第23話 他者の事情を顧みよ
やんごとなき位を得てより3日目。
ヒューゴはともかく落ち着かなかった。
何せ貧民から一躍し、王公貴族の頂点に据えられたのだから。
取り巻く環境やひとびとの態度の変化には、中々慣れなかった。
既に麓の村からはニンゲンが引き揚げており、残された建物や物資は魔族のものとなった。
取り分け質の高いものは、魔王一家(ロイヤルファミリー)の手元に転がってきたのだが。
「ふぅ。やっぱりこの部屋が一番落ち着くなぁ」
「魔王ちゃん。せっかく大きな家を貰ったのに、どうして引っ越さないの?」
「僕はここが一番気に入ってるんだ。約束もあるしね」
「約束?」
「不満があるなら、リリアムは麓の方に住んで貰っても構わないよ」
「お断りね。どうして新婚期間に別居なんか!」
「婚……?」
ヒューゴは借り受けた家から動こうとはしなかった。
オブスマスの遺した小屋は、やはり彼にとって特別なものなのだ。
たとえ100LDKの王宮を与えられようとも、すきま風の吹きすさぶ、このボロ屋を選ぶのである。
そんな『概ね廃屋』のドアが遠慮がちに鳴る。
カリンが外回りから戻ってきたのだ。
カゴを両手で持ち、捧げるようにし、偉大なるヒューゴに献上した。
「アニィ、あ、いや! 国王陛下! 民より献上品を徴収しやした!」
「やめてよ仰々しいなぁ。いつも通りしてってば」
「でもぉ、そのぉ、アッシだけ不敬を働くという訳には……」
「君は仮にも僕を『兄』だと呼んでくれたよね。その繋がりって、身分で簡単に断たれてしまうほどのものだったの? その程度の絆だったの?」
「う、うぅ! そんな事ァねえです! アッシは、死ぬまで、八つ裂きにされたってアニィに付いていくんだッ!」
カリンの男泣き。
その様子を見て、ヒューゴは少し肩の力を抜いた。
仮にも家族に等しいヒトから、畏まった態度を取られるのは辛いからだ。
カゴは台所に置く。
すると、献上品のひとつであるタマネギを、それと良く似た形状のチーサが追いかけっこの様にして遊びだした。
「麓より貰ったのは、小麦パン、牛のランプ肉、クロダイ。他は根菜に葉野菜となってやす」
「豪勢だなぁ。全部でいくらになるやら……」
「アニィ。せっかく王様になったんでさぁ。辛気くせぇ話は止めにしやせんかぃ?」
「そうは言ってもねぇ。慣れないものは慣れないよ。舌が受け付けないかも」
「……ところで話は変わりやすが、麓の連中からアニィにどぉしても、お礼を述べたいってヤツが来てやしてね。お会いして貰えやせんかねぇ?」
「また面会かぁ。別に良いけどさ」
「お疲れのところ申し訳ありやせん。手短にしてもらいやすんで」
許可の元にやって来たのは、小柄な男と巨漢の男だ。
小柄な方は少年のごとき体格で、腕や足は細く、全身の色素は緑一色。
小鬼(ゴブリン)種である。
もう一方は小鬼と対照的に、よく肥えたオッサンのような青白い太鼓腹。
太っているだけあって、腕力はそこそこに強そうだ。
こちらは豚人(オーク)種だ。
彼らがやって来たのは陳情の為ではない。
苦痛から、過酷な環境から救われた事を、ただただ感謝したいのだという。
もちろんヒューゴに心当たりが無く、困惑するばかりなのだが。
「魔王サマ、ありがとゴゼマス」
「魔王様のお陰で、オラたちは地獄から救われましただぁ。感謝すても、すてきれねぇです」
「えっと、キミたちとは初対面だよね。僕が何のお役に立てたのかな?」
「アノ日以来、撮影は、ナシになったデス。出演シナクテ済んで、助かり、デス」
「……そうなのかい?」
両者とも、よりにもよって役者業を辞められた事を喜んでいるのだ。
これには流石のヒューゴも眉を潜める。
何せ、彼はどんな役回りでも出演を望んでいたのだから。
その癖に出番は全く回って来なかった。
この様子を例えるなら、欠食児童の前で食べ残しをするほどの、心ない暴力であると言えよう。
「アニィ、気を悪くせんでくだせぇ。コイツらは、ちっと特殊なんでさぁ」
「そうなのかい? 端役でも良いから欲しい僕にとっては、聞き逃せない話だけど……」
「2人とも成人男性向け作品に、無理矢理出させられてたんでさぁ」
「つまりはアダルトだよね? それでも選り好みをしちゃダメだ。折角の抜擢に唾を吐く真似をしたら、バチが当たっちゃうよ?」
「言いにくいんですがね。どっちも、女性に悪さするっつうか、乱暴を働きまくるという役割なんでさぁ」
「……えぇ?」
健全な作品にしか縁の無いヒューゴにとって、寝耳に水な言葉であった。
そこまで極端な配役があるとは知らなかったのである。
ゴブリンとオークは、まるで示し合わせたかのように、さめざめと泣き始めた。
それは苦痛から解放された喜びか。
