第9話 共に抱いた夢

今、目の前には良く知る子供が居る。

ヒューゴはぼんやりとした頭で思った。

そして同時に、これは夢なのだと感付く。

その幼な子が大きく育った姿を、誰よりも知っているからだ。



「ヒューゴ、早くしろよ!」



少年の幼い手が引っ張る。

強引に引かれる手も、引けを取らない程に小さい。



「わかったから。引っ張らないでよ、インテリウス!」



ヒューゴは懐かしい気分に浸った。

今甦っている光景は、かつて幼馴染みと映画を見に出掛けた時の記憶なのだ。


所持金は2人合わせて、賎貨18枚。

銅貨を交えていないのには理由がある。



「ねぇ、やっぱり僕は良いよ。お金足りないし。君1人で観てきなよ」


「だから全部、賎貨で持ってきたんだろ! 独りで観てもつまんねぇし。受付のジーサンはヨボヨボだから騙せるよ!」


「でも、それって悪いこと……」


「うるせぇ! 良いから来いっ!」



映画を観るのに大人で賎貨15枚、こどもが10枚。

彼らの持ち合わせは合計で18枚。

ヒューゴの手持ちのお金が6枚しかない為に、2人分の金額には届かない。

だから子供だましながらも、どうにか小細工を弄(ろう)しようというのだ。


やがて2人は、傾きかけた映画館にたどりついた。

受付には老いた羊人が居るばかり。

やって来るなりインテリウスは、会計机の上に全財産を叩きつけた。

キッチリ積み上げずに、小山を作るようにして。

数の誤認を狙うのが彼の作戦なのだが、老人とは言えど大人を騙すには、あまりにも稚拙すぎた。



「おっちゃん。子供2人な!」


「はいはい。ひい、ふう、みい……」



老人は途中で勘定を止めた。

それから静かに幼な子たちを見た。

後ろめたい気持ちがヒューゴの心を苛む。



「おまえさんたち……」


「は、はい! 何でしょうか!?」



ヒューゴは自責の念も手伝ってか、弾かれたように声をあげた。

それに対してインテリウスは舌打ちをした。

堂々としてろ、と悪態をつきたくなるが、彼の友人は気が小さい。


それから固唾を飲んで老人の出方を待っていると、その口から出たのは意外な言葉だった。



「今は客が居ない。だから好きなもん見せてやるよ。何がいいかい?」


「ほんと!? ラッキィ! オレたちツイてるぞ!」


「あの、その、本当に観ていって良いんですか!?」


「もちろんだとも。お金をちゃんと支払ってくれたからねぇ。何にするんだい?」


「じゃあね、えっとね、『魔族解放』が良い!」


「はいよ。それじゃあ中で座って待ってなさい」



ヒューゴたちは促され、館内へと入った。

中はほぼ真っ暗で、多少大きなスクリーンと、壊れかけの椅子が並んでいる。

老人の言う通り、1人も客は居ない。

まさに貸しきり状態だ。



「せっかくだから、真ん前に座ろうぜ!」



インテリウスは最前列の中央に座った。

ヒューゴもいそいそと彼の隣に座る。

そして2人が腰を落ち着けるなり、上映は始まった。


作品は『魔族解放』だ。

そのストーリーは、人間に支配された魔族が立ち上がり、大陸の覇権を取り戻すというものである。



「やれ! ニンゲンなんかギッタンギッタンにしてやれ!」



インテリウスはすっかり興奮してしまった。

何もない所で拳を振り回している。

一方、ヒューゴは完全に見入っており、友人のバカ騒ぎすら聞こえていない。

それどころか、主人公が発する言葉の一言一句を心に沁(し)みこませていた。

まるで聖典をなぞる宗教家のように。



「カッコいいなぁ……僕もこんなヒトになりたい……!」



態度に違いはあれど、どちらも映画の世界に没頭していた。

見せ場のシーンでの『仲間を見捨てろってのか! そりゃオレに死ねと言ってんのと同じだ!』という啖呵を切った時なんかは、特に熱を上げて眺めていた。


そんな大興奮の時間も、やがて終わりを迎えた。

90分で賎貨10枚。

子供にとって、特に生家の貧しいヒューゴにとっては、極めて高級な時間だ。

それでも退室した2人は、感無量と言った様子だった。



「めちゃくちゃ面白かったな!」


「うんうん! 本当にカッコ良かった!」



帰路にあっても興奮は冷めやらない。

少年には無限のエネルギーと創造力が備わっているものだ。

その天恵の力を用い、道端の空き地を見つけては、映画のワンシーンを再現しようと『ごっこ遊び』に興じたりした。


夢中になって戯れていると、辺りは陽が暮れていた。

そろそろ家に帰る時間だ。

ヒューゴは遊びを中断し、インテリウスを促そうとした。

だが、友人は身支度を整えることなく、少し神妙な面持ちで言った。



「なぁヒューゴ、大人になったら俳優になろうぜ!」


「ハイユーってなに?」


「知らねぇのかよ。映画に出るヒトの事だよ」


「あぁ、そうなんだ。でも、僕らに出来るのかな?」


