第11話 心を縛るもの
陽の落ちた路地裏はかなり冷え込んだ。
氷属性に耐性のあるヒューゴとっては問題ないが、隣に座る老人は極普通の人間だ。
この寒さはよっぽど堪えるだろう。
……ウカウカしていると、風邪でも引いてしまうかもしれない。
そう思うとヒューゴは気が気じゃない。
早いところ昔語りを教えて欲しかったが、中々に口を開いてはくれなかった。
記憶の扉は、扉にかけた錠前は、酷く重たいようである。
……時間も遅いことだし、明日にしてもらった方が良いかな?
仕切り直しを提案しようとしたが、老人の方が一手早かった。
彼の半生が暗い路地裏で語られ始める。
「ワシが若かりし頃、魔族の知り合いがおった。腕っぷしの強い男で、魔王種であったな。何の縁かは知らんが、そやつと頻繁に関わり合うようになった」
「お友だち、ですかね」
「知り合いだ」
「……はぁ、そうですか。良いヒトだったんですか?」
「いいや。日がな金に困り、酒にだらしなく、そして怠け者であった」
「それは、何というか、頑張って欲しいヒトですね」
「まぁな。だが……」
そのとき、大家の顔が僅かに緩んだ。
目線は足元を向いているが、何も見ていないような眼をしながら。
「義侠心に篤い男ではあった。それが唯一の美徳と言って良いだろう」
「ギキョーシン?」
「弱きを助け、強きに逆らう。そんな男だ」
「あぁ、なるほど」
「ワシはこれでも富豪の出でな。当時は大金を余らせていた。あやつはそんなワシに眼をつけ、来る日も来る日も酒代をせびっていった」
「へぇー。その都度渡していたんですか?」
「ほんの小銭だ。腹の立つ額ではなく、憐れみを感じる程度のな」
「僕だったら断りますね。お金は自分で稼いで欲しいもの」
「説教するだけ無駄だ。ヘラヘラ笑うだけで、何を言っても聞きやしない。それに、飢えたまま放置するのも危険だったろう。なので、手渡す金の量で、あの男をコントロールしようとした」
ここまでの話では、一般人に絡む無頼人の関係性しか見えない。
この物語が現在にどう関わるのか。
ヒューゴは先程の心配を忘れ、すっかり夢中になっていた。
往来には少なからず人が通り、道端の2人に不審な眼を寄越すのだが、そんなものは気にならないようである。
「ある日、そやつに言った事がある。何でも良いから働けと。すると、臆面もなくのたまった。家が無くては働くことも出来ん、とな」
「まぁそうですよね。現住所がないと、どこも雇ってくれませんから」
「だから建ててやった。それがあのボロ家だ」
「ええ!? 家をあげちゃったんですか?」
「さっきも言ったが、当時は富豪だった。金貨50枚くらいはハシタ金だ」
「ご、ごじゅうまい……」
ヒューゴは金槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。
まぁ、仮に殴られたとしても痛くはないのだが、とにかく衝撃だった。
金貨50枚、それすなわち銅貨換算5000枚で、1000日分のアルバイト代に相当する。
その日暮らしの青年には想像もできない額面だった。
「家を買い与えても、ワシは期待しておらんかった。どうせ寝所が欲しい口実であろう、と。実際、翌日にはまた酒代をせびりに来た」
「ということは、働きはしなかったんですね?」
「それが意外な事にな、真面目に働くようにはなった。鉱山、警備、役者なんかもやっていたな」
「へぇぇ、すごいなぁ。でもそれなら、お金に困りそうにないんですが」
「魔族の子供たちが、あのロクデナシを変えた。その日に食うものすらもたない、大勢の貧しい同胞が」
老人の顔が徐々に沈鬱なものへと変わっていく。
この話は喜劇ではなく、悲劇なのかもしれない。
ヒューゴは心の中の案配を切り替えた。
「あやつは最初の頃は、酒に博打に女遊びと、それはもうロクでもない暮らしを送っておった。だがそんな日々の中でさえ、思うところがあったようだ。ワシからせびった酒代と、自分の稼ぎで子供たちを食わせようとした」
「良いヒトじゃないですか。更正したんですね」
「生まれ変わった姿を見て、ワシも安心したよ。これで真っ当に生きてくれると。だが、世の中はそれほど甘くはなかった。この街の近くで、新たな炭鉱開発が始められたのだ」
