第10話 コワモテの警備員

ヒューゴは今、貧民街の中にいる。

巡回ルートから大きく外れたエリアだ。

彼の優れた身体能力が、微かな喧騒を聞き分けてしまい、お節介な性分がここまで誘導したのだ。


物陰の向こうには3人の人物がいた。

怒鳴り散らすニンゲンの男が2人。

地面に這いつくばるのは1人だけで、そちらは魔族である。

眼前の状況は、争いと言うには一方的すぎて、もはや私刑と表現する方が正しいだろう。



「テメェよぉ。随分と良い暮らししてんじらねぇか。魔族ごときが調子に乗ってんじゃねぇよ!」


「すみませぇん! 許してください!」


「おい、畜生のくせに人様の言葉喋んなよ! 語尾つけろよ語尾!」


「すいませんでしたニャン! 許してくださいニャン!」



汚ならしい嘲笑が響き渡る。

2人から暴行を受けているのはキャットウルフだ。

いつぞやの、ヒューゴを嗤(わら)いつつ金貨を施そうとした、あの男である。

その顔を見て僅かに苦々しい記憶が甦る。

他者を見下し、有頂天になって騒ぐ姿が。


あの時のキャットウルフの所業はやはり行き過ぎており、多くのヒトの反感を買った事は間違いない。

つまりは身から出たサビ。

実際、周囲の魔族は助けに入ろうともしていない。

この魔族は、多くの人物から煙たがられていたようである。



「アッハッハ! すっげぇ媚びてらぁ。こいつプライドとかねぇのかよ!」


「魔族っつっても大した事ねぇなぁ? クソ弱ぇし」


「フギャッ!」


「おら飲めよ。テメェみてぇなクソヤローには泥水がお似合いだ!」



キャットウルフはされるがままだった。

というのもこの種族は力が弱く、体格も小柄。

2人相手に勝てる道理は無い。


更には立場上、ニンゲンに逆らうことは許されていないので、手の打ちようがない。

ひたすらに嵐が過ぎ去るのを待つばかりだ。

つまり、飽きてもらうまでジッと耐えるしか術が無いのだ。



「あの調子だと、殺されてしまうかもしれない……」



ヒューゴの心は揺れた。

目の前の蛮行を見過ごすことは、彼の信条が許さない。

だが、相手はニンゲンだ。

下手に逆らおうものなら、役者の夢を絶たれ、せっかく手にした職も失うことになる。

そして運が悪ければ、自身が討伐対象にされてしまうかもしれない。


天秤が左右に揺れる。

心は焦らされるほど昂りを覚え、手に汗が溜まる。

一方、その間も暴行は止まらない。

殴り、蹴り、嘲笑う。

そして男が足を上げ、キャットウルフの顔を踏み潰そうとしたとき、ヒューゴは一歩踏み出した。



「やめて!」



ヒューゴは己の身を晒しつつ、制止の声をあけた。

それを耳にした男たちは弾かれたように振り返る。

次の瞬間には大きく驚くが、すぐに悪人の面構えに戻った。

彼我の立場というものを良く知っているからだ。



「なんだ。魔族かよ。オレたちニンゲン様に何の用だ?」


「その子を解放してもらえないかな。経緯は知らないけど、明らかにやりすぎだよ」


「この野郎。底辺暮らしがオレたちに意見しようってのか、アァ!?」



男たちは即座に折り畳みナイフを取りだし、それをヒューゴに向けた。

強烈な怒気と殺意も向けられた。

だが、それしきの事で怯えたりはしなかった。



「もういい加減に気は晴れたでしょ? その辺にしてあげて。お願いだよ」


「誰がテメェの指図なんか受けるかよオラァ!」



2本のナイフがヒューゴの体目掛けて迫る。

腹と首を切り裂こうとしたそれは、彼の体に触れる事は無かった。

宙で弾かれたと思った瞬間に、刀身が砕け散ってしまったのだ。


魔王を討てる手段など限られている。

少なくとも、街のゴロツキ程度に出来る芸当ではなかった。



「な、ナイフが!?」


「チクショウ! 覚えてやがれ!」



そそくさとニンゲンが立ち去っていく。

ようやく解放されたキャットウルフは、潰れかけの声で問いかけた。



「あ、ありがとう。でも、どうして……?」


「僕は自分の信条に従っただけだよ。キミだから助けたって訳じゃない」



ヒューゴは最後に回復魔法を施して、その場を立ち去った。

