第15話 勇者たちの暮らしぶり

これまでに触れたとおり、魔王を始めとした魔族の暮らしは散々なものである。

幸と不幸は物差し次第であるから、一概に貧困が不幸と断じることは出来ないが、少なくとも豊かとは言い難い。


では、対立軸とも言うべき勇者たちはどうか。

果たして彼らは、幸福な暮らしを送っているのだろうか。


勇者たちの日常を覗き見る前に、まずは彼らの人と形(なり)を見てみよう。

最初に戦士。

無口だが豪胆な男で、体躯は並外れて立派だ。

常人離れした筋肉は、重量のある武具を自在に操り、致命な攻撃でも物ともしない。

仲間たちの守護神のような存在である。


次に賢者。

彼女はあらゆる魔法に精通し、複雑な術式をいとも簡単に操る事が出来る。

知識の人というよりは直感の天才肌。

掴み所が無い点が玉にキズだが、チームへの貢献度は極めて高く、攻守を円滑に繋ぐ中盤の要である。

作戦の立案も概ね彼女の仕事で、戦場外の局面でも重責を担っている。


錬金術師。

彼は賢者よりもサポート寄りの立ち位置だ。

魔法は使えない。

その代わり、この世に存在しない秘薬や道具を生み出す事が出来る。

そして脳に記録している膨大な知識により、稀少な魔族や罠と対峙した際に、値千金とも言える情報を提供する事が可能だ。

メンバーの中で最も華奢であるが、その弱点を補って余りある能力を有している。


最後に勇者。

この世で唯一、聖属性の攻撃を操れる存在である。

聖属性とは魔族特効の、人間にとって最後の切り札とも言うべき力だ。

また、剣技も超一流。

仲間のサポートを受けながら、彼の剣が葬った魔族は数知れず。

まさに歴戦の猛者である。


こう聞くと無骨な男を想像しがちだが、それは誤りだ。

冷静さと情熱を兼ね備えた美しい瞳と、豊かで長い睫毛。

スラリと通った鼻筋に鋭いアゴ、風が吹けば滑らかに舞う金の髪。

肌は白く、透明だと錯覚する程であり、手足は彫刻品かと思うほどに長い。

まるで天女や女神の様な容貌である。

この人物の性別を明らかにするものと言えば、せいぜい声の逞しさくらいだ。


先述した男性寄りの声が今、頼れる仲間たちに号令を出そうとしていた。



「さぁて、そろそろメシにすんべよ」



手狭な室内には全員が揃っている。

部屋のど真ん中には丸テーブルが置かれ、その上に大きめの鍋がある。

延々と沸き立つ湯気と香りが辺りを包み込むが、皆の反応は鈍い。

とりあえず勇者は、部屋の隅で横たわる賢者の肩を揺らした。

だが返事代わりに、彼の揺する手が引っ叩かれてしまう。


万年床で眠る彼女は、滅多な事では活動しようとはしない。

1日にほんの僅かな時間だけ体を起こし、必要分のエネルギーを補給し、水を飲んだらまた眠る。

それを延々と繰り返すのだ。

己の叡智(えいち)を曇らせないために必要な行為なんだとか。


もちろん、人が生きる為には金が要る。

彼女のような廃人的な生き方でも、一定水準の暮らしを送るには代償が必要となるのだ。

それについて問いかけても梨のツブテである。

あらゆる魔法を操る事と、狸寝入りが得意なのだ。



「錬金さんよぉ。メシの時くらい本読むの止めてくれっけ?」


「ああ、邪魔しないでください。今スゴく良い所なんで」


「今日作ったのはラーメンだど? 伸びちまっても知らねえど?」


「結構です。置いといてください」



錬金術師は何やら研究に没頭しているようだ。

小難しい書物に、神経質そうな細かな文字を書き連ねている所だった。

他人にそれを解読するのが不可能なほどにビッシリと。

本人曰く、たまに自分でも読めないというのだから、目も当てられない。


一向に箸を付けようとしないメンバーの様子を見て、戦士が野太い声で言った。



「みんな、食わねえのかぁ。じゃあ、オイラが、食っちまいてぇんだなぁ」


「戦士よぉ。オメはダメだぁ。メシの代わりにその辺のモン買ってやってんべよ」



戦士の周りはジャンクフードの残骸で散らかっていた。

彼は図体の通り大食漢である。

だが勇者たちには、大飯食らいの食費を賄い続けるだけの収入が無い。

その結果、彼は安価なジャンクフードや菓子を食べるようになった。

朝から晩まで手を休める事なく、延々と食べ続ける。


その不摂生による代償は肉体に現れており、シルエットが丸みを帯び始めていた。

日課だったトレーニングからも遠ざかって久しい。

もはや自前の装備すら使いこなす事が出来るかどうか、極めて怪しい所だ。



「はぁーー。それじゃあ、オレだけ先に食っちまうかんなぁ」



勇者の諦めにも似た声が、手狭な室内に虚しく響く。