いや、望まない暴力を振るわざるを得なかった、かつての日々に心を痛めているのだ。
「2人とも可哀想な立場でねぇ。普段の生活にも役のイメージがくっついて来るんでさぁ。ゴブリンの方は婚約破棄、オークの方は友人から絶縁されちまったそうですよ?」
「なんて酷い……! キミたちはただ、台本通りに全うしただけじゃないか!」
「ニンゲン、怖イ……」
「オラも、2度と役者はやりたくねぇだぁ」
「ごめんね。キミたちの気持ちにちゃんと寄り添ってあげられなくて。新しい仕事を任せるなら、どんな事がしたい?」
「畑ガ良いデス。耕シテ、実リを、喜ぶデス」
「オラはぁ、花とか、森の管理がしてぇです」
「分かったよ。その様に取り計らって貰うから。今しばらくはゆっくり休んでね」
平伏の後に2人は去っていった。
傷ついた者同士、肩を支え合うようにして。
ヒトによって事情は様々なのだと、ヒューゴは改めて思い知るのである。
同日午後。
外の通りが何やら騒がしくなったので、ヒューゴはそちらへ急行した。
ケンカであれば止める必要がある。
なぜなら、魔族の国は産声をあげたばかりだ。
些細な事を切っ掛けに分裂してしまいかねない。
「ブライさんだったらどうしよう……。あのヒト怖いんだよなぁ」
生真面目なるヒューゴは我先にと収拾に赴いた。
とは言っても、突然別人のように胆が座るわけではない。
おっかないものは今でもおっかない。
争いの種も、ウサギや亀やら可愛い種であって欲しいと思う。
……だが、事態は予想を遥かに上回っていた。
現場には5人程度のヒトだかりが出来ていた。
集うのは竜人(ドラゴニア)種に虎人(ティグレス)種と、血の気の多いタイプばかりだ。
彼らは輪になって、何者かを取り囲んでいる。
その人物の顔を見てみると……。
「大家さん!?」
「おうデカブツ。こやつらは知り合いか? 何とかせんか!」
「……キミたちは、ここで何をやってるの?」
「魔王様。これはお恥ずかしい所を……。早急に汚ならしいニンゲンを追い払います故、今しばらくお待ちくださいませ」
大家はこれまでの騒動など知らぬようにして、今現在も生家に住み続けていたのだ。
朝刊の差し出しが無くなったので、彼も村の人々に混じって逃げたものと思われていたが、そんな事は無かった。
ーー先祖代々の土地を易々と渡せるか。欲しけりゃ老骨を焼き殺して奪い取れ。
そう言ってのけ、半歩すらも譲らない構えだ。
ヒューゴとしてはもちろん穏便に済ませたい。
だが、配下のものたちは血気盛んだ。
あらゆるニンゲンを追い出すまで、納得しない事は明白である。
……どうしよう。何か名案はないものかな。
その場しのぎでは意味がない。
大家はこの先も住み続ける意思があるので、彼の身の安全を保証する『何か』が必要なのだ。
迷うだけの暇は無い。
今も強力な配下たちは、殺気を膨らませ続けているのだから。
……そうだ、この手なら使えるかも。
ヒューゴは一計を案じた。
その場で大家に向けて深く頭を下げ、陳謝したのだ。
当然ながら配下たちは色をなす。
魔族の旗印が、この期に及んでニンゲンにへり下るなど、あってはならない事なのだ。
「魔王様! その為さり様は、一体どのようなお考えにございましょうや!」
「配下の者共が、失礼しました。ロージニア様」
「ろ、ロージニア!?」
周囲が老人の名を聞くなり、一斉に様相が変わった。
その名は魔族であれば、1度は耳にしたものであるからだ。
「魔王様、もしやこの老人……いや、この方は!?」
「皆も謝って。この人はね、魔王オブスマスさんのお友だちだよ」
「ロージニア様! 今は無き英雄オブスマス様の、無二の友であらせられる、あのロージニア様!」
「人の身でありながら、前王陛下と水魚の……いや刎頚(ふんけい)の交わりを誓い合ったという、あのロージニア様!」
「分かったでしょ。だから皆も、絶対に失礼な事しちゃダメだからね!」
「ははぁーーッ!」
大王の御前の如く、皆がひれ伏す。
これで八方丸く収まったとヒューゴは安堵したが、一角だけ問題が残った。
大家ロージニアの憤慨である。
オブスマスとの間柄を親友(ソウルメイト)の如く称えられたのだから、穏やかな気持ちでは居られなかったのである。
その結果として、ヒューゴ自らロージニア家の雑用をさせられる事となった。
配下の者共は、己の過失が故であると強く恥じた。
そして心優しき主人への忠誠心を、より固くするのである。
にわかに分裂の危機を迎えたが、血を流すこと無く穏便に済ませた事は、ヒューゴの機転の勝利だと言えた。
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