第17話 押し掛けワイフと赤兎
突発的な嵐のごとく騒ぎ回ったリリアムであるが、その後は当然のように同居人となった。
ヒューゴは遠回しに優しく拒絶。
だが、その程度の異論で言を引っ込める女ではない。
数々の家財道具を強引に持ち込むことで、なしくずし的に同棲は成ったのである。
「随分とまぁ、中の雰囲気が変わりやしたねぇ」
「喜んで良いのかなぁ……」
壊れかけの台所と、数点の食器しか無かった室内であるが、今はどうだろう。
灯り取りの穴にはガラスが嵌まり、隙間風を塞いでくれた。
純白のレースカーテンも掛けられており、外から覗かれる心配もない。
床には大きな絨毯。
熟練工による手作りで見映えが良く、質感も極めて滑らか。
部屋の中央には4人用のダイニングテーブルに椅子。
それらは全て畳めるので、食事以外のシチュエーションでも困ることはない。
他にも毛布類やら食器棚などが持ち込まれ、魔王城の生活水準は一挙に急上昇した。
経年劣化による床や壁の損傷はそのままだが、それでも十分すぎる程の向上である。
「魔王ちゃん。こんなものでどうかしら?」
持ち主のリリアムが良い笑顔で告げた。
ヒューゴに拒否権は有るようで無い。
これらの家具に難癖をつけようものなら、別のものが持ち込まれるだけだ。
彼女には唸るほどの金がある。
伊達に人気役者だった訳ではない。
過去作品の稼ぎを相当に貯め込んでおり、今回の輿入れは『逆玉状態』と呼ぶに相応しいものだった。
「うん。まぁ、いいかな。本当は良くないけど」
「ごめんなさいね。出来ればお金を直接渡して、好きなものを買ってもらうのがベストだと思うけど」
金の話になると、カリンが素早く反応した。
平身低頭。
卑屈にしか見えないへりくだり方。
かつて成金だった事など忘れてしまったかのように、割と下品な声色で懇願しはじめた。
「姉御ぉ。お金ちゃんを余らせてるようで、へへっ。ここの家計は火の車でやんして、どうかオコボレに預かれないかなぁなんて、えへへっ」
「ダメだよカリン。お金ってのは自分で稼ぐものだよ」
「ごめんねぇ。魔王ちゃんに渡そうとしたんだけど……頑固なのよ」
リリアムが腰の袋を揺らした。
すると、ザリ、ザリと重たげな音が鳴る。
中身が金なのか銀かは不明だが、相当な額であることは確かめるまでも無いだろう。
「アニィ、そこは貰っちゃっても良いんじゃないですぅ? 清貧も格好良いですが、先立つものも必要でござんしょ」
「ほんとよねぇ。せっかく使いきれないほどのお金を渡そうとしたのにさぁ……」
「うんうん」
「そして粗方使い果たした頃、借金をタテに婚姻を迫ろうと思ったのにねぇ」
「その爽やか過ぎる腹黒さって、どうにかならんのですかねぇ?」
カリンの鋭い切り込みにもリリアムは動じない。
ただ、少し困ったように首を傾げるだけである。
「そもそもさ、僕と結婚がどうのって言うけども、そこからして意味不明だよ。一体何がそこまで君を追い込んでるの?」
「だって、アタシは仕事を無くしちゃったもの」
「それはこの前聞いたよ」
「こういう時って誰かに守られたくなるの。魔王ちゃんはとても強いでしょう?」
「まぁ一応ね。活かし所はあんまり無いけども」
「だから、魔王ちゃんに一発タネを仕込んで貰って、憧れの専業魔族になろうと思って。子供もそろそろ欲しいし」
「唐突に言葉を汚くするのも止めてもらえないかな?」
男性陣の微妙なムードなど気にも留めず、リリアムは居座り続けた。
そこそこの不協和音をBGMにしながら。
彼女の家事は献身的だった。
少なくともヒューゴに関することは、毎日完璧に仕上げ続けた。
かと言ってチーサやカリンのケアに手を抜くこともない。
優先順位の差こそあれど、過分な程に世話を焼かれる事となった。
部屋は常に整い、料理も上出来。
寝具は毎晩太陽の香りを楽しめる。
魔王城は思いがけず、家庭の暖かみに包まれたのだ。
なのでリリアムが欠けがえの無い存在に至るまで、それほどの時間を要しなかった。
幾日か過ぎた、とある晩餐時のこと。
食卓に少量の酒が各人に用意された。
見慣れぬ物を前にして、ヒューゴたちは目を丸くしてしまう。
「リリアム。これはどうしたんだい?」
「たまには良いかと思って、ちょっと買ってきたの。みんなで飲みましょ?」
軽い口ぶりで言うが、この界隈において酒類は高級品だ。
