第21話 先人の意思

妹は泣いた。

腹が減ったと。

兄は叱った。

我慢をしろと。


季節は冬、12月。

夜の冷え込みが日に日に厳しくなっていく。

真夜中の寒風は容赦なく貧民街に、この壊れかけの小屋にも吹き付けた。

それは病身である母の身体には堪える。

咳が酷い。

時折血が混じるので、それが子供達を一層不安にさせた。


妹はより大きな声で泣いた。

このままでは母が死んでしまう、と。

今度は兄も叱らなかった。

その代わり、その顔は先程よりも一層厳しいものになった。

悲壮な決意を抱いたからだ。

何でも、薬を盗んでくるというのだ。

妹は恐ろしくなった。

捕まればタダでは済まない事は、幼い思考でも簡単に判断できる。


兄は成功するつもりであった。

墓地で見逃して貰えた事が、なぜか彼の気を大きくさせたのだ。

『自分はツイてるはずだ』という根拠の無い自信、いや、妄信にすがりついたのだ。

そうでも思わないと、不安に押しつぶされそうだったからだ。


……オレがしっかりしなくちゃ、誰が母ちゃんや妹を守るんだ!


家族の命運は、10にも満たない少年の双肩に託されたのだ。

大任を背負うには余りにも小さな背中が、静まり返る夜の闇へと消えた。


________

____


12月26日の夕暮れ時。

ヒューゴは例によって墓地の仕事を終え、家路に着いていた。



「クリスマスが終わっちゃった。何だか寂しい気持ちになるなぁ」



町を彩っていた装飾の数々は片付けられ、次のイベントに向けて着替え始めていた。

新年の装いである。

竹やら藁やらで飾り付けていくが、ヒューゴはクリスマスの方が幻想的で気に入っていた。

だが、ぼやいても仕方ない。

また来年を待てば良いだけなのだ。

そんな事を考えながら大通りを歩いていると、途中の広場近くで立ち止まった。


珍しく人だかりが出来ており、道はひどく混雑している。

見世物か、それとも高札でも掲げられているのか。

騒ぎの元を覗いてみようとした、その時。



「善良なる平民諸君。これより不届きなる者の処刑を執り行う!」



身分の高そうな装いの男が、上機嫌に野次馬へ向けて宣言した。

見守る観衆も、広場の東側は人間で西側は魔族と、まるで線引きでもしたかのように別れていた。

表情もそこを境に様変わりする。

人間側は熱気の籠った目で観る一方で、魔族は悲痛な面持ちで、伏し目がちとなっているのだ。


ーーいったい、何が起きようとしているんだろう。


ヒト垣を掻き分け、中央の様子を見るなり、瞬時に背筋が凍った。

断頭台が3機、横に並ぶ。

執行されるのは死刑である。

処刑対象となっているのは、犬人(アヌビス)族の子供2人に、大人の女性が1人。

衆人環視のもと、その一家は台へと縛り付けられていく。


小さい方には見覚えがあった。

先日、少しばかりの縁があった兄妹である。

彼らがなぜ殺されなければならないのか、こんな幼子が何をしたのかと、ヒューゴの思考はしばし混乱した。



「チクショウ! 離せ! 離しやがれ!」


「この、大人しくしろ!」



少年は必死に抵抗するが、ニンゲンの兵士も屈強だ。

しかも多勢に無勢。

健気な威勢とは裏腹に、彼も敢えなく処刑台に囚われてしまう。


ここで観衆から2種類の声が上がる。

「おおっ!」という、何かを期待するようなもの。

そして「ああっ!」という、神に縋るかのようなものだ。


その反響を噛みしめるようにしながら、先ほどの男が演技染みた動きで『舞台』の盛り上げに取りかかった。



「見るがいい。この汚れた姿を。生存を許されているだけでも望外の喜びとすべきところ、何と、大恩ある我ら人間より盗みを働いたのだ!」


「ふざけんな! テメェらニンゲンが、何もかも一人占めしてんのが悪いんだろうが!」


「聞いたか諸君。罪を悔いる事なく、あろう事か罵る始末。どこまでも悪辣、死をもってして償うに相当するとは思わんか!」



観衆の一部から、殺せ殺せと煽る声が巻き起こる。

憎悪の意識が大きく捻り、はけ口を求めて暴れだし、この場を飲み尽くそうとした。

そんな流れを断ち切ろうと、毛並みの違う声が叫ばれた。

少年の母親が必死の嘆願をし始めたのだ。



「ご領主様。どうか、命をもって償うのは、この愚かな女だけにしてくださいまし。息子たちはまだ幼く、善悪の区別がついておりません!」


「ふむふむ。そうさなぁ。どう見てもまだガキであるな。いくつだ?」


「上が8、下が4歳でございます。どうか、御慈悲を。御慈悲を……!」


「そうか、そうか。子供、更には幼子とあれば、死にゆく姿は見るに堪えんだろう。私にも子が居るから、親の気持ちはよう分かる」



処刑場は不気味な静寂に包まれた。

誰もが固唾を飲んで見守っているからだ。

咳払いすら目立つ静けさの中、男は配下の兵士に強く命じた。



「一番小さなガキから執行せよ!」


「ハハッ!」


「そ、そんな! あんまりではございませんか!」


「アーッハッハ! 身を切るよりも辛かろう、無力さを呪いたくなるだろう! それが貴様ら魔族にはお似合いの末路だ! 自らが産んだ命が儚く消える様を、邪悪な目蓋に焼き付け、絶望の淵より死に至るがいい!」