キャットウルフの引き留める言葉にも耳を貸さずに。


さて、話はここで終わらない。

何せヒューゴはニンゲンと揉めてしまったのだ。

自身の信条とやらを守れたは良いが、同時に厄介事を背負い込んだ形になっている。

このトラブルのツケは、早くも同日の夕暮れ時、帰社した瞬間に支払う事になる。



「あのさぁ魔王ちゃんよぉ! ニンゲンと揉め事起こすなって言ったよねぇ! クレームが来ちゃってんだけどぉお!?」


「すいません! すいません!」



会社の控え室に戻ろうとしたヒューゴは、即刻所長に捕まり、ひたすらに詰られた。

着替える隙すら与えない叱責である。

よほどの大事(おおごと)になったようで、もはや罷免(ひめん)は確実である。



「ともかく、君には辞めてもらうからねぇ! うちにはもう置いておけないから!」


「そんな、そこを何とか!」


「ちょっと邪魔するぞ。ワシからも1ついいか?」


「だ、誰だアンタは!?」



所長とヒューゴの2人きりのハズだった事務所に、いつの間にか部外者が入り込んでいた。

その人物はヒューゴと顔馴染みである。



「大家さん! どうしてここに?」


「フン。偶然だが、路地裏での一件を見たぞ。例のゴロツキどもと揉めていたな」


「……ええ。まぁ」


「所長さんよ。このデカブツは不器用だが、真面目なヤツだ。それは付き合いの浅いアンタにも分かるだろう?」


「それは、ええ。そうですねぇ」


「ロクデナシどもの苦情がなんだ。そんなものは無視すりゃ良い。どうせマトモな連中じゃないんだ。何を言われても毅然と突っぱねろ。このご時世、真面目に働くヤツなんて貴重じゃないか。そう思わんか?」



大家である老人は芯の通った声で、理路整然と語りだした。

ヒューゴはそれを聞くなり、居たたまれない気持ちになる。



「あの、大家さん。お気持ちは嬉しいんですが……」


「すっこんでろ。オレは今、口下手のテメェに代わって弁護してやってんだ。それが分からねぇってのか?」


「あの、大家さん。違うんですよ」


「なんだと?」


「アンタねぇ、いきなり首を突っ込んだかと思えば……。良いですか。クレームは街の子育て世代からですよ! 子供が泣いて大変だからクビにしろってうるさいんです。ゴロツキどもも何か言ってましたが、そっちは最初から聞く気なんてありませんってば」


「それは、何とも……。不覚だ」


「ともかく! 魔王ちゃん、君は打ちきり! 今日の日当は払うから、もう来ないでね!」



とりつく島も無い、とはこの事だ。

さっきまでヒューゴを庇ってくれた大家も、想定外の展開に言葉が出なかった。

そうなれば話は早い。

簡単な手続きが片付けられると、2人は揃って事務所を追い出されてしまった。


せっかくの働き口を失い、ヒューゴは呆然としてしまう。

だが、僅かに残った理性が、彼に筋を通させようとした。



「あの、大家さん。助けに来てくれて、ありがとうございました!」


「礼など。ワシは何の役にも立てんかった」


「それでも、わざわざ僕の味方についてくれたことは、素直に嬉しいです!」


「気持ちが何の役に立つという? 罷免を阻止できなかった。世の中は結果が全てだ」



大家は曲がった背中を小さくさせ、その場を立ち去ろうとした。

このまま帰す気になれないヒューゴは、その背中に続けて質問を投げ掛けた。



「あなたは、どうして僕を気遣ってくれるんです? 大した縁の無い僕を」


「大切な家を預けている。その借り主にお節介を焼いただけだ」


「大切な家? でも、僕が居なくなったら取り壊すモノでしょう? 話が見えて来ないんですが……」


「聞きたいか。老人の話は長いぞ?」


「はい。教えてください!」



大家は未だに沈んだ顔のまま、道端に腰を降ろした。

そのすぐ側に肩をすぼめたヒューゴが並ぶ。

老いた口からとつとつと昔話が語られる。

それは純朴な青年の心に、強烈な印象を与えるものだった。

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