狭いとは言いつつも、ここは魔王城よりは敷地面積が広い。

4人で暮らす事は当初から予定どおりだったので、物件選びも検討を重ねたものだった。


ルームシェアと言えば聞こえは良いが、実態は単なる寄り合い世帯である。

一応は単身者向けの部屋なので、大勢では何かと不便であるが、一人当たりの家賃は相場の半分以下に抑えられている。

だが、この程度のやり繰りが何になるだろう。

そんな捨て鉢な空気が彼らの中で蔓延している。


役者を志して早10年。

年齢上、夢を追いかけるのが厳しい年齢に差し掛かろうとしていた。

だが芸歴とキャリアは比例せず、ようやく手にした主役の座もマイナー映画。

それ以来仕事の話は無い。

今の所はアルバイト代と出演料で暮らせてはいるが、それもいつまで保つか。


『何とかなる』という楽観。

そして『どうにも成りはしない』という絶望。

この両者と退廃を絶妙にブレンドした結果、室内の閉塞感へと変容する。

彼らから弾き出される不協和音も、それが主因であった。


勇者の溜め息は深い。

全てを理解しているからである。



「あーぁ。本当の力が、人間世界でも使えたらなぁ」


「それは、やっちゃ、ダメだぞ」


「そうですよ勇者さん。一生牢屋暮らしをしたいんですか?」


「言ってみただけだっぺよ。田舎のオッカァを泣かせられっか」



勇者たちのあまねく特殊技能は、取り扱いについて厳しい制限が設けられている。

いや、実質的には禁止である。

それはプロライセンスを持つボクサーが、一般人を殴ってはいけないものと似ている。


例えば戦士が格闘家としてデビューしたり、錬金術師が未知なる商品を開発する事は法律違反となる。

そのタブーを犯したなら塀の向こう。

一生とは流石に大げさだが、おおよそ30年程は収監されてしまうだろう。


遠慮なく力を振るえるのは特別な状況下のみ。

それはもちろん、映画やドラマの撮影時に限る。

備えている能力をひた隠し、貧しい日々を送るのは屈辱だが、ボヤくだけ無駄というものだ。


そのため、溜め息が常駐する。

この鬱屈した空気を変えるような明るい話題はない。

だが、一石を投じるような声が、錬金術師からあがった。



「んんんん! 出来たぁーー!」


「オメ、うるせぇど。賢者から怒鳴られっぺよぉ」


「いやいやいや。聞いてください見てください。メッチャクソ有用な道具の発明に成功しましたよ!」


「意味もなく、技能を使うのは、悪いことなんだぞぉ」


「バレなきゃ良いんですよ。この部屋の中だけで完結するならね!」



そう言って高々と掲げられたのは、一見するとごく普通の革袋だ。

何がそこまで有りがたいのかについては、一通りの説明が必要だろう。



「んでよぉ。それの何が発明なんだべ?」


「フッフッフ。使い方は簡単。例えば……このビスケットを1枚、中に入れます」


「おう」


「振ります。とりあえず2回」


「おう」


「するとどうですか! 4枚に増えているのでぇーーす!」


「おおおおーーッ!」



袋から取り出されたのは、寸分違わぬビスケットであった。

半分に割れて……などというオチではない。

どう見ても増殖したようにしか見えない、完品が眼前にあるではないか。



「やるでねぇか! これで生活も楽になんべよぉ!」


「さっそく、1枚、食わせてもらうぞぉ」


「はぁい。どーぞどーぞ」



満面の笑みで2人が頬張る。

ひと口ふた口と食べ進めるたびに陰が差し、やがて曇り顔となった。



「……味がしねぇべ」


「食感も、サクッと、してないぞぉ」


「そりゃそうですよ。質量保存の法則はご存じですか? 1個分の質量を無理矢理4個に分割したんです。品質もお察しですよ」


「……はぁ。バイト行ってくんべぇ」



勇者は想定外にも失意の底へと突き落とされたが、心を休めているゆとりは無い。

出勤時間が迫っているからだ。

気怠い体にムチ打って、職場へと向かう事にした。


身支度を整え、ドアから出るなり施錠。

外はひどく冷え込んだ。

木枯らしの吹きすさぶ通路には、世界から隔絶されたような静けさが漂っている。

人気(ひとけ)が無い事が原因であろう。


その静寂の中で、勇者は自分の部屋の方を見た。

それからふと思う。


ーーあそこは沼だ。仲良く傷を舐め合いながら沈んでいく、沼なんだ。


そんな言葉も、日々の忙しさの中へと消えていく。

実際、彼が仕事を終えた頃には、再び思い出すことは無かった。

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