「……それの何が問題なんですか?」
「炭鉱は大人だけでなく、子供の労力も必要とする。大人が入れないような場所があるからな。その当時は子供の鉱夫が足りなかったので、付近から強制的に集める事が決まった」
「それって、もしかして……」
「この町も対象になった。魔族の子供は見境なく連れ去られたよ。保護者が居ようが居まいが関係なく、全てだ。病気や怪我で自力で立てないものさえ含めてな」
「酷い……そんなの、あんまりじゃないてすか!」
「魔族差別は今も根強く残っているが、これでも多少は緩やかになったのだ。当時は輪をかけて酷いものであったからな」
「それで、その魔王さんはどうしたんです?」
ヒューゴは相手の眼を見据えて聞いたが、一瞬ひるんでしまった。
老人の眼が赤く燃えているようで。
おぞましい経験を、記憶の奥底から呼び覚ましている為だろうか。
その気迫は他を圧倒するほどのものだった。
「反乱を起こしたよ。顔見知りの魔族を従え、ここに魔族の国を打ち立てようとした」
「でも、それだと討伐対象になりますよね。何万ものニンゲンが押し寄せて来るとか……」
「やって来た正規兵は2万とも3万とも言われておる。迎え撃つは魔王といえど、手下は20に満たない。何度か相手を押し返したのだが、結局は数の暴力で押し潰され、この町で処刑された」
「……貴方は、それを見たのですか?」
「この眼で見ることは叶わなかった。牢屋の中にいたからな。魔族を扇動した反逆者としての嫌疑がかけられていた」
「そんな……貴方は貧しいヒトたちを食べさせていただけじゃないですか! しかも間接的に!」
「人間という生き物は、時として憂さ晴らしをしたくなる。誰かに惨事の責任を負わせたかったようだ。幸いにも我が父が各所を奔走し、大枚をはたいて、どうにか事なきを得たのだが……」
ふぅ、と大きな溜め息が漏れる。
怒りに燃えた眼差しも今はすっかり冷えきり、静かな湖面のようなものになっている。
「魔王の処刑は難航した。何せ、簡単には殺せないのだから。あの手この手と試し、ようやく死に至らしめた。その都度に響く断末魔の叫びは牢屋にも届き、聴こえる度に身を切られるような思いであった」
「……よほどに無念だったでしょうね」
「今でもその時の事を鮮明に思い出してしまう……あの、怒りと憎悪に満ちた声をな」
ヒューゴにはかけるべき言葉が見つからなかった。
自身も貧しい出であり、大多数の魔族は今現在も不遇を強いられている。
かつての魔族の反乱は他人事のように思えず、昔話であるのに不思議な生々しさが感じられた。
「それから後は、大した話はない。ワシは職を失い、手元に残ったのはそれなりの財産に自宅。そして、あの小屋くらいだった。散々働けと説教したワシが腑抜けになったのだ。今ごろ天国であやつも嗤(わら)っておるだろう」
「そんなこと、ないですよ……」
「あの小屋は取り壊してしまおうと考えていたが、何かと先送りにしていたら、とうとう実行することが出来なかった。時おり人に貸していたが、建物も老いはする。やがて誰も寄り付かなくなった。未だに若さを保っているのは、ワシの記憶や妄執だけだ」
そこまで言い終えると、老人は腰を労りながら立ち上がった。
ヒューゴは視線を地面に落としたまま動かない。
「ジジィのつまらん長話に付き合わせた」
「いえ、そんな事は」
「ワシはもう行く。お前さんも、あまりウロチョロせずに帰れよ」
「はい。さようなら」
老人の背中が闇夜に消えた。
ヒューゴはそこから動くでもなく、感情を昂らせ、やがて泣き始めた。
同胞のために立ち上がった男を憐れんだのか。
若かりし頃の友誼を、悲劇と共に背負う老人を哀しんだのか。
友の記憶が宿る小屋を、口では悪く言いつつも、とうとう手放さなかった優しさが胸を打つのか。
彼には分からなかった。
異常を知ったチーサが胸元から飛び出し、ヒューゴの肩に勢い良く乗った。
そして大粒の涙が零れるたびに、その頬を舌先で撫でた。
心配をかけさせまいと、心を強く持とうとしたが、上手くいかない。
そのまましばらくの間、あふれる涙を押し止める事が出来なかった。
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