第5話 一握りのプライド
あれからはヒューゴたちが、守備隊に捕まる事なく脱出が出来たことは幸運だと言える。
今は帰宅する道の途上。
ここまで来ればひと安心であるが、すぐに別の問題に頭をもたげる。
一難去ってまた一難。
いまだ窮地を脱していない事は、片手に収まる僅かなクルミが、誰よりも雄弁に物語っていた。
「これはマズいなぁ。何か手を打たないと、本格的にピンチになるぞ……」
「もっも」
「ごめんよチーサ。早く仕事を見つけて、お腹一杯食べさせてあげるからね」
「もっも!」
食料問題は何も解決していない。
少なくとも明日以降の分は、街で買い求める必要がある。
それは残り僅かな所持金を、更に目減りさせる行為だと言えた。
財布は軽くなる一方だ。
自然とヒューゴの口からは溜め息が溢れる。
そんな重たい空気の中、チーサは慰めようとして主の肩に飛び乗った。
そして、互いの頬を擦り合わせる。
これはモチうさぎ流の愛情表現であった。
「ありがとう、おかげで元気が少し戻った……うん?」
家の前まで戻ってくると、道の向こうから賑やかな一団が迫ってくるのが見えた。
4頭だての大きな馬車だ。
乗車部分は豪華絢爛(ごうかけんらん)で、眩しいほどに華美な装飾が施されている。
それに乗るのは魔族『キャットウルフ』だ。
その愛らしさから、彼はあらゆる作品に引っ張りだことなり、関連商品も多数展開中。
売れ行きもすこぶる上々で、その懐には連日のようにガッポリと大金が舞い込んでくる。
貧困と飢えに悩まされる魔族が多い中で、彼の出世は極めて稀有なものであった。
彼はどっかりと尊大な態度で馬車に横たわり、その両隣には人間の女を2人ほど侍(はべ)らせている。
ヒューゴは微かに嫌なものを感じ、視線を落とし、脇を通り抜けようとした。
「あひゃーっひゃっひゃ! 毎日が面白おかしくて堪らねぇぜ!」
聞こえよがしな嫌みが響き渡る。
ヒューゴは足早になりながら、それを聞き流す。
その時、背中越しに小さな金属音を聞いた。
反射的に振り替える。
すると、そこには……。
「あれは、金貨?」
揺れる馬車から溢れ落ちたらしい。
道端には神々しい金色の貨幣が1枚ある。
キャットウルフはそれに気づかないのか、速度を落とすことなく立ち去ろうとしていた。
ヒューゴは眉を潜めつつも、去り行く背中に向かって声をかけた。
「すいません! これ、落としましたよ?」
馬車はようやく止まった。
その様子を見てとって、ヒューゴは金貨を拾おうとする。
だが、一瞬おぞましい寒気が走り、思わず手を引っ込めた。
悪寒の原因は視線だった。
キャットウルフから向けられた蔑むような目から、酷く攻撃的なものを感じたのだ。
それは言動を咎めるものではない。
遥か天空の高みから、弱者を嘲笑うものだった。
「お前にやるよ、貧乏人。オレ様の稼ぎのおこぼれで、せいぜい慎ましく暮らすんだな!」
ヒューゴの心は即座に凍りついた。
足元で輝く金貨も、とてつもなく冷たいものに見える。
悪意に塗れた施し。
暴力と大差のない贈与。
貧しくとも誇りを持って生きてきた彼にとって、この仕打ちは堪えがたいものだった。
乱暴に金貨をつかみ、それを突き返すようにして差し出した。
「待ってください! 僕はあなたに施しを受ける謂(いわ)れはありません!」
「金が要らないって? 馬鹿を言うなよ。そんな粗末な格好してよぉ?」
ねめつけるように視線が動く。
キャットウルフの言う通り、ヒューゴは相当にみすぼらしい装いをしていた。
裾は擦りきれ、所々に穴が開いているという有り様だ。
服装だけに限れば、浮浪者と大差がない。
その姿を見るだけでも困窮していることは明白であり、実際に追い詰められてもいた。
だが、金は無くともプライドはある。
珍しく強気の態度で再度抗議した。
「ともかく! 要らないものは要らないんです! コレは持って帰ってください!」
「ほぉ、良いのかい? 肩のちっこいガキを飢えさせてもよぉ。モチうさぎってのは貪欲(どんよく)で有名なんだぜ?」
「そ、それは……」
その言葉には心が大きく揺らぐ。
正直に言えば、今は小銭であっても金が欲しい。
施しの金貨は半年分の家賃に相当し、喉から手が出るほどに欲しい。
