第20話 路地裏の少年たち

メリークリスマス。

それは町中の至る所で聞かれ、そして大抵は明るく、親しみや愛情が込められていた。

発する側も受け手も笑顔になるその挨拶を、ヒューゴはすっかり気に入ってしまった。



「みんな、楽しそうだなぁ」



新品のオモチャで雪遊びに熱中する幼子。

その姿を微笑みながら見守る親や老人。

仲睦まじい恋人たち。

赤ら顔のまま肩を組み、楽しげに歌う男衆。


それらの大抵はニンゲンだが、魔族の姿も少なくない。

この日は種族の垣根なく、大いに祝うものだと知り、そこもまた嬉しくさせるのだ。


そんな楽しげな喧騒を墓地で聞く。

この日も日中は仕事が入っている。

ヒューゴはBGMがわりに祝福の声を聞き、墓標を磨き回った。

体にいくつかの噛み傷を晒しながら。



「怪我したのなんて、いつぶりかなぁ。水がしみちゃうよ」



チーサ怒りの攻撃が、見事魔王に手傷を負わせた。

……という事ではなく、ヒューゴ自ら『絶対防御』の構えを解いた結果だ。


前回、性別の件でチーサは主人に体罰を与えようとしたが、能力差が邪魔をして手傷ひとつ負わせる事が出来ずにいた。

それが怒りを増長させ、遂には癇癪を起こさせてしまう。

荒れ模様を宥めるために、ヒューゴは可能な限り防御を緩めた。

休日にテレビの前で寝転ぶオッサンをイメージしながら。


そこまでしてようやく、チーサの丸い牙はダメージを与える事ができ、彼女の心もやがて凪いだ。

ヒューゴもひと安心。

ちなみに傷を魔法で治療することはできるが、止めておいた。

それが元で暴れられる事を心配したからだ。



「さて、オブスマスさんの墓も磨かないと……って、あれ?」



その墓標を見るなり異変に気づいた。

お供え物の『スアマ』が消えているのだ。

骸が甦り、眼前の好物を平らげた……という話ではない。

カラスあたりが食ってしまったかな、とヒューゴは思ったのだが。


ーーガサササ!


