最終話 小さな君がくれたもの

かくして、戦は終わった。

ヒューゴたちは遂に一兵も損なうことなく撮影村へと帰還した。

その軍旅に勇者一行が紛れてはいたが、それは些細な特異点である。


魔界の領土が膨らんだことにより、人間は大きな不便を強いられる事になった。

その最たるものが山手線である。

イケブクロが魔界入りしたため、インテリウスの審査無しには通過できなくなったのである。

つまりは環状線では無くなり、上野ー新宿間の地価は1割も下がってしまった。


それでも、だ。

戦雲が遠ざかったことにより、双方の民は安堵し、サイタマ民などは故郷へ戻る動きすら見せた。

それはサオトメンの動画が世に出回ったことにより、魔族の善良さが広く知られた為である。


更に言えば魔界の方が労働者に優しい。

賃金は総じて高く、常に定時上がりだ。

ニンゲン社会で擂り潰されるよりはと、少なくない人が魔界へと移住を開始したのである。

そういった風潮の皺寄せは、やはりこの人物の元へと流れ着いた。



「あぁ、もう……。仕事が全然減らないよぉ!」



築58年目を迎えた魔王城に、溜め息にも似た愚痴が吐かれた。

食卓には山のように書類が積み上がる。

それら全ては王の承認を必要としていた。

内政官のエクセレスは有能であったが、それでもヒューゴの負担をゼロにするには至らなかった。



「ヒューゴちゃん。お疲れさま。お茶入れたわよ」


「あぁ、リリアムさん。ありがと……」


「大変ねぇ。あまり根を詰めちゃダメよ?」



リリアムはそう言うと、書類を掻き分けてスペースを作り、湯気のたつティーカップを置いた。

ヒューゴは珠でも扱うかのように両手で優しく持ち、少しずつ啜る。

濃厚な香りと渋味、そしてハチミツの甘味が、彼の口内を心地よく騒がせた。



「ふぅ、美味しいなぁ」


「何度も言ってきたけど、無理は禁物よ? 体を壊したら大変なんだから」


「うん、分かってるよ。でも魔族だけじゃなく、ニンゲンも安心して暮らせる国を造りたいんだ。そのためにも強くならなくっちゃ」


「そう……。強くなるには、守るべきものが必要だって言ってたわよね?」


「あぁ、そうだね。前に話したよね」


「じゃあそろそろ子供が必要な頃合いじゃない? あなたの子を産んであげても良いわよ」


「話が唐突すぎてさ、むせる暇すら無かったよ」


「あらそう、残念ね。ヤリ捨てでも全然良かったのに」


「その時々発する笑えない冗談は、本当に勘弁してもらえないかな」


「なんてね、冗談めいた本音はさておき……」


「本音? 本音の要素があったの?」



リリアムは答えることなく、食卓の書類を整理し始めた。

文面を吟味している様子から、何らかの意図があって整頓しているようである。



「私も手伝うわ。とりあえず、野放図に散らかってる仕事を整えてあげる。少し時間がかかるから、それまで表で気晴らししてきたら?」


「良いの? 僕も何か手を動かさないと悪い気がしちゃうなぁ」


「庭にチーサが居るの。機嫌はあまり良くないわね」


「あぁ……最近構ってやれてないからなぁ」


「少しで良いから遊んであげてね」


「うん、分かったよ」



ヒューゴは苦笑を浮かべたままで外に出た。

眩しい太陽の日差しが目をくらませ、春の豊かな香りが鼻に漂う。

今日も魔界は清々しいほどの快晴である。

ヒューゴは息を大きく吸い込んで、命の芽吹きを知らせる空気を味わうと、その足を庭の方へと向けた。

すると、ヒューゴの姿を認めたチーサが跳び跳ねた。



「もっも!」



鳴き声がいくらか固いのは、ご機嫌斜めのせいである。

ヒューゴは申し訳なさそうに小さく頭を下げつつ、すぐにチーサの頭を撫でてやる。

すると彼女は『まぁ良いか』とばかりに強い鼻息を吐いた。



「それにしてもねぇ、僕らはよくもここまで来たもんだね」


「もっも」


「最初は僕、ひとりぼっちでさ。凄く寂しかったんだ。そんな中、君はやって来てくれたよね。お陰で心がとても救われたよ」


