第30話 僕が本当に望んだもの

苦手なものでも、やれば出来るようになる。

ヒューゴはまさにそれを実感している最中だ。

王として君臨し、配下を導いていくこと。

当初こそ不可能であると思われたのだが、さすがに一ヶ月も過ぎれば慣れが生じる。



「はいテイク1、スタート!」


「グワッハッハ! 人の世の蹂躙など容易いわ。我ら強者は焦ることなく、超然としておれば良いのだ!」



慣れたとは言えど、やはり役者スイッチは必要とした。

その都度その都度に掛け声が求められた。

大抵はブライの役目となる。



「はい、よぉいスタートッ!」


「この暴れ者の不忠者めが! 大人しく縛につき、悔悟の念を抱きつつ獄内へと墜ちよ!」



基本的にスイッチを入れるのは誰でも良い。

気持ちを切り替えられるだけの、語気や雰囲気があれば十分なのだ。

だが、エクセレスだけは問題があった。


ブライが所用で外した折りに、たまたま定例の演説が重なってしまった。

村の広場には何百人もの魔族が控えており、熱い視線をヒューゴへと注ぎ続けた。

これには彼も参る。

素の状態で挑むことは難しく、エクセレスに役者スイッチの番を頼んだのだが……。


それがマズかった。



「シーン28用意ぃ……スタァーートぉおい!」



歌うようにしてかけられた言葉のせいで、スイッチは不思議な案配で切り替えられてしまった。

結論から言えば、一応は別人格になることができた。

だが現れたのは、普段のオブスマスの如き逞しい王ではない。

生来の奥手な気質や、普段演じる豪胆さなどかなぐり捨て、ヒューゴはその場で舞い始めたのである。



「さぁ行こう! 僕らの未来はぁーー輝いているッ!」



誰に向けたかわからぬ笑顔。

目線は聴衆を見ているようでいて、見ていない。

異様に張りがあり、やたら通る声。

普通のトーンで喋ったとて、十分に言葉が伝わるにも関わらず。


この振るまいはミュージカルだ。

歌っては舞い、舞っては歌う。

感応したエクセレスは手元の竪琴を掻き鳴らし、間の言葉をつなぐという絶妙なコミュニケーションを見せ始める。



「一体どの世界へぇ導いてくださるのぉお!」


「君らが望む、まだ見ぬ世界さぁーー」


「そんなものが果たしてぇあるのかしらぁぁあぃ!」


「勇気をだして踏み出したならぁー」


「きっと必ず手に入るはずぅう」


「夢も」


「希望も」


「輝かしい未来もぉおーーッ!」



幕。

緞帳(どんちょう)は降りないが、演説は終わりだ。

それからは誰一人として動くことが叶わず、ヒューゴのスイッチが切れるまで、広場には静寂が居座り続けたという。

それから、この一件は後々ブライの耳にも届いた後に叱責される事となった。



「バカやってんじゃねぇ! 離反者でたらどーすんだ、離反者がよぉ!」


「ヒェッ! ごめんなさい、つい……」



いつもの報告会議でのお叱りだ。

ヒューゴは王、ブライは軍の長官という間柄なので、本来なら叱る間柄は逆転しているはずである。

だが逆転現象も見飽きた光景であり、エクセレスや、パイプ役として出席するインテリウスは顔色ひとつ変えやしない。



「ヒューゴ。私からも報告したいのだが、遊びは終わりにしてもらえないか?」


「あ、うん。ごめんねインテリウス」


「遊びって何だオラ。焼くぞボケ」


「かねてより魔界に食料を回して貰うよう要請していたが、断られた」


「……そう」


「向こうも余裕はない。特に、今年は不作だからな」



そもそも魔族が人間世界へと移り住んできた発端は『口減らし』である。

魔界の抱える人口はもはや飽和状態となっており、コップの縁から水が溢れるように、新天地を求めて移住したのだ。

当然の事ながら、先住民である人間とは大いに衝突した。

かつては人間の聖職者たちと大戦を繰り広げたものだが、ようやく現在のような着地点を見いだす事が出来た。

屈辱的で、恐ろしく不平等な関係性ではあるのだが、ギリギリとも言える間柄で共存が許されたのである。



「エクセレス、食料の備蓄状況は?」


「もって半月ぃぃ次の春までは持ちませぇぇん!」


「半月……」



今は真冬だ。

周辺を駆けずり回ったとて、容易に食料の確保など出来ようはずもない。

人間から恒常的に届けられていた物資など、ヒューゴが決起したその日から止められている。

せめて春まで反抗する事を控えていたなら……という想いは、抱くだけ無意味である。

だから口にする者はいない。

もう行動に移してしまった後なのだから。


一同がヒューゴに期待する事は、謝罪でも後悔でもない。

決断である。



「ヒューゴ。もう限界だろう。早く決めてくれ」


「オレも同意見だ。このままじゃ餓死するしかねえ」


「……戦争を、するしかないのかな」


「もはや避けられん。それとも自滅を待つか?」