背後の草地が音をたてた。

振り替えると、少年が猛然と駆けている姿が見える。

犬人(アヌビス)種の魔族である。

その手には消えたはずのスアマ。

どうやら彼は、墓荒らしだと見て間違いないようである。



「そこのキミ!」



呼び掛けに反応はあったが、止まる気配はない。

草を掻き分け、柵を飛び越えて、路地裏に消えた。

ヒューゴは足に力を込め、一息で大跳躍。

彼が逃げた方の路地を先回りした。


突如現れた追跡者に、墓荒らしは驚きの余り転びそうになるが、すぐに体勢を整えた。

それから牙を剥き両手の爪を突きだし、精一杯の威嚇をした。

だが、分が悪い。

いかに決死の覚悟を持とうとも、この少年が魔王に勝てる道理など無いのだから。


ヒューゴは大いに弱った。

役目上、この小さな盗人を捕まえなくてはならない。

だが、職業意識と同等の憐れみも抱いている。

決め手は少年の後ろだ。

彼の背には、さらに幼い犬人の子が、今にも泣き出しそうな顔でしがみついているのだ。


2人は明らかに貧民だ。

ひどく痩せ細り、顔色は病人のように悪い。

スアマを持ち出したのも、イタズラなどではなく、生き延びる為だという事は一目瞭然だ。

悩む善人ヒューゴ。

ひとまずは刺激しないよう、腰を低くし、話を聞くことにした。



「キミたち。お父さんとお母さんは?」


「テメェに関係あるか! そこを退けよぉ!」


「話次第では見逃してあげる。だから、教えてくれないかな?」


「にいちゃあん……」


「グレース! 顔を出すな!」



兄の方は中々警戒を解かず、散々に牙を鳴らして力を誇示しようとした。

もちろんヒューゴは怯まない。

そんな押し問答をしばらく続けていると、ようやく諦めたのか、重い口を開いた。



「オヤジは居ねぇ。顔すら知らねぇ。母ちゃんは、ずっと寝たきりだ」


「じゃあ、食べ物とかはどうしてるの?」


「町の手伝いとかで稼いでた。だけどニンゲンのやつら……コキ遣うだけ遣ったら、追っ払いやがった」


「……お金はもらえたのかな?」


「もらえた。でも、約束の半分だった。ゴチャゴチャ理由を並べてたけど、騙されたことだけは分かった」


「そう、なんだ」



ヒューゴはポケットを漁ってみた。

恵まれない少年たちに、少額でも施そうとしたからだ。

だが、小銭ひとつ無い。

彼自身も貧民であり、予定がなければ財布を持ち歩かないように決めていた為だ。


となると、出来る事は限られている。

ヒューゴは静かに立ち上がり、逃走経路から退いた。

少年はそのまま立ち去ったかというと、そうはならない。

相手の心変わりを信用できず、悲鳴にも似た絶叫をあげるばかりだ。



「何のつもりだ! どうせオレを油断させて、後ろから襲うつもりだろ!」


「そんな事はしないよ。メリークリスマス」


「……今なんつった?」


「知らないのかな。祝福を与える言葉だよ」


「それくらい知ってらぁ! ニンゲンなんかにかぶれやがって! 魔族の面汚しめ!」



少年は怒鳴ると、妹の手を引き、路地の奥へと消えていった。

その後ろ姿を、ヒューゴがやりきれない想いで見送る。

ささやかな祝福のつもりだったが、荒んだ子供たちを救う事は出来なかったのだ。


それからはすぐに仕事場へと戻った。

自分の無力さを呪いながら。

他者を圧倒する戦闘能力があっても、困窮する幼子を救う力を持たない事を、独り静かに詫びた。



「オブスマスさん。こんな世の中で、貴方ならどうしますか……」



死者は黙して語らない。

それでも問いかけずには居られなかった。

なぜ魔族は、ここまで虐げられなくてはならないのか。

なぜ慎ましくすら、生きていくことが困難なのか。

その理由について、かつて反乱を企てた偉人に聞いてみたくなったのだが。



「あ……、お供え物!」



ヒューゴはこの時になって慌てた。

今日はまだ大家が来ていない。

なので、昨日供えたスアマが無くなっている事に気づかれてしまう。

代わりを買おうにも、今は小銭すら持ちあわせが無い。

どうにかしてバレないよう、工作について思考するが……。



「大家さんが来る前に、お金を取りに戻ろうかな。もしかしたら、それで間に合うかも……」


「ワシがどうかしたか?」


「うっひぃ!?」



いつの間にか背後に老人が立っていた。

ヒューゴは咄嗟に墓標にしがみつき、失態が暴かれるのを防ごうとした。



「なんじゃい。邪魔するな、退け」


「あぁっとぉ、えっとぉーー」


「うん? 供えモンはどうした?」


「ええとぉ! それはですねぇ……!」



詰問に対して大いに慌てた。

これでは、『何か隠し事してます』と白状しているようなものだ。

だが、大家は特に指摘をせず、黙って話を聞く姿勢に入った。



「か、カラス! カラスが持っていっちゃったんですよねぇーー!」


「ふぅん。そうなのか」


「ええ、ブワァっと来て、本当あっと言う間に」


「そうか。まぁ野鳥なら仕方あるまい」


「すみません。次からは僕も気を付けます……ッ!」



ヒューゴが安堵したのもつかの間。

また新たな問題が噴出してしまった。

先程の路地から、墓荒らしの少年が顔を覗かせたのだ。

再び盗みに舞い戻ってきたのか、現場が気になったのかは不明だが、大家に知られると面倒である。


ヒューゴは小さくアゴをしゃくった。

『早く逃げろ』と伝えたつもりだが、相手が逃げる様子は見られない。

そしてその仕草は、知られていけない相手にだけは、バッチリ伝わってしまった。


大家の眼光が鋭くなる。

知り合いの不審な態度、なぎ倒された雑草、遠くに見える幼子。

彼が事態を把握するには、それだけで十分であった。

荒い鼻息をひとつ。

それからは胸元からスアマと饅頭を取りだし、それを墓前に供えた。



「お、大屋さん?」


「オブスマスめ。死んでもなお強欲だな。供えもんが1つでは足りぬと見える」


「あぁ、ああぁ!」



この沙汰に、ヒューゴは感激してしまった。

胸の奥、いや魂の底から喜びが溢れ、彼の脳を明るく染め上げた。

その場にひざまづき、貴人と対した時のようにして崇め始める。

だが、大家はおべっかを嫌う。

最初は驚きで迎えたものの、徐々に顔には怒りの色が浮かび上がっていく。



「なんじゃいデカブツ。妙な真似をしおって」


「貴方という人は、どこまで善い人なんですか! そして不器用なんですか!」


「やかましい! 無駄にへりくだるな!」



大家はピシャリと一喝し、肩を怒らせながら帰っていった。

それでもヒューゴの敬意は尽きることなく、その姿が見えなくなるまで、称賛し続けるのだった。


そして頃合いを見て、先程の少年たちはお供え物を頂戴した。

不十分ながらも、生き延びるだけの食にありつけたのだ。。


だが、この施しは、果たして良い結果を生むのだろうか。

後に起こる困難を思えば、安易な偽善であったと断じるしか無いのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る