第8話 友よさらば

アルバイト初日。

ヒューゴは無事に先輩を激昂させ、終始賑やかなままで初勤務を終えた。

そして、日当である銅貨3枚を得る。


どうにか定収入にありつけた為か、たかだか3枚の報酬といえど喜びを隠さなかった。

もし仮に人族が同様の仕事をしたとしたら5倍は支払われるのだが、その事実については知らない。



「よし。お金も手に入ったし、ご飯を買いに行こうか!」


「もっも!」



足取りは軽い。

残り僅かな貯金を切り崩さずに済むとあって、ヒューゴは上機嫌だ。

チーサはその楽しげな雰囲気に興奮し、主の肩で小躍りするのだった。


食料品店。

そこでは、魔族の店員が愛想の良い笑顔で応対してくれた。

牛の角を持った恰幅の良い、年配の女性である。



「さぁさぁお兄さん。今日は熊肉がお買い得だよぉ!」



彼女は数ある品の中で、大振りなカゴを指差した。

グラム当たり賎貨4枚の熊肉だ。

牛や豚の半値に近い代物だが、野菜や木の実と比べると割高な印象を受ける。


他の商品にも目をやると、その印象は事実だと知る事ができる。

ニンジンやきゅうりは各1個につき賎貨1枚。

トマトにピーマン、リンゴに至っては賎貨2枚で、例年に比べてかなり高騰していた。


まぁ、魔界から越してきて間もないヒューゴにとっては、額面の違いは知らない。

ただ単純に『高すぎる』という感想を覚えただけだ。

ちなみにこの店が悪徳業者な訳ではなく、どの店も大差ない値段設定だ。

それを知るヒューゴは、わざわざ値切ったりはせず、棚の前で延々と計算を繰り返した。



「肉は、チーサの分だけあれば良いよね。200グラムで足りるかな。ニンジンとジャガイモは買うとして、トマトはどうしようか……」



ヒューゴの心の天秤が何度も揺れ動く。

今日の収入を全て使うか、それとも多少は残すべきか。

チーサの満足する量と、自分の食べられる量。

それらの軽重が中々に定まらず、しばし悩む。

暗算は思考が深まるほどに複雑化し、より計算が難しくなり、しまいには堂々巡りをしてしまう。


そんな風に時間を空費していると、にわかに入り口の方が賑やかになった。



「おやおや旦那。珍しいですね。何か買っていきます?」


「ホッホッホ。今日はどうしようかのう。店の中の商品を全部もらおうかのぅ」



とんでもないヤツが現れた。

やってきたのは小柄なニンゲンの老人である。

とても大食漢には見えず、むしろ食は細い方に見受けられるが、その男が生鮮食品を買い漁る理由とは何なのか。



「まぁ……うちは商売ですから。求められりゃ売りますよ。でもね、そんなに買い込んでどうするお積もりです?」


「火を点けてランプ代わりにするんじゃよ。明るくなるだろう?」


「すいません! 熊肉を200とニンジンにジャガイモ、それからオレンジとクルミをくださいぃ!」



突如現れたブルジョワジーに驚き、ヒューゴは咄嗟にオーダーした。

それでどうにか買い占め騒動の影響を受ける事無く、当座の食料を得ることが出来た。

手元に残った金は賎貨2枚。

日当の大半を使い果たしてしまったが、幼子を飢えさせるよりはマシであろう。



「ふぅ。びっくりした。この町は唐突に金持ちが出てくるなぁ」


「もっも!」



散財したような気が、そして先程のブルジョワジーも実は店の仕込みだったという気がしないでもないが、足取りは軽い。

袋に満載した食料が気分を明るくしてくれたようである。

仕事上がりの疲れた身であるにも関わらず、帰宅路である長く険しい山道を普段の半分の時間で踏破してしまった。



「さてと、家に着いたら早速ご飯の準備を……」



ヒューゴは自宅前にただずむ人影を見た。

それは見知った顔である。



「おや。インテリウスじゃないか。突然どうしたんだい?」


「ヒューゴ……」



家主を待ち受けていたのは、彼の同郷の魔族だった。

細作りの長身で、皮膚の色が蒼い事を除けば、ニンゲンとほぼ同じ見た目をしている。

みすぼらしい服装を整えたなら、美青年と言っても差し支えない容貌でもある。



「これから晩御飯なんだぁ。良かったら一緒に食べていくかい? 今晩は熊料理だよ」


「いや、せっかくだが遠慮しよう。これから帰らねばならない」


「帰るって、下宿先に?」


「いや。魔界だ」


「冗談……じゃあないよね?」


「二言はない」



インテリウスの言葉にヒューゴは顔色を変えた。

魔界に帰る……それはつまり、ニンゲン世界からの逃避であった。

同じ夢を抱き、役者を目指してやってきた仲間が、志半ばに帰るという。

これにはヒューゴの心も穏やかではいられない。



「思ってたより、決断が早かったね。もう数年は粘ると思ってたよ」


「オレはお前とは違い、脇役でしか出番が無かった。支払われた報酬(ギャラ)も当然安い。これでは暮らしてはいけない」


「でも、麓の町でアルバイトをすれば良いじゃないか。それで次の役が貰えるまで待てば……」


「次などない。下等種はともかく、我らのような目立つ魔族は使い捨てだ」


「そんな事ないよ。現に、魔王役者は他作品にも多く出演してるし……」


「それは正式な作品ではない。シリーズキャラ総出演だの、過去ゲームのリメイクなど、そんなものばかりだ。新作で顔を出す機会はほとんど無い」



インテリウスは背中の荷物を一度地面に置き、再び背負った。

それは彼が魔界から出立した時に持っていた手荷物の全てであり、その袋はヒューゴもよく覚えていた。

かつて見たときよりも萎(しぼ)んで見える。

インテリウスがこの世界で得たものが、ほとんど無かった事の証左であった。



「ヒューゴ。悪いことは言わん。オレと共に帰ろう。ウカウカしているうちに、魔界でも職に就けなくなるぞ」


「僕は、いいよ。ここに残る」


「……本気か? あまり歳を重ねると、魔界ですら正規職には就けない。派遣悪魔や日雇い魔族にしかなれないぞ」


「たとえそうなっても、後悔しないよ。いつだったか言ったよね。僕が役者を目指す理由について」


「伝説の名役者である、魔王オブスマスを超えたい……だったな」


「うん。あの人の域に達せられないなら、それでも構わない。でも、あらゆる手を尽くしたい。だから僕は、最後の一瞬まで諦めたくはないんだ」


「お前も辛い道を選んだな」


「君こそ。出戻り組への風当たりは強いと聞くよ? 簡単には就職出来ないとか何とか」


「それなら問題ない。親父の家業を継ぐからな。小さいながらも社長という訳だ」


「何だっけ、魔界門の管理人だっけ?」


「まぁそうだ。正確に言えば、魔界と人里の境界管理業だがな」



インテリウスはそこまで言うと、半歩ほど後ずさった。

その足は麓の町とは逆にある、魔界の方へと向いている。



「ヒューゴ。困った事があれば、いつでも言え。借金の保証人以外なら何でもしてやる」


「アハハ。ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ」


「それじゃあな」


「うん。元気でね」



インテリウスはその場を立ち去っていった。

一度も振り替える事なく、真っ直ぐ山道を進み、そして山間に消えた。

その後ろ姿を、ヒューゴは言葉もなく見送るのだった。

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