第40話 落とし所

アカバネの地を長らく占拠すると、迎撃態勢も日を追う毎に先鋭化されていった。

最早、当初のような接近戦は必要とせず、打ち捨てられた近代兵器を活用した戦法が取られる事となる。


例えば歩兵や戦車隊が押し寄せて来た場合。

錬金術師が大いに改造した手榴弾を、戦士や虎人隊が遠投の要領で投擲し、撃退する。

短・中距離ミサイルが飛来したならば、勇者の雷魔法により空中にて破壊。

大型爆弾が落とされたのなら、賢者が不思議な袋にて爆竹レベルにまで衰退させる。

それがしばらく続けられると人間側も打つ手無しの状態に陥ってしまう。

こうしてアカバネは、魔族と勇者が手を携えた事により、難攻不落の要衝と化したのである。



「戦局がいよいよ膠着してきたのう。ここいらが節目なのじゃが……」


「賢者さん。このまま戦争を続けてたら、いよいよ核兵器っていうのを使われちゃうかな?」


「あれは多大なリスクを伴うものなんじゃ。ゆえに人間も使用には躊躇する。いきなり投じる事はないが、長居してしまえばどこかで踏み切るやもしれんな」



ヒューゴたちは、いや、この地に集うもの全てが待ち焦がれた。

この不毛な戦いの終わりが訪れる日を。

戦闘により酷く荒廃してしまったアカバネは、かつての繁栄を思い出せないほどに破壊し尽くされていた。

ビル群は崩れ、飲屋街は焼かれ、あちこちの道路は瓦礫に沈んだ。

これ以上魔王軍に進撃を許してはならぬと、人間軍の部隊が送られ続ける。

ニンゲン世界で被害を広げないためだ。

ヒューゴはそれらを心苦しく思いつつも、同胞の未来のためと、押しよせる敵を撃退し続けた。


そんなある日の事。

宵闇に紛れ、1人の老人がヒューゴの元へと訪った。

狼人による警戒網に一切触れる事なく現れた人物を、ヒューゴとタロウは最敬礼をもって本陣で迎える事となる。



「魔総理大臣閣下! この様なむさ苦しい場に何用でございましょうや」


「やあヒューゴ君。久しぶりじゃのう。頑張ってるかね?」


「ハハッ。ニンゲンの軍は中々に精強。故に戦況は一進一退を繰り返しており……」


「ふぅん。本当かねぇ?」



老人の柔和な眼差しが、突如として異質なものとなった。

好々爺とは思えぬ鋭いものだ。

それは見るものを震え上がらせるほどの冷気を孕んでいた。

説明不可能な迫力を前にして、強者であるヒューゴだけでなく、歴戦の勇士であるタロウの心は凍てついたようになる。



「真にございます。ニンゲンどもは我ら魔族には思いもよらぬ力を有しております。どうぞ、お確かめいただきたく思います」



ヒューゴが水晶球を差し出して魔力を込めると、辺りはいつぞやの大海原へと変貌した。

前回と同様の幻覚魔法であり、頃合いを見て魔法が解かれる。

魔総理大臣の反応はどうかと思い、ヒューゴは恐る恐るそちらを見た。

すると、相手の想像を超える映像を見せられたお陰か、先ほど見せた険は遠のいていた。



「これは……凄まじいのう。この威力、通常種ではひとたまりもあるまい。力に魅入られ自我を失った邪竜種や、世の理を凌駕する幻狐種でもない限り、戦になるまいて」


「はい。そして、総力戦も避けるべきかと。互いに奥の手を出し合ったなら、地上は全て荒廃致します。そうなれば事態は占領どころではなくなりましょう」


「確かに一理ある。その考えは君の思いつきかな?」


「……いえ、周囲の者と話し合った結果にございます」


「ふむ。まぁよかろう」



流石に賢者の存在を明らかには出来なかった。

ニンゲン側の入れ知恵を知られれば、話が拗れるだけである。

ヒューゴは気持ちを改め、和平の理を説き続ける。

その一言一句を、魔総理大臣は頷きながら聞き、言葉が途切れるのを待った。

そしてヒューゴの提案の全容を把握すると、魔総理大臣は静かに言った。



「そなたの懸念は理解した。じゃがな、速戦で挑めば、その核兵器とやらを使わせずに済むのでは無いか?」


「速戦……にございますか」


「うむ。例えば、魔界に温存しているあらゆる魔の者に、世界の主要都市を襲わせる。そして有力者を虜にしたならば戦は終いじゃ。ニンゲンなど所詮弱き者ども。頭さえ押さえてしまえば残りは烏合の衆に過ぎん。そうではないか?」


