちにはつくれない。それにさっきのまぶしい光も。ここにはあるものや簡単なつくりの道具で俺たちは暮らしてる。技術力にだいぶ差があるんだろうな」

 風無は無言で聞いていた。重くなる雰囲気に、若葉が切り出す。

「――いきなりこんな話、信じられないよね。信じろって言うほうが無理――」

「……ううん、なんとなくは分かってた。あまりにも生活感が違うし。あと風を起こすって」

 そこで風無は風満のほうを向く。

「君と最初に会ったとき、笛を吹いたと同時に風が吹いたよね。あれが風起こしなの?」

 三人はまた顔を見合わせた。

「うん、そうだよ。ほとんどの風の民は笛を使って風を起こすの。そこまで当てるなんて……。そこはすごいと思う。けど」

 風満は腰に手を当て、仁王立ちになる。

「いいかげん人のこと名前で呼んだらどうなの?もう君とか言うの禁止!」

 風無は教えられた名前を思い返した。

「じゃあ咲良さん、楓さん、赤松――」

「違うそういう意味じゃない!」

 科戸と若葉がくすりとするなか、風無は風満の剣幕にあっけにとられ、そして口元をゆるませた。

「……どうしたの?」

 その問いで初めて、自分が笑っていうことに気づく。自分でも分からない。なぜこんな気持ちになるのだろう。……そして唐突に、分かった。

「はじめてだったんだ……」

 ――楽しい。だから笑ってる。自分に言い聞かせるように、みんなに話すように。風無はどちらとも分からない口調になる。

「自分の名前を呼んでもらったのも、だれかを呼ぶのも」

 当たり前かもしれない。でも当たり前じゃなかったから。

「うれしかったんだ……」

 風満はそれを見て不敵な笑みを浮かべ、風無の背中を勢いよくたたく。その不意打ちをもろに喰らい、風無は頭から地面に倒れこんだ。

「なーに一人感傷にふけってるの」

 からかうような声だ。冗談のつもりなのだろう。

「痛いよ風満」

 起き上がりながらそうつぶやく少年に、場は一瞬静まり返る。

「……やっと名前で呼んでくれた」

 風満はにっこり笑った。

「あ、風満だけ」

「もちろん私たちも呼んでくれるでしょ?」

「風無顔土まみれ!」

「だれのせいだと……いたっ!」

 楠の下で、笑い声が響いた。


 月明かりの中、三人が森の中を歩く。三人はめいめいが持ってきた火を手に足元に気をつけながら進んでいた。

「科戸、結局みんな教えたみたいだね、名前」

「ほんと、あの名前は特別なのになんで初対面で教えるんだって、すごく怒ってたのにね」

 少女二人のからかいに、うるさいな、とすねた声が発せられた。

「会って、気が変わったんだよ。なんか教えたくなったというか」

 そこで一呼吸分おき、彼は口を開く。

「初めて会った気がしなかったから」


 静かになった楠の下で、風無は考えていた。

 これからのこと、ここのこと、むこうのこと。そして。

「神隠し、神隠しの森……」

 偶然、のはずだ。神隠しが多発したことから名前になった森。信じてはいなかったけど実際に神隠しに遭った。実は風無は内心それを願っていたこと。

「風を起こす人がいる、風の起こる場所――」

 科学的に考えてこれはどうなるのだろうか。いや、神隠しが起こった時点で、そういうのは考えないほうがいいのかもしれない。どっちにしろ、ここがどこでもいい。あそこでさえなければどこだっていい。

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