第3話 魔王の筆頭幹部

「ううん……今日は天気が良いなぁ」



空は雲ひとつ無い快晴そのもの。

燦然(さんぜん)と輝く太陽は、あらゆる生物を祝福するかのようである。

ヒューゴは眩しそうに外を眺めつつも、全身にその光を浴び、天然の恵みに感謝した。

何せ日差しは無料(ただ)である。

日光浴とは、財布を気にせずに楽しめる数少ない娯楽なのだ。



「さぁてと。今日も1日頑張ろうかなぁ……!」



昨晩の落ち込み様など忘れたかのように、朗らかな顔で背伸びをした。

彼は極めて繊細な魂を持っているが、回復力も凄まじい。

大抵の傷心や感傷は一晩眠るだけで回復してしまうのだ。

その性質がもたらすのは良い事ばかりでは無いが、いつまでも悶々としているよりは健全だと言えた。



「そういや、昨晩は凄い風だったなぁ。作物は平気かな?」



ここでの作物とは家庭菜園を指す。

少しでも家計の足しにしようと思い、広いだけが取り柄の庭を開拓し、ゴボウやエンドウなどを植えていた。

冬も間近なため、寒さに強い作物が選ばれたのだが。



「良かった……、何ともないね」



幸いな事に生育は順調だ。

件の強風も特に悪影響はなく、青々とした葉が太陽の光を浴びて喜んでいた。

無事を知ってヒューゴも頬を緩める。


……が、しばらくして異変に気づいた。

農地の端っこに植えたゴボウの葉だけが不自然に揺れているのだ。

不審に思い近寄ってみると。



「あぁ! 君なにやってんのぉ!?」



丹精に育てた作物が、野生生物に食われていたのだ。

その生き物はというと、『モチうさぎ』だ。

球に近い体はゴムボールのごとく柔らかく、全身は滑らかな体毛に包まれており、そこに耳だけがピコンと生えたウサギである。


生物学上の分類で言えば、これも立派な魔物だ。

だがその愛らしさと人懐っこさから、愛玩動物として有名でもある。



「ねぇ、止めてったら。草なら他にもあるでしょ!?」


「もっも」


「お願いだったら! これから一杯ご飯を用意してあげるからさぁ!」


「もっも、もっも!」



モチうさぎは制止を振りきって尚も食らう。

最弱の獣と最強クラスの男(まおう)による争いだ。

互いの戦力は比較にもならず、結果は火を見るよりも明らかである。

だが、ここでも魂の善良さが発揮され、ヒューゴの方が折れる形となった。



「分かったよ。そのゴボウは君にあげるから。それで良いでしょ?」


「もっも」


「ところで……君のお父さんやお母さんは? 君はまだ子供だよね?」


「もっも」


「そう。ニンゲンたちに……」



このモチうさぎは、いわゆる孤児である。

世界は人間と魔物は共和して暮らしているが、それはあくまでも建前上である。

差別や格差、憎悪犯罪の類いは後を絶たず、個体数の少ない魔物はしばしば攻撃されてしまう。

その結果、ストリートチルドレンのごとき魔物が日々生み出されていくのである。


その境遇にヒューゴは胸を打たれた。

毎晩のように父母を思い出す彼にとっては、憐れに思えて堪らないのだ。



「ねぇ。僕の家に来ないかい? すっごい貧乏だけど……雨くらいは凌げるよ」


「もっも!」


「そうかい。じゃあこれからよろしくね! ええと……」



ヒューゴの真心が通じたのか、モチうさぎは2つ返事で快諾した。

小さなルームメイトの誕生である。

さて、同居するとなれば、名が無ければ不便である。

ヒューゴは会話の途中でその事に気づき、相手を抱き寄せながら問いかけた。



「名前を教えてくれるかい? いつまでも君やアナタじゃ不便だもんね」


「もっ」


「そうかぁ。じゃあ僕が決めても良いかい?」


「もっも!」


「そうだなぁ。じゃあ『おもちさん』ってのはどう……」


「もっもぉぉおおっ!」


「何だよぉ。怒らなくたっても良いじゃないか」


「もっ」


「じゃあさ、チーサってのはどうだい?」


「もっも!」



第2案は好感触であり、ヒューゴは安堵の息を漏らした。

早くも新参者の尻に敷かれかけているが、これは大丈夫なのか。


もし仮に両者が決戦を挑んだならば、チーサは肉片すら残さずに破れ去るだろう。

だが、立ち会いの勝者は幼き者の方だ。

勝負事では常に気迫が重要であることを、実演された瞬間である。



「……とか言いつつさ。ウチってペット可の物件だったっけ?」



ヒューゴはにわかに不安を覚えた。

今にも崩れそうなボロ家であっても、契約は契約だ。

もしチーサの件で大家を怒らせたとしたら、最悪追い出されてしまうだろう。

銀貨2枚にも満たない家賃の物件など、どこを探しても見当たらない。

ちなみに町中の平均的賃料は月当たり銀貨7枚。

今の貸家を失えば、行き着く先は浮浪者以外に無い。



「ううん、どうしよう。まずは大屋さんに探りを入れて……」


「ワシが何だって?」


「ひゃぃいいッ!?」



唐突に背中越しから声をかけられ、ヒューゴは心臓が止まりかける程に驚いた。

反射的に振り替えると、そこには人間のお爺さんの姿があった。

咄嗟にチーサを背中側へ誘導して隠す。

手に余るほどの巨体が役に立った瞬間である。



「お、大屋さん! どうしたんですか、こんな朝早くに!」


「どうしたもあるか。いつものように朝刊を持ってきてやったんだろうが」


「あ、あぁ。そうでした。ありがとうございます!」



ここで老人は不審に思う。

普段であれば、ヒューゴは卑屈なまでに頭を下げ、彼の読み終えた朝刊を受けとるのである。

だが今はどうか。

態度はよそよそしく、一歩として老人の方へ近づこうとしない。

この些細な変化を見逃しはしなかった。



「デカブツ。何か隠してりゃせんか?」


「ええ!? あのう、その……」



みるみるうちに老人の視線が鋭く、厳しいものとなった。

ヒューゴは胆が縮み上がる思いで圧力に堪えた。


ーーどうしよう。正直に話した方が良いのかも?


ヒューゴは天秤にかけた。

チーサとともに流浪の旅に出るか、それとも……。

保身と憐憫が大いに心を揺らす。

そして、後者の方に倒れかけた時、老人が辺りに視線を巡らせた。


不審な態度のヒューゴ、わずかに荒らされた菜園、地面に刻まれた小さな足跡。

それだけで老練な男は全てを察知した。



「モチうさぎは雑食だ。葉野菜を好むが、肉類もちゃんと食わせるように」



その言葉にヒューゴは、再び弾かれたように飛び上がった。

慌てて背中からチーサを取りだし、差し出すようにして捧げた。



「あ、あの! 良いんですか!?」


「見ての通り、この家はオンボロだ。デカブツが出ていったら取り壊すしかない。だから好きに使え」



その言葉だけ残して、老人は去っていった。

ヒューゴは曲がりきった背中に向けて、勢いよく頭を下げた。



「ありがとうございます!」



人々の優しさが胸に沁(し)みる。

日ごろ何かにつけ難渋するヒューゴであるが、ささやかな気遣いによって、その命を繋いでいるのである。

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