大隈講堂より愛を込めて
【ウイング】
早稲田の街はイルミネーションに飾られて至るところがキラキラしている。
この装飾をやる専門のサークルがあるというのだから早稲田は発想が自由だよなと数分前まで上機嫌に語っていた男は今大隈講堂前の階段に座り込んでいる。
目の前の道を通るもの全て敵と見なすと言わんばかりのギラついた視線を向けながら、2本目のビール缶を空にした。
「ペースが早いな。」
酒臭いのは好きじゃないぞ、とウイングは文句をこぼした。あまりの寒さに分離を諦め、アルコールが入って暖まっている身体にぬくぬくと甘えている立場ゆえにそこまで強くは言えないが。
「説得力ねぇよ。」
『バカ!口に出ている!』
憑依しているウイングが発した言葉は憑依されている者にしか聞こえない。端から見れば独り言以外の何物でもなかったが、どこからどうみても酔っ払いの男が独り言を言ったところで怪しむ暇人はいなかった。
「なんで、あいつ……」
3本目が開く音を聞きながら、なんでさっさと分離しなかったんだとウイングは後悔した。
「ウイングさんてモテそうっすよね。」
『急になんだ。』
「いや、彼女とか、いたでしょ?」
『………』
「ほぉ~ら~いたんだ~」
『いや、そうじゃなくてな、』
「気ぃ遣わなくて良いっすけど?どうせクリスマスイブにフラれる男なんて俺くらいっすよ。35億分の1!」
話が勝手にそれていくのを見てウイングはふふっと笑ってしまった。
「なんで笑うんすか!!」
立ち上がって大声を出すから数人が振り向くのが見える。更に言い募ろうとする酔っ払いの口を酔っ払いの手で抑えさせた。
「なっ!」
『悪いな、憑依先の身体はある程度操れるんだ。』
やりすぎれば同化が進むので最終手段の奥の手ではあるが。
驚いたことで落ち着きを取り戻したのか言い募る気配が無くなったので手を離した。周りを見渡せば人がいなくなっている。当人たちはさっぱり気付いていないが、酔っ払いが口を手で抑えたら普通の人は逃げる。図らずして平穏な環境を得た二人はまた階段に座り直した。
『彼氏はいたな、昔、だが。』
「え??」
のんびりとウイングは続ける。
『憑依したのが女性でな、そいつに本当にダメダメな彼氏がいた。なんでこんなやつと、と思ったんだが。』
「なんだぁ!憑依した人の、彼氏か、」
『私に、そっちの趣味はまだ無い。』
「まだって!」
『先の事は分からないからな。』
ふふっとまた余裕そうに笑うウイングを見て男はもしかしてこの人も酔ってるのかなと思った。
「ダメダメ男にも彼女…か。」
どこかで今二人で一緒にいるんすかねと恨めしそうに言う。
確かに寝坊癖が酷くて部屋も汚くて彼女の尻に敷かれた情けないやつだったが、ここぞというときに勇気を出した。なかなか面白い男だったとウイングは思っている。まだあのカップルが続いているのかは知らないし、知りたいとも思わない。
酒臭い息が白い。
「…どこで間違ったんだろうなぁ…」
この男も今かなり情けないが、本気を出したら頼りになる器だろうか。
「ずっと、居てくれるって思ってたんだよな。」
まだ半分残っている缶のプルタブを弄りながら男は呟いた。
先程までどこか他人事だったウイングが黙り込む。
「…そういう人、いたんすか?」
『…まぁな。』
ちょうどこの場所だった。
共に戦ってきた戦友が、もう来ないと言われて、信じられなかった。
彼が負けるはずなど無いと思っていた。例え倒れても必ず立ち上がってきた人だったから、その力の源を教えてくれた人だったから、信じられなかった。
次に自分が選ばれた事に、どこかほっとした思いがあった。それが何故なのか、まだ整理はついていない。
「そんな、大事な人なんすね。」
『どうだろうな。』
結局、彼に頼ってきたのだ。共に肩を並べて戦っているつもりだったが、本当に隣に立っていたのはブルースだけだった。
彼の声が聞こえたとき、ようやく自分のペースを取り戻せた。君に言われるまでもない、なんて強がりだ。早く来いと、言いそうだった。今思えば、また良いところを持っていったな!くらいの感じだが。
「…素直じゃないっすね。」
『うるさい。』
あの日お披露目された新人はどんどん成長している。人懐っこく、素直だ。ストレートに尊敬の眼差しを向けて特訓に食らい付く弟子を軽くいなしながら、励ましている姿はどこか楽しそうだった。
「…それ」
『心を読むな!』
そんな無茶なと男は笑った。
「さっきそっちの趣味はないって言ってましたよね。」
『だから違う、そんなんじゃない。』
「嫉妬してますよね、その後輩さんに対して。」
『嫉妬じゃない。あいつと私は違う。』
「なんでも違う違うって言う。」
ワセダブリューは最後、散々殴りあったアーグネットに手を差し伸べた。
嫌いじゃない、と言って。
自分には出来ない、と本気で思った。
2年前、やはりこの場所で同じように互いが膝をつくまで壮絶に殴りあったカゲロウに手を差し伸べるなんて考えたこともなかった。
本当に、あいつと私は違う。
この場所で早稲田戦士になった。
ここから始まった。
そして、ここで友と別れ、ここで出会った仲間と共に戦っていく。
自分もいつかここを離れる時が来るのだろう。
その時、仲間はどんな気持ちになるのだろう。
ウイングは完全に酔いが回っているなとどこかぼんやりした意識の中で思った。
いつもなら、分からないまま、放っておいて忘れていた、その気持ちを今、言葉にしたかった。
「ウイングさんて繊細なんですね。」
人に興味がないのではなく、自分の心を覗きこむのが怖いだけ。ヒーローなのにガラスのハートだ。
自分も彼も、弱い部分を抱えて生きている。
ポケットに手を突っ込んだら、ゴツっと何かが当たった。取り出してみれば小さな箱で、正体を思い出して思い切り顔が歪む。
『なんだ?』
「これ、あげますよ。」
『いらないのか?』
見た目からしてプレゼントなのは間違いない。
「ええ、もう渡す相手いないし?」
人生初の彼女、分からないなりに彼女を笑顔にするために頑張ってきたつもりで、クリスマスプレゼントだって残り少ない口座から金を降ろして買ったものだ。それがあっさり、今日になって別れを切り出された。インスタを見れば、社会人の彼氏と夜景の見えるレストランデート、らしい。勝てやしない。
「これ見ても、思い出しちゃって虚しいだけだし、ちょっと高かったんで捨てるのも勿体無いですし。」
彼女を思って選んだのは、アンティークのオルゴール。曲は有名なクリスマスソングとシンプルだが、どこか優しい音色が気に入った。捨てるのは惜しいと思うくらいには。
『そうか。』
笑って受け取ったウイングは、軽くぜんまいを巻いて曲を奏でた。
柔らかい音色が、傷付いた男二人の心に染みる。
ロータリーを最終バスが出ていく。
冷たい風が通り抜ける。
『ここは、ドラマの生まれる場所だ。』
出会いと別れが交差する、特別な場所。
『お前と出会ったのも、何かの縁だ。』
「そうですね。」
『だからきっと、お前にも新しい出会いがある。』
「そうだといいですね。」
そうだといいな。
すっかり軽くなったコンビニの袋を持って男は一人立ち上がると、夜空に向けて手を降ってからのんびりと歩き出した。
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