第18話 勇者の生業
人間世界において、勇者たちは力を秘匿する義務を背負っている。
魔法や発明、身体能力に至るまで、他を圧倒することを禁じられているのだ。
そのため、暮らしは酷く貧しい。
役者という立ち位置の制限も重たく、いつ何時撮影が入っても対応できるように、非正規の仕事を転々と渡り歩くのが常だ。
勇者といえども、世間一般では高齢フリーター。
人外の魔物すら圧倒する剣技や魔法を封じて臨む仕事とは……。
もちろん料理教室の講師である。
正確に言えばアシスタントだ。
「それでは皆さん。先ほどの説明どおり挑戦してみてくださーい」
メイン講師である年かさの女性が言うと、華やかな声で賑やかになった。
季節は12月。
手作りのケーキを作れるようになろうと、教室には若い女性が多く集まったのだ。
だが、彼女たちの目的は他にもあった。
「カネナシさん、今日もお綺麗ですね!」
「髪も肌も美しいわ。本当に男性なのかしら?」
「……どうもぉ」
この『カネナシさん』こそ、勇者である。
彼は絶世の美男子であるために、女子生徒の人気の的であった。
中にはストーカーじみたファンも少なくはない。
実際、この日の授業の後には、多数の手作りケーキを頂戴することになる。
概ね品質に問題無いのだが、一部には髪の毛や爪、どこかの皮膚などが混入しているという有様だ。
女性ウケがきっかけで有り付いた仕事であるが、職務を全うする程に女性が怖くなっていく。
何とも言えぬジレンマに悩まされるのだ。
「カネナシさんって寡黙よねぇ。そこがまた格好良いの!」
「ウチの旦那も見習って欲しいよ。口開けばグチかダジャレだもん」
「あなたの所なんかまだマシよ。ウチなんて超モラハラでさぁ……」
業務が終わっても中々帰ることが出来ない。
クラスの女性陣が彼を捕まえ、囲み、強制座談会が始まるからだ。
その中には良からぬ事を企み、不審な動きをするものも居て、勇者は気が滅入るばかり。
タイムカードが切られた後なので残業代も出ない。
その気の無い人にとっては、極めて無駄な時間である。
勇者もそういった人種であるため、一言だけ告げてその場を去った。
「すみません。用があるのでぇ……」
「えぇーー。今日もですかぁ?」
「引き止めちゃダメよ。しつこい人は嫌われるのよ?」
「カネナシさん。これ私のSNSアカウント! 今日こそ絶対連絡くださいね!」
離脱も簡単では無い。
英数字の記載された紙をいくつも押し付けられ、ついでに腰回りを撫でられるというトラブルに耐え、ようやく帰路に着く事が出来たのだ。
これなら魔族の集団に囲まれた方がよほど気楽である。
全力で暴れたとて、文句のひとつも起きないのだから。
「はぁ……。辞めてぇな。この仕事」
冬の日暮れは早い。
疾走する快速電車の窓からは、眠りに向かう街並みが見える。
どれもこれも暖かな光だ。
それを羨む気持ちで、ただただ眺めていた。
20分ほど電車に揺られ、いつもの駅で下車。
改札を抜けると商店街があり、シーズン柄かクリスマス一色である。
BGMも、装飾も、行き交うカップルもだ。
お祝いムードに染まる通りを、足早に通りぬけた。
「サンタとか、居るわけねぇべよ。アホらし」
独り言である。
駅からだいぶ離れたので、周囲は閑散としており、やさぐれたセリフは宙で消えた。
それでいい。
人に聞かせる為のものではない。
心の中に巣食う羨望や、焦りが無理やり言わせたのだ。
そしてそれらの感情を胸の中に留めておけるほど、彼は若くない。
駅から自宅までの30分間は、貴重なストレス発散の場となっている。
やがて、少し寂れた住宅街の中に、古びたアパートがあるのが見える。
勇者たちの下宿先だ。
安堵よりも、やりきれない想いを強くして、部屋へと戻っていった。
「ただいまぁー」
「あ、勇者さんお帰り。床のやつを踏まないように気を付けてくださいね?」
「うわ! なんだっぺ、コレぇ!?」
仕事あがりの勇者を畳の代わりに、一面に広がる『なめし革』が出迎えた。
相当の面積がある。
あちこちに縫合した跡があるから、何枚も何枚も縫い合わせたのだろう。