「出来るって! 特にお前なんか純潔の魔王種だろ? 大人になったら化物になれるぞ!」


「バケモノって、ひどいなぁ」


「誉めてんだよ! オレじゃあどう頑張っても魔王にはなれないんだぞ。こっちは主役が無理だから、側近役を目指すぞ!」



インテリウスは曇りなき笑顔で片手を差し出した。

握手の片割れである。

その立ち姿が、夕暮れの力を借りて長い影を作った。



「うん。僕もやるよ! キミと一緒に、有名なハイユーになるんだ!」


「約束だからな、ヒューゴ」


「もちろんだよ、インテリウス!」



2つの小さな手が引き合わされる。

……が、交わる事はなかった。

ヒューゴの差し出した手は虚空を掴み、所在無さげに漂った。



「……随分と懐かしい夢を見たなぁ」



ヒューゴの眼前には、大きく育った右手がある。

窓と壁の隙間から差す朝日が、嫌と言うほどに現実を知らしめた。

朝の到来だ。



「まったく……君から言い出した約束事じゃないか」



夢を語り合った友は、もうこの町には居ない。

今もあるのは同居人のチーサ、そして日々の生業だけである。

それらも一緒に手放してしまわないよう、意識を自分の日常へと素早く切り替えた。

食事を手早く済ませると麓の町へ行き、職場に顔を出した。



「おはようございまーす」


「あい、おはようさん。魔王ちゃん今日もよろしくねー」


「所長、おはようございます!」


「うんうん。丁寧にありがとうね。くれぐれもトラブル、特に人間とは揉めないよう気を付けてねー」


「はい! 承知しました!」


「じゃあ行ってらっしゃいねー」



初出勤より5日目を数えた今は、ヒューゴもすっかり職場に慣れていた。

面接官、もとい所長とも概ね打ち解けた。

あとは問題行動さえ起こさなければ良い。

それだけで、これから長期間雇ってもらえそうな気配である。



「さてと。まずは大通りからの巡回だね」



魔王によるパトロール。

それは地域住民に強烈なインパクトを与えた。

彼の仕事ぶりはというと、賛否両論だ。

凶悪な見た目を恐れる人、見た目に反した善良な気質を愛する人と、意見は完全に分かれていた。


そんな評価の中で、ニンゲンの子供だけが一向に懐かない。

誰よりも悪魔らしい大男が闊歩する姿を見てしまい、火が点いたように泣き叫ぶのが常だ。

そんな時、ヒューゴは平謝りしながらあやそうとするが、大抵は保護者に怒鳴り返されてしまう。



「ふぅ、いけないいけない。早いところ、泣かさない工夫をしないとなぁ」



ひとしきり保護者たちのお叱りを、道の端々で受けた頃、大通りの巡回を終えた。

日中は比較的平和である。

魔王種相手では歯が立たないと、魔族たちがめっきり大人しくなったからだ。

ニンゲンたちも概ね不気味がり、ヒューゴの目の前では騒ごうとはしない。


それでも安全な町かと問われれば、否と答えるしかない。

平穏が保たれているのは表面だけ。

一歩裏路地に足を踏み入れたなら、無限の憎悪が渦巻いていることを簡単に知ることが出来る。



「ううん、裏道は怖いなぁ。追い剥ぎや強盗が飛び出して来そうだよ」


「もっ」


「チーサも外に出ないでね。ここは危険な場所だから」


「もっも」


次なる業務は、ひとつ裏の通りを巡回することである。

路地に一歩足を踏み入れた瞬間、それまでの印象がガラリと変わった。


ひしめき合う建物が影を作り、全体的に薄暗い。

昼間だというのに、所々見通す事ができない。

まるで犯罪者を匿うようにすら感じられる。

もちろんわざわざ魔王にケンカを売る馬鹿は居ないので、彼の仕事は滞りなく捗るのだが……。



「おや? 今、叫び声が聞こえたような?」



異変を察知して、更なる深みへと潜っていった。

それは正規ルートから大きく外れたものだ。

だからヒューゴにとっては、全く初めて見るエリアであった。


少し警戒しながら進む。

臭気が鼻をつく。

辺りの景色も、徐々に荒んだものへと変貌していった。

レンガ造りの建物は廃屋になり、木材をかき集めて建てたバラックや、通路に寝そべる浮浪者が増えだした。


ここら辺の住民は魔族が大半を占めている。

彼らはヒューゴの姿を見ても恐れる様子はないが、同時に歓迎もしていない。

誰もが無気力で、暗い視線を送るばかりだ。

それは元気盛りの幼子であっても同様だ。


狭い通りは端にゴミが堆積している。

目線の高さには洗濯物がぶらさがっていて、とにかく歩きにくい。

長身のヒューゴは暖簾(のれん)をくぐる仕草で頻繁に身をかがめ、それでどうにか騒ぎのする方へと辿り着いた。



「あれは、ケンカ? いや、リンチみたいだね……」



そこは調度、2人のニンゲンが魔族を囲んで暴行を加えている所だった。

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