「あああッ! グレースッ!」


「かあちゃぁーん! にいちゃぁーん! 助けてよおお!」


「ふざけんな! グレースを離せ、外道野郎!」



処刑台に小さすぎる体が縛り付けられた。

少女の頭上には巨大な刃が、その細首を撥ね飛ばさんとし、ギラリと光る。

兄も母も助けようとするが、どちらも同様に囚われの身だ。

半狂乱になって暴れても、少年とやせ細った女に破壊できる代物では無い。

領主と呼ばれた男は、ねめつけるように眺め、気が済んだ所で命令を下した。



「やれ」


「刃を落とせ!」



無情なる下知。

装置を支えていた太い綱が、控える兵によって断たれた。

すると巨大な断頭の刃が、少女の首目掛けて一直線に降りた。

次の瞬間には鮮血が舞い、小さな頭が地面を転がる。

残された家族の絶叫が二重奏で鳴り響く。

そうなると思われたのだが……。



「な、なんだ貴様は!?」



その刃は宙で止められた。

雄牛よりも逞しい筋肉に、それを守る絶対防御の能力。

そして、魔王純血種に相応しい、膨大かつ暴力的な魔力。

致命の一撃を造作もなく遮ったのだ。


ヒューゴは無表情のまま、一家の処刑台を破壊し、その身に自由を取り戻させた。

グレースの元へ母親が、そして兄が駆け寄る。



「反乱だ! この化け物を殺せ!」



近場に控えていた2人の兵が剣を抜き放ち、ヒューゴに飛びかかった。

その切っ先が首を叩っ斬ろうとするのだが、刀身の方が真っ二つに折れてしまう。

新品かつ、鋼鉄製の武器とは思えぬ壊れ方に、兵士は酷く慌てた。

そこへヒューゴの拳打が浴びせられる。


その威力は凄まじく、鋼鉄の鎧を土塊のように粉砕してしまう。

更には殴られた兵はどちらも数十メートルほど地面を転がされ、壁に背中を打ち付ける事でようやく止まった。

規格外の力。

人智を超えた怪物。

それが今、凶悪な牙を剥いたのだ。


野次馬の人間は算を乱して逃げ惑った。

領主の男も慌てふためき、足をもつれされて転がる。

だが、まだ交戦の意思は残されていた。

その下知を、いまだ健在である頼もしき兵たちに下した。



「そ、総員! 全力制圧(フル・ポテンシャル)だ!」


「ハハッ! 全力制圧!」



その命を受けるなり、残っていた者たちは剣を捨て、胸元から拳銃を取り出した。

それはデザートイーグル。

世界最強とも囁かれる強力な銃器である。


先ほど叫ばれた「全力制圧」とは、体裁を無視して戦え、という意味である。

撮影場の保全すらも度外視にした戦い方だ。

薬莢が転がり、弾痕が町の景観を損ねようとも良い。

最終手段にて敵を打ち砕く、必勝戦法なのであった。



「撃てぇーーッ!」



鋭い号令のもと、何十もの射撃音がけたたましく響き渡った。

巨体ゆえに的は大きい。

至近距離では外しようもなく、全弾が命中した。