「もっも」


「あぁ、畑もだいぶ荒れちゃったね。忙しくてこっちにまで手が回って無かったよ。何か野菜でも植えようかな」



チーサと出会った家庭菜園は、背の低い雑草で埋め尽くされていた。

あれから随分と変わり果てたものだとヒューゴは感慨深くなる。

王の座について半年足らず。

今日までがむしゃらに働いてきたが、決して身内を蔑ろにする気は無かった。

それでも、この農地の荒れ具合では説得力など無いのだが。


ーーせっかくだからチーサの望むものを植えてあげよう。


そんな提案をしようとした矢先、ヒューゴに呼び声がかかる。



「おう、デカブツ。暇そうだな」


「大屋さん、何かご用ですか?」


「あの連中は勇者と言ったか。またバカ騒ぎを始めよった、何とかせい」


「あぁ……あの人たちは本当に破天荒というか、何というか」


「頼んだぞ、騒がしくて仕方ない」



要請に応じて、すぐに駆けつけようとしたその時だ。

大家が立ち去った反対の方向から、掠れ気味に『兄ィ』と叫ぶ声がする。

ヒューゴがそちらに目をやると、足をふらつかせるカリンの姿を見た。

その手には大量の書類がある。



「兄ィ、またまた追加をお持ちしやしたぁ」


「ええ!? それ、まさか今日の分じゃないよね?」


「ええと、何よりも早く片付けて欲しい緊急案件……らしいでさぁ」


「……本当に勘弁して欲しいなぁ」



捌ききれない程の仕事を抱えるなか、無情にも新規の書類が運ばれようとしていた。

ヒューゴがその様子を項垂れながら見送った、まさにその時だ

今度はエクセレスがケンタウロスに跨がってヒューゴの元へとやってきた。



「ヒューゴさま、先日依頼したお仕事はいかがですかぁあい!」


「まだ終わってないよ、もう少し待ってて」


「あらぁ、緊急のぉ対応をお願いしていたハズですがぁぁあ?」


「あのね、寄越す仕事が全て緊急じゃないか。これじゃあどれを優先して良いか分からないよ?」


「全部をぉ優先させればぁ良いのでぇす!」


「何を言ってんのか全然分からないよ!」



苦難はここで終わらない。

極めつけとばかりに、ブライが気を吐きながらヒューゴの元へとやって来たのだ。



「オウオウ! 新しい練兵場の話はいつ進むんだオウ!」


「ブライさん、その話はもう少し待ってと言ったでしょう?」


「うるせぇ! こちとら狭苦しい中、どうにか工夫して堪えてんだ! これ以上闇雲に我慢してられっかよ!」



クレームである。

最近のブライは妙に饒舌なため、一度捕まると激しい愚痴を浴びせられる。

まともに話を聞いていたなら陽が暮れてしまう程だ。

どうにかクレーマーを宥めようとしていると、今度は大家が痺れを切らして、再びヒューゴの元へとやって来た。



「デカブツ、何をグズグズしているのか! 早く奴等を追っ払え!」


「兄ィ、書類の置き場に悩んだんで、ひとまず机の上に置いときやしたぜ!」


「もっも!」


「ヒューゴさまぁ、必須優先のお仕事を片付けていただくまでぇ、私は帰りませんよぉおい!」


「おい聞いてんのか! 練兵場、それと宿舎だ! どんな計画で進められてんのか説明しやがれ!」


「もっもっもぉ!」


「ねぇヒューゴちゃん。整理はある程度できたから、もうお仕事再開しても平気よー」



誰もが好き勝手にヒューゴの袖を掴もうと声をかける。

何ら憚ることなく、慈愛の王への『進言』である。

だが、彼はあくまでも頑張り屋なだけであり、万能な人物ではない。

むしろ不完全であり、発展途上中の統治者なのである。

だから時にはこうして感情が暴走する事も珍しくはない。



「みんな! 魔王使いが荒すぎますよーーッ!」



善良なる魔王の声が響き渡る。

だがその叫びは、決して怒り一色に染まるものでは無かった。



ー終ー

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