第1話

「着いたよ」

 森を歩いた二人の目の前には、どっしりとした楠が姿を見せていた。樹齢千年はありそうな貫禄だ。

「大きい……」

 風無は口をあけ、楠に見入っていた。風満は胸を張る。

「うん。あたしたちの守り神。御神木。手荒なことしないでよ。祟られるかもしれないし」

「え!?」

 そんな大事な木の場所にどうして来たんだ?風無の疑問にかまわず、風満にぐいっと引っ張られ、裏手へ引き込まれる。

楠が生えている場所は崖付近で、地震があれば地面ごと落ちそうなきわどい場所だ。

 いや、落ちる。まさか最初からこういうふうに――!?

 風無はバランスを崩したが、安堵する。楠の裏は周囲と違って地面があり、そこだけ出っ張っている格好だった。知らない者は、楠の裏は崖だと思うに違いない。

「一人暮らしは問題なし、雨が降ったら水垂れるけど、布張ったら大丈夫。寝れるようにしてあるし」

 そう風満が言った先には、楠の虚があった。

 人が入れる大きさだった。中にはなにか物品が見える。不動産屋も真っ青、というか紹介できない物件だ。

 風無は楠の虚を見て、風満を見る。彼女は満面の笑みだ。風無は引きつる。

「……冗談?」

「本気。中ちゃんとなってるし。ほら、さっさと入る!」

 押し込まれながらも、風無は必死に抵抗する。

「ちょっと待って寝るところは?下は土でしょ?夜になったら冷え込むって」

「敷物はあるよ。たぶんぼろっぼろだと思うけど。それが嫌なら、葉の繁ってるうちは木に登って適当なところで寝てね。それっ」

「うわっ!」

 風無はそうして暗い空間に足を踏み入れた。光を遮るかのように、風満が虚の入り口にいる。

「ここから出てもいいけど、絶対虚の反対側にはまわらないで。誰かに見つかったら面倒なことになる。おとなしくしてもらってたら助けるし、食べ物とかはそのうち持ってくるから」

 そう言うと、風満は走って行ってしまった。

「ちょ……」

 風無はため息をつくと、暗がりの中を見渡す。

 ぼろぼろになった敷物、木でできた小さな椅子と机。やや大きめの木箱もある。電化製品や機械類は一切ない。

「ここどこなんだろう……」

 風無の問いに、答える者はいなかった。


 長い黒髪を揺らしながら、少女が森の中を歩いていた。彼女は竹筒と野草の入った籠、巾着を持ち、楠まで来ると当たり前のように裏手に回る。

「ごめんください……。風無君、いる?」

 虚の中からは、物音ひとつない。警戒するよう言われたのか。少女はそう思い当たった。

「……心配しないで。私は風満に頼まれて、食べ物を持ってきたの」

 風無はゆっくりと奥からはいだして、訪問者と向き合った。

 背は風無より低く、白い着物の上に紫色の着物を重ねていた。儚げでおとなしそ

うな表情はどこか大和撫子を思い起こさせる。

「はい。食べられる野草と、巾着の中はお米。おかゆにして食べてね。何か欲しい物があったら言って」

 風無はやや渇いた声で言った。

「水……もう何時間も飲んでなくて…」

 少女は慌ててどこかへ行くと濡れた竹筒を持って戻ってきた。

「持ってきておいて良かった……はい」

 水滴がついた竹筒を受け取り、風無は一気に飲み干した。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 そして、しばらく無言の時間が続く。風無は手持ち無沙汰にしており、少女は目をぱちぱちさせながらしとやかに声を出した。

「――あ、ごめんなさい。名前まだ言ってなかったね。楓若葉といいます。よろしくね」

「よろしく――」

 風無は若葉のほうを見ると、すぐに目をそらした。

「え……っと、咲良風無君でいいのよね?もう言ってるけど。風無でいい?」

「あ、うん」

「私のことも、若葉でいいから」

「……呼べたら、呼ぶよ」

 そういって風無は黙り込んだ。

 空気が重たくなる。若葉が気を取り直したように口を開いた。

「そうだ。泉のある場所知ってる?ここから少し歩いたら桜の木があるの。その近くから出てるから。卯月のはじめだし、花も咲いているから分かると思うわ」

「ありがと」

「……じゃあ、そろそろ時間だから。行くね」

 若葉は足早に去っていった。

 風無は落ちている枝を集めて、マッチで火をつける。行ってしまった。また一人になった。

 考えてもしかたない。ひとまずは腹ごしらえだ。

 持っていた空きカンに、入るだけの米と野草を入れた。竹筒を持ち足早に教えられた泉の場所まで行き、水を汲む。桜、柳、楓、松。四本の木に囲まれて、思わずその雄大さに魅入る。桜は満開で、花が一片落ちてきた。それらを見た後楠のところに戻り、カンに水を入れて火にかける。一段と炎が大きくなった。

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