第29話 チーサの独り巡回
チーサは吹き付ける冷たい風を感じ、目を覚ました。
視界には冬空、そして他者を拒む石壁がある。
麓の村だ。
ヒューゴにしょっちゅう連れられて来たので、場所についてもおおよその見当がついた。
ーーええと、ワタシは何をしてたんだっけ?
チーサは定まらない思考を巡らせ、どうにかこれまでの出来事を振り返ろうとした。
光景が断片的に少しずつ甦る。
朝、ヒューゴに連れられ、麓の村までやってきた。
風の強い日で、スカーフやリボンが大きく煽られた。
リリアムより貰ったお気に入りだ。
飛ばされないよう気を付けた。
気を付けた……つもりだったが、不意を突かれる事もある。
気を抜いた拍子にスカーフが空へ飛ばされた。
ーー待って!
咄嗟にヒューゴの肩から飛び降りた。
それからスカーフを見失わないよう、空を見上げながら右へ左へ駆け回った。
投げ掛けられる声など無視して、とにかく追いかけたのだ。
やがて風向きが変わったのか、スカーフが空から降りてくる。
ようやく手元に届く……と安心していると。
『ドシン!』
衝撃があり、記憶はそこで途切れている。
ーーそうだ、スカーフは!?
慌てて辺りを見回す。
すると、路地裏の街路樹にそれが引っ掛かっている事に気づいた。
安堵しつつ回収へと向かう。
モチモチと体を揺らし、幹を登っていく。
彼女は木登りが苦手だ。
普段であれば目もくれない遊びであるが、明確な目的があれば話は別。
一歩一歩足場を確かめるようにして、ゆっくりと進んでいく。
ーーもうちょっと、もうちょっと!
ある程度の位置まで辿り着くと、彼女は体を大きく伸ばした。
さながら、つきたての餅が杵にくっついた時のように。
そうまでする事で、ようやくスカーフの端に歯が立つ。
上下の前歯でシッカリと噛み締める。
無事に手元へ取り戻すことができたのだ。
だが好事魔多し。
下半身が伸びた上半身を支えられる訳がないく、そのまま地面まで落下してしまう。
ーーイタタタ。もぉ! もぉお!
彼女は打ち付けた背の痛みにより憤慨した。
計画の拙さや、軽率さにではなかった。
ーーヒウゴは何をしてるの! 大人が迷子だなんて、酷いじゃない!
思考の着地点は、ヒューゴに対する言いがかりだった。
どう考えてもチーサに責があり、自ら率先しての迷子である。
だが、彼女の認識は違う。
主人が勝手に離れたと解釈したのだ。
『私を見失った方が悪い』と思っている節すらある。
ーー仕方ないわね。チィサが探してあげる。ワタシが居ないと何にも出来ないヒトだから。
少しすました態度のモチうさぎが、村の中を探索しだした。
彼女を待つヒトを見つけるために。
ヒューゴに出会った日より、初めての独り歩きが、こうして不意に始められたのだ。
往来はヒト通りが激しい。
だが、特別嫌な感じはしない。
誰もが生き生きとしており、陰鬱な気配が無い為だ。
もちろん子供のチーサには、そこまで読み解く洞察力などない。
ーーええと、あそこにいるのは……こわいオジサン?
村の端には練兵施設がある。
その広い敷地には、しかめっ面のブライが居た。
指揮官の仁王立ち、そして激しい罵声。
今はまさに、練兵の真っ最中なのであった。
ーーイヤなやつ。ワタシ、あのヒト大きらい!