これさえあれば、チーサに十分な食事を用意してやれるし、暖かな寝床を与えてやることだって出来る。
この施しさえ受け入れたなら。
だが、こういった性質の金を一度でも受けとったが最後で、清貧を貫いた魂に傷が付いてしまう。
気高き魔王としての威厳は完全に崩壊する。
それは即ち、今後の俳優人生を失うことと同義だった。
仕事と仲間。
金とプライド。
次々と秤に乗せ、悩み、唸る。
ヒューゴは思い悩むが、誰もが丁寧に時間をくれる訳ではない。
その様子をつぶさに眺めていたキャットウルフは、大笑いしながら立ち去っていった。
一方的な勝利宣言を残して。
「アッハッハ! 何が魔王だ! テメェなんか大した事はねぇ。金に尻尾を振る野良犬と一緒だ!」
「ねぇウルフ様ぁ。アタシにも欲しいなぁ。車を買いたいのぉ」
「何だよ、いくら欲しいんだい?」
「可愛いの見っけたんだぁ。金貨20枚なんだけど、だめぇ?」
「何だそれ! クッソ安ッ! そんな貧乏臭いモンはやめとけ、その10倍は出してやるよ」
「ほんとぉ!? ウルフ様ダイスキ!」
「あぁ~~、狡いよぉ! アタシにも買ってぇ?」
「良いよ良いよ、ナンボでも買ってやるよ! アヒャーッヒャッヒャ!」
キャットウルフは最早ヒューゴに興味を無くしたらしい。
散々騒がしくした挙げ句、一瞥(いちべつ)もせずに立ち去っていった。
ヒューゴは所在無く、その場にただずむ。
悪意に塗(まみ)れた金貨も同様だ。
「ち、チクショウ!」
ヒューゴは憤慨すると、その手に金貨を握りしめ、家の中へと帰った。
それからしばらくして。
彼は再び同じ場所へと戻ってきた。
片手に金貨、そしてもう片方には立て看板がある。
お手製のため、木の看板はだいぶ歪んでいたが、それは重要ではない。
そこには大きな文字で『この辺りで拾いました、欲しい人は持っていってください』と殴り書きされている。
それを道のど真ん中に突き立て、問題の金貨はその根本に置いた。
剥き出しでは目立たないので、草で即席の皿を作り、そこに金を乗せた。
「これで、そのうち無くなってるだろう」
そうする事で溜飲が多少下がったのか、表情が僅かに晴れた。
それからヒューゴたちは、いつもの暮らしに戻った。
夕べには備蓄食料を全て吐き出し、夜は早めに消灯。
昼間の出来事が頭にフラッシュバックするが、チーサの滑らかな体毛に触れるうちに、深い眠りへと落ちていった。
明くる朝。
ヒューゴは胸に多少のしこりを残したまま、日課である日光浴をするために外へ出た。
肩には眠そうな顔のチーサを乗せている。
「あれ? もう無くなってる……」
看板の根元に置いた皿はひっくり返っており、金貨は既に持ち去られていた。
それ見るなり、ヒューゴは安堵した。
金は欲しいが、それはあくまでも正当な報酬として手にいれるべきなのだ。
己の主義が守られたことを、この瞬間になってようやく確信した。
「誰が持っていったんだろうね。大屋さんかな? それとも、全然知らない赤の他人……」
「クァーーッ!」
「うわぁ!?」
予期せぬ方向からの声に、ヒューゴは腰を抜かした。
驚いてそちらを見ると、1羽のカラスが地に降り立っている。
そして、そのすぐ側には例の金貨が落ちていた。
「そっか。君は光り物好きだよね。僕には要らないものだから、遠慮せずに持っていきなよ」
「クァーー!」
カラスは金貨を口に咥えると、意気揚々と空を飛んだ。
だが、材質から見るに金貨は滑りやすい。
カラスの口からキレイにこぼれ落ちて、そのまま道端の水溜まりへと着水した。
そして金貨は、すっかり泥水に浸かってしまい、たちまちに汚れてしまう。
悪意の込められた金は、その性質と同様に輝きを陰らせたのだ。
ここまでの流れが妙に痛快で、暴力に訴える事なく仕返し出来た気がして、ヒューゴは腹を抱えて笑いだした。
「あは、アハハハッ! ダメだよ、ちゃんと持って帰らないと!」
「もっも! もっも!」
チーサは主の喜び様を見て、途端に元気になった。
遊んでいると解釈したのだろう。
体を『く』の字に折って笑うヒューゴの背中を、チーサはあらん限りの力を込めて、モチモチと飛び跳ねるのだった。
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