魔族にとっては手の届かない代物であり、飲めたとしても濁り酒である。
にも関わらず、目の前の小さな器に注がれているのは、一点の曇りもない澄み酒。
透明なガラスの容器のおかげもあってか、一種の芸術品のようにすら見えた。
「酒かぁ。しかも上等品! 姉御、心より感謝いたしやす!」
「これ美味しいやつだから。気に入って貰えると思うわ。どうぞ飲んで飲んで」
「すいやせん、辛抱溜まらんで、一足先にいただきやす!」
カリンは酒に目がない。
なので、普段とは違い、主を差し置いて杯を呷った。
喉がなかなか動かない。
舌先で存分に味わっているからだ。
そして、体を大きく震わせ、全身で飲み込むようにして胃に収めた。
「かぁーーッ! こいつぁすげぇ! アッシも色んな銘柄(もの)を飲み倒しやしたが、ここまで旨ぇのは初めてでさぁ!」
「知り合いにね、お酒を卸してるヒトが居るのよ。だから、中々お目にかかれないものを紹介して貰えるの」
「なるほどねぇ、さすがは姉御……って、アニィ。飲まねぇんですかい?」
「僕、お酒って飲んだこと無いんだぁ」
生まれてより現在に至るまで貧乏人であった彼には、酒と接する機会などありはしなかった。
そして、未知なる飲料に飛び付くほど、新し物好きの性格ではない。
むしろ大いに警戒した。
匂いを嗅ぎ、指先で杯をつついて波紋を眺めたりして、ひたすら観察に徹している。
まるで猫のようだ。
本質的により猫に近い家来は、すでに2杯目に入ろうとしているのだが。
「魔王ちゃん。騙されたと思って、一口だけ飲んでみたら?」
「アニィの酔っぱらったとこなんて見たことないでやす。案外、酒乱だったり?」
「まさかぁ。魔王ちゃんに限ってそんな事は……」
期待の眼差しがヒューゴに集まる。
こうなると、ヒトの善い彼は断る事が出来ない。
チビり。
ほんのひと舐め試してみた、次の瞬間。
「……ゲウン!」
「あら? 魔王ちゃん大丈夫?」
「フゴォォ。フゴォォオ!」
「……寝てやすね。酒弱いなぁ」
ヒューゴは勢い良く真後ろに倒れ、そのまま高いびきをたてて寝入ってしまった。
恐ろしいまでの下戸である。
巨体な見た目とそぐわない所が、何とも彼らしい。
「お酒溢れちゃったわね。拭かなきゃ」
「もっも! もっも!」
「ダメよチーサちゃん。あなたにはまだ早い……」
リリアムの制止も聞かずに、チーサは卓上から滴る酒を舐め始めた。
舐めた。
舐め取った。
延々と舐めた。
布巾よりも優秀な吸水性を発揮し、溢れた全てを飲み込んでしまった。
「こ、これ、大丈夫でやすか?」
「どうだったかしら。モチうさぎって、お酒をあげても良いものか……」
「ももももッ! もももももぉおッ!」
「……ダメだったかも?」
チーサの様子が一変する。
全身の純白の毛は真っ赤に染まり、天を突くようにして逆立った。
口からは絶叫。
態度も豹変。
ケタケタと不気味な笑いを浮かべながら、壁や天井を駆け回りだしたのだ。
この異常事態にカリンの酔いも冷める。
「これ、ヤバくねぇですかぃ!?」
「大変! お水飲ませなきゃ……」
「もぉぉおお!」
半狂乱のチーサが飛び回る。
まるで荒れ狂う火の玉だ。
その勢い凄まじく、捕まえようとするリリアムに手痛い一撃を食らわせてしまった。
「ヘムッ!?」
「姉御ぉ! しっかりしておくんなせぇ、あね……ヘムリッ!?」
「ももももぉ! もーっとっとっとぉぉお!」
勝負は着いた。
2本足で立つものは居ない。
それから深夜の魔王城には、とち狂ったような声が響き続けるのだった。
翌朝。
ヒューゴは定刻通りに目を覚ました。
頭痛と胸焼けが伴っており、爽快な寝覚めとはならなかった。
「んんーー。おはよう……ッ!?」
家主は部屋の惨状に絶句した。
手付かずの料理は散々に荒らされ、テーブルクロスや絨毯に大きな染みを作っている。
皿も鍋もそっくり返り、同居人はみな行き倒れのように寝転び、深い眠りへと落ちていた。
これが噂に聞くランチキ騒ぎかと、深い溜め息をひとつ。
それから独りノンビリと片付けを開始した。
この事件を期に、魔王城では酒の常飲が禁止となる。
モチモチと反発したのはチーサのみであり、3対1の多数決をもって、厳しい掟(ルール)が定められるのであった。
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