このままブライに尋ねたなら、恐らくヒューゴを見つけてくれただろう。
だが、チーサはそれを拒否。
彼女の中でブライの評価はトコトン低い。
目の前でヒューゴを罵倒しているシーンを、これまでに散々目撃しているからだ。
彼女にとって、ブライは味方ではなく、騒がしい外敵なのであった。
なので挨拶ひとつかける事なく、その場から遠ざかっていった。
ーーヒウゴは賑やかな所にいるかしら。そういうのが好きだものね。
しばらく通りを歩いていると、楽しげな歌が聴こえてきた。
掻き鳴らされる竪琴の音曲が何ともワクワクさせる。
期待と好奇心を織り混ぜつつ、とある建物の内へと入っていった。
中は妙に殺風景である。
割と薄暗く寒々しい。
さらには花や美術品などの、目を楽しませるものすら無い。
チーサは早くも裏切られたような気分に浸った。
ーーヒウゴが、こんな所に来るかしら? あのヒトはさみしがり屋だから。
この施設に対して興味をほとんど失っていたが、一応は深部まで潜り込んだ。
歌声は徐々に大きく、やがて鮮明になる。
そして開け放たれたドアの側まで寄ると、別の声まで聞こえてきた。
室内にいるのは複数人だと分かる。
物陰よりそっと中を覗いてみると……。
「ううーん。この報告書はぁ、やり直しの書き直しでぇーーす」
「エクセレスさん。具体的に何がどうダメなのか、そこを教えてくださいよ!」
「情熱がぁパッションがぁーー、決定的に不足してるのですよぉーーぉおぃ!」
「これ物資一覧! 本当に情熱なんか必要ですか!?」
チーサは室内にヒューゴが居ないことを確認すると、静かにその場を去った。
どこか神妙な顔をしながら。
それは同情心から来るものであり、先程の部下の苦労に対して、共感しているのだ。
ーーわかるわ。世の中タイヘンよね。ワタシだって、毎日リリアムに『あれはダメ、これはダメ』とジャマされてるもの。
そこまで心の中で告げ、建物を後にした。
小さな小さな溜め息を残して。
ーー全くもう! ヒウゴったらどこを遊び回ってるのかしら! ワタシを置いてくだなんてズルいじゃない!
幼い怒りが通りに放たれる。
だが、特別彼女に気遣うものは現れなかった。
しばらく散策を続けると、食料品店が目に入った。
店先には色とりどりの果物やら野菜が並ぶ。
それを見ていたら無性に腹が減り、彼女は中へ訪った。
店番は犬人種の女である。
チーサは魔王に連なるものとして、品位溢れる言葉で話しかけた。
腹の虫の懇願をどうにかして抑えつつ。
「ちょっとあなた。この美味しそうなリンゴをちょうだいな」
「おやおチビちゃん。飼い主さんはどこだい? それとも一人で買い物かな?」
「リンゴがほしいの。良いよね?」
「参ったねぇ。アタシ程度の魔力じゃ、お嬢ちゃんの言葉はわかんないんだよ。どこかに強いヒトは居ないもんかねぇ?」
「リンゴ! このリンゴをちょうだい!」
「あぁ、リンゴが欲しいの? ごめんねぇ。配給制だから、券が無いと分けてやれないんだよ。お嬢ちゃんは持ってるのかい?」
「もぉ! ちょうだい! ちょうだいったら!」
「参ったねぇ。どこかに話せる方は居ないもんかしら?」
女はすっかり困り果て、店の奥を覗きこんだ。
だが、都合良く期待する人物など居やしない。
その間もチーサはヒートアップし、純白の体毛を赤く染め上げていく。
いよいよ店番は慌てるのだが、そこへ神の使いのごとき救世主が現れた。
「お嬢様、お探し申し上げましたぞ。ご無事にございましたか!」
「……あら? あなたはお馬さん。探しててくれたの?」
「忠実なる僕(しもべ)、全ケンタウロスが命にかけて。さぁ、ヒューゴ様もお心を痛めておいでです。我が背中にお乗りくだされ」
「ありがとう。それから、このリンゴが食べたいの」
「ハハッ。では交渉いたしますゆえ、お嬢様はこちらにてお待ちくだされ」
若いケンタウロスは恭しくチーサを背中に乗せた。
それから、彼女が侵食しようとしていたリンゴをひとつ掴み、店番に話しかけた。
「お嬢様がこのリンゴをご所望である。だが、あいにく手元に券は無い。どうにか都合をつけては貰えぬか?」
「もちろんでございますよぉ! ヒューゴ様への献上品みたいなものですから!」
「無理を言って済まぬ」
こうしてチーサは合流を果たした。
望んだリンゴまで入手する事ができ、まさに上々な気分である。
ーーはぁ。それにしても、今日は大変な1日だったわねぇ。
安堵のため息が漏れる。
すると、気の緩みから睡魔が押し寄せてきた。
ケンタウロスの歩みによるリズムも、とても心地よいのだ。
ーーいっぱい、いっぱい話してあげなくちゃ。ヒウゴはさみしがり屋さんだからね。
それから彼女は夢の世界へと舞い降りていった。
目覚めた後の『仕事』について想いを馳せながら。
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