「……恐れながら申し上げます。それは少々認識違いである、と感じられます」


「ほう。ワシの誤りである、とな。では申せ。その根拠を示すのだ」



ヒューゴはいよいよ賢者に頭の下がる思いだった。

話の展開どころか、魔総理の心の揺れ動きでさえも予見してみせたのだから。

懐からもう一つの水晶球を取り出し、今度は違う映像を映し出させた。


眼下に広がるのは、とある飲食店の様子だった。

忙しなく働く従業員の姿と、入れ替わり立ち替わり訪れる客の姿が目立つ。



「閣下。こちらは、平均的なニンゲンの働きぶりにございます」



いわゆる早回しの状態で映像は映されていた。

よって、等倍の時間をかけなくとも、1日の様子を確認することができる。



「この小娘、随分と働くのう。ニンゲンの奴隷も思ったよりやるようじゃ」


「いえ。このニンゲンは自由民。奴隷や犯罪者などではございません」


「な、なんじゃと! 朝も夜もなく、それどころか寝る間すら惜しんで働いておるではないか! これが自由民の姿と申すか!」


「ニンゲンの手強さの一つに、勤勉というものがあります」


「むむむ! 早う寝ろ! 風邪を引いても知らぬぞ!」



寝食を忘れて働く女性に対し、魔総理は一喝を浴びせた。

もちろんリアルタイムでの光景でないため、その苦言が届くことはない。


それから場面は切り替わる。

先ほどの女性が、しきりに頭を下げているシーンになった。

客からのクレームが入った為だ。

早回し状態は解除されているため、その細かなやり取りが全て聞き取る事ができた。

文句を矢継ぎ早に並べる男が騒ぎの元だ。

延々と同じ内容で怒りをぶつけている様子が、生々しさとともにヒューゴたちにも届けられる。



「ぬぅ……。なぜこうも罵られて黙っておる。この娘には意地や誇りは無いのか!?」


「そうではございません。これぞニンゲンが持つ強さの真骨頂というものです」


「真骨頂じゃと? 分かるように説明いたせ」


「守るべきもののために己を殺せる力、と申しましょうか」


「己を殺す……!」



魔総理は唾を大きく飲み込んでから、再び眼下の光景に釘付けとなった。

女性は何度も何度も謝罪を繰り返すが、男は一向に態度を軟化させない。

むしろ声を大きくしていくばかりであった。



「ニンゲンは、守るものを得たならば、無限の力を発揮します。家族や伴侶の為に死力を尽くそうとするのです」


「むむむ……!」


「彼らは決して弱くなどありません。いえ、ある意味で魔族よりも強い。身体的特徴だけで判断し、侮るなら、必ずや手痛い反撃を受けましょう。烏合の衆と断ずるには早計に過ぎるかと」


「ヒューゴよ、この極めて無礼な男は何じゃ! やはりニンゲンとは邪悪な心と残虐な嗜好を持っておるではないか! そのような輩どもと和平などと……」


「騒ぐのもヒト。堪えているのも、同じくヒト、にございます」


「むぅ……確かにその通りじゃが」


「閣下。どうかご再考を。ニンゲンは支配するには強大すぎます」


「ふぅむ。和平……のう」



幻覚の魔法は既に解除されていた。

付近に広がるのは廃墟と化したアカバネである。

魔総理はそれを一瞥すると、大きなため息を吐いた。



「サイタマを魔界化し、新たに得た領地を戦果とすべきやもしれぬな……」


「ご再考いただけましたか」


「その前に確認じゃ。魔界の境界線を広げるには大いなる力を必要とするため、おいそれと敷き換えられぬ」


「はい。存じております」


「また、作業は一昼夜で終わらぬ。新たな境界を定めるのに三日。三日三晩はかかる。その時を稼げるか?」


「無論にございます。これまで我が軍は、ニンゲンの迎撃に成功し続けております」


「わかった。これより元老院の死に損ない共に伝える。早ければ明日にでも、インテリウスを寄越すであろう」


「お聞き届けいただき、ありがとうございます!」


「発案者の『お友達』にも礼を言うようにな」



魔総理はそう言い残すと、体を闇夜に紛れさせ、そして消えた。

ヒューゴとタロウは並んで、しばらくの間頭を下げ続けた。

賢者の存在を見透かした上での和平案採用だ。

その懐の深さに感じ入り、ヒューゴの頬はゆっくりと湿るのだった。


後日、地上に派遣されたインテリウスは、かつての友と熱い握手を交わした。

そして魔王軍の保護のもと、境界線の敷き直し作業が完遂した。

こうしてイバラキ、トチギのみを占有していた魔界は、サイタマ全域にまで版図を塗り替えたのである。

ちなみにアカバネより少しだけ足を伸ばし、イタバシを過ぎてイケブクロまでをも支配下に治めたのだが、それは些細な話と言えよう。

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