だが、それでも、彼に擦り傷すら負わせる事は叶わない。


絶対防御は最新鋭の銃火器に対しても有効であり、ヒューゴにしてみれば、小砂利を投げつけられた程度でしかなかった。




「そ、そんな、あれだけの銃弾を浴びたのに……」


「そ、装填急げ! 第二撃を……」




ヒューゴは相変わらず無言のままだ。

そして静かに、ゆっくりとした動作で、兵士たちを見据えた。

それからいくつもの悲鳴があがる。

彼の両目が真っ赤に塗りつぶされていたからだ。


もはや敵部隊に士気など残されておらず、底を打った。

替えの弾倉を用意する手すら震え、眼を大きく見開き、歯をカチカチとただ鳴らし続けた。



この時、ヒューゴの脳裏には不思議な声が届いていた。

自然と体を誘導するような、説明不能な説得力を持ったものである。


ーーニンゲンを滅ぼせ。傲慢な種を滅ぼしてしまえ!


声に導かれるままに力を振るった。

片腕をひと薙ぎするだけで、兵が4人5人と吹き飛んでいく。

こうなると最早、戦いではない。

一方的な狩りである。

哀れな獲物と化した兵は、誰もが殴られ、地面に寝転がされる運命を辿る事となった。



「ヒィ、ヒィィーーッ!」



領主の男は狂ったように喚き、その場から逃走した。

その金切声を聞いて、ようやくヒューゴは我に返る。


ーーあれ、僕は一体何を……。そして、さっきの声は?


懐かしさを感じはするが、記憶のどこを探しても、ハッキリとは思い出せない。

そして不気味に思う。

誰かに操られたような不安と、破壊の喜びがない交ぜになっていたからだ。


両手を眺めてみる。

特におかしな点は無い。

これまでに何度も見てきたものと寸分も変わりは無かった。


そのようにして自分の体を確かめていると、途轍もなく大きな歓声に包まれた。

場に残っていた魔族の皆が、ヒューゴの強さと勇気を讃えたのだ。



「すげぇ! アンタはめちゃくちゃ強いんだな!」


「ありがとう、ありがとう! ビビって何も出来なかったオレたちの代わりに、ブッ飛ばしてくれてありがとう!」


「なんて素晴らしいお方なの! あなたはきっと、魔王オブスマス様の生まれ変わりね!」


「僕が、オブスマスさんの……?」



ヒューゴは腑に落ちない様子で居たが、解放された一家を見て気持ちを切り替えた。

今は彼女たちのケアが必要である。

他の事など、後でゆっくりと考えればいいのだ。



「すいません、ちょっと退いてください! 治療をしなきゃ……!」



熱狂した群集のせいで、中々目的の場所まで辿り着けない。

気が急く余りに、投げかけられる言葉を適当に返答してしまった。

これが後々にヒューゴの首を絞める事になるのだが、今の彼にとっては些細な事なのであった。

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