「いやダメだ。せっかく独立した矢先に、そんな苦労をかけたくない」


「じゃあ決まりだな。明日ヒトを集めっからよぉ、バシッと頼むぜ?」


「……うん」



会合は散会した。

皆が皆、抱える仕事を片付けるために散っていった。

ヒューゴはひとり、中でジッと外の光景を眺めた。

木枯らしが砂埃をあげながら、枯れ草を凪ぐのが見える。

ヒューゴの聞くところによると、人間には農業に対する膨大な知識があり、大地一面を黄金の実りに変える事が出来るとのことだ。

今の境遇とは雲泥の差である。


成り行きで就いた位とはいえど、王は王である。

従う民を導く責がある。

なので現状の体たらくから、ただただ、己の不甲斐なさを恥じ入るばかりだ。


気が滅入るのを誤魔化すように、麓の村を訪れた。

兵士に店番、職人など、見かける誰もが必死に働いていた。

その懸命さが、今は辛く感じられる。



「あー、魔王サマだ!」


「ほんとだ! 魔王様!」



ヒューゴが通りを歩いていると、見知らぬ幼子に声をかけられた。

竜人と虎人の子供である。

どちらも憧れの感情だけを胸に抱いて、ヒューゴの目の前に並んだ。

その曇り無き瞳が辛い。

なので応じた言葉も、どこか素っ気ないものとなる。



「やぁ。すごく元気だね」


「そうなの、今日もゴハンたくさん食べられたの!」


「ゴハン……」


「かあ様が言ってました! いい子にしてたら、これからもお腹一杯でいられるって!」



ヒューゴの目頭が不意に熱くなる。

この子たちが何をしたというのか、何の咎があってひもじい想いをしなくてはならないのか。

そう思うと、ハラハラと流れ落ちる涙が止まらない。

幼少時代に感じた苦しみが蘇り、子供達の境遇が一層不憫なものに感じられるのだ。


ーーそうだ。あの頃はとても貧しく、辛かった。だから強い王様に助けて欲しかったんじゃないか。映画の中の王様に。


その時、ヒューゴの胸の中で何かが形を変えた。

心の奥深くに潜んでいた疑問符たちが、一挙に現出し、消えた。

彼は理解したのだ。

自分が本当に為すべき事について。



翌朝。

村の広場には軍属はもちろん、一般の魔族までもが集結していた。

壇上を取り囲むヒトは総勢で500名に迫る。

これまでのヒューゴであったなら尻込みし、役者スイッチ頼りで演説する事となるのだが。



「じゃあヒューゴ、いくぞ。シーン42のカット1……」


「大丈夫だよ。もう必要無いから」


「えっ。マジかよ!?」



驚愕で固まるブライを他所に、ヒューゴは壇上へと歩を進めた。

何百もの視線が、彼らの王に向けられる。

そのほとんどが期待と親愛に満ちており、その過度な期待がヒューゴを圧倒しようとするが。


ーーここで怯んじゃダメだ、しっかりしなきゃ!


仰け反りそうになる心を戒め、民に言葉を贈った。

それはこの村に暮らす人々の運命を決定付けた、大きな意味を持つものであった。



「僕は考えた、考え続けたよ。なぜ僕らは貧しい思いをしなくてはならないのか。どうして僕らは、ここまで苦しまなくてはならないのか。ニンゲンは報われる日々を送っているのに、僕たちは不当に虐げられてきた。いつの日も真面目に、働いて働いて、働き抜いたにも関わらずだ」



民は返答をする代わりに目の色を変えた。

王の意図している事をいち早く察知し、心を同期させたからである。



「容貌が、種族が違うだけで、なぜこんなにも差別を受けなくてはならないのか。僕たちにも情はある。家族もいれば、愛する人だっている。恐らくニンゲンが抱えている心を、僕たちも変わらずに持っている。なのに、なぜここまで疎まれなくてはならないか! 徹底的にいたぶられ続けるのはなぜか!」



徐々に軋む音や、歯ぎしりの音が鳴り始める。

ここに集うのはニンゲンの強欲さによって、何らかの傷を負わされたものばかりである。

憤怒の感情が満ちていく。

それはやがて、最高潮に至ろうとしていた。



「知らしめるんだ! 魔族が受けた哀しみを、途方もない怒りを、数え切れない屈辱を! 踏みにじられた尊厳を取り戻す為に、僕らの力を見せつけるんだ!」



ヒューゴの拳が、勢い良く天に向けて突き上げられた。

すると配下の兵は皆がその動きに倣い、冬の晴れた空へと向けて咆哮を響かせた。


ーー全ては我らが王の為に!

ーー魔王閣下に陰りなき栄光を!


こうして配下の心をひとつにまとめたヒューゴは、戦に耐えうる者のみを率い、移動を開始した。

ニンゲンとコンタクトをはかるために、大都市を目指すこととなる。

もちろん戦闘も辞さない。

彼らにはもはや、後が残されていないのである。


背水の構えにて、ひたすら南下していく。

シンジュクと呼ばれる、ニンゲンの一大拠点を目指して。

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