それを錬金術師がせっせと一人で対応している。
これは一体どういう事なのか。
何の相談もなく散財した事を、勇者は厳しく問い詰めた。
「オメ、何やってんだべ? この革は何だ? 金はいくら使ったんだ?」
「無駄金みたいに言わないでください。さっき『増えるクッキー』をやってみせたでしょ? これはちゃんと実用的なものなんで」
「昼間のやつけ? ありゃ失敗だったっぺよ! ふざけてんでねぇど?」
「そんなに怒らないでくださいよ。僕は賢者さんに頼まれただけなんですから」
「賢者が?」
「とにかく巨大にしろって。近いうちに必ず必要になるからって」
不可思議な依頼をした賢者は、今現在も眠りの中だ。
勇者の頭にはすっかり血が昇り、彼女の胸ぐらを掴んで、無理やり叩き起こした。
「起きろ! この野郎!」
「んん……。女子の眠りを妨げる愚か者。死にたいか」
「起きろっての! これを見ろって、どんだけ金使わせたんだ! オレがどんな気持ちで稼いでっか、考えた事あんのけ!?」
「金、だと?」
その瞬間、賢者の体が眩く輝いた。
急激な光に目がくらむ。
その場にいた勇者たちは、目をまともに開けていられなくなった。
「聞け凡愚ども。頭が悪いお前たちにも説明してやる」
「何を、偉そうに……!」
「世界は間もなく未曾有の混乱に陥る。その為に、例の発明が大いに役立つ。目先の金などに囚われるな」
これまでの気怠げな声とは打って変わって、凛とした響きを持っていた。
寝起きとは思えぬ眼力も凄まじい。
惰眠をむさぼっていた彼女とは別人であり、これがいわゆる『賢者モード』であった。
「目先の金って、バカにすんな! 金が無きゃ食うものも、住むところも無くなんだぞ!」
「杞憂。その時は間もなく、必ず来る。備えを怠るな。体も鍛えなおしておけ」
「おい、オメには何が見えてんだ!」
「もう一度言う。備え、怠るな。動乱の日は近い……」
その言葉を告げたきり、彼女は再び眠りに落ちてしまった。
どれだけ揺さぶっても起きやしない。
仕方なく勇者は、万年床で寝入る賢者を放置し、改めて室内を眺めた。
錬金術師は先ほどと同じく、裁縫を続行している。
彼なりの備えである。
戦士はというと、いつもなら延々と菓子を食っているはずが、間食を断っていた。
今現在は両手にダンベルを持ち、空気椅子の状態で静止。
その顔には、長らく見かけていないシワが刻まれている。
勇者以外は賢者の言葉を真に受けているようだ。
「おい戦士。オメも今の言葉を信用すんのけ?」
「難しい話は、わかんねぇ。でも、今まで賢者が、予言を外した、事はねぇ」
「そうですよ。賢者さんは口汚いし、性格も悪いけど、嘘だけは言いませんよ」
「……言われてみたら」
勇者もその点は認めざるを得ない。
彼女は唐突に未来を予知する事があるのだが、その精度はこれまで百発百中であった。
まるで、その目で見てきたかのように正確だ。
冷静になり、勇者も何となく不安を覚える。
その未曾有の混乱とやらに心当たりは無いが。
「……よし、オレも準備すんべ。バイトしてる場合じゃねえべ」
「じゃあ、今度、組手の稽古だ。鈍った体を、叩き直すど」
「もちろんだべ。体ボロぞうきんになるぐれぇ、ボコボコにしてやんど」
「それは、こっちの、セリフだど」
「ねぇ、おふたりさん。気分が乗ってるとこ悪いんだけど、特訓の前にやるべき事がありますよ」
錬金術師が、水を差すように言った。
同時に彼は窓の外に視線をやっている。
勇者もならってそちらを見ると、通りでは謎の人だかりが出来ていた。
先ほどの賢者の光が窓から漏れ、道行く人たちはイルミネーションの類だと勘違いした為である。
人が人を呼び、やがて道を埋め尽くすほどの騒ぎとなってしまう。
勇者は急ぎ釈明に飛び出した。
それからしばらく、野次馬に平謝り。
大多数は問題なく解散してくれたが、時々心無い罵声も浴びせかけられた。
それでも、勇者の心はどこか晴れやかで、何となく解放された気分に包まれるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます