6.


 その言葉に賛同するかのように、アクアマリンの大刀が姿を崩した。まばゆい青の乱舞がハイトを取り巻き、やがて轟々と吹き荒れる青い奔流を作り出す。


「これ以上『ハイトリーリン』をおとしめる真似を、俺は許さない」


 その渦が、叩き付けられるような咆哮によって散らされる。


「これ以上やると言うならば国際問題だ、リーヴェクロイツ王。アクアエリアのハイトリーリンとこれ以上事を構えると言うならば、水龍シェーリン地熊イアトの争いとなるが、如何お考えかっ!?」


 激しい水流を蹴散らして本性を顕現させた水龍は、長大な体を一度宙へうねらせるとハイトに寄り添うようにおとがいを下げた。ザァッと空気が温度を下げ、乾いた空気を潤しながら神気を帯びた水が広がっていく。


「あ……あぁ…」


 地熊の領域が、水龍の力によって書き換えられていく。それをアドリアーナは直に感じ取ったのだろう。ハイトを見つめる瞳が、初めて恐怖に染まって震えている。


「……勝負あったな」


 ヴォルトが低く呟いたのがサラの耳にも届いた。隣に立つキャサリンも浅く顎を引いてヴォルトに同意を示している。


「俺はあんたに物扱いされるような存在じゃない。……水龍に国を沈められたくないならば、その事を深く胸に刻み、努々ゆめゆめ忘れられませぬよう」


 アドリアーナはハイトの言葉に反応を示さなかった。あまりに圧倒的な力を前に、魂をどこかへ飛ばしてしまったのだろう。


 そうしたい気持ちが、サラには痛いほど分かってしまった。


「……ハイト………」


 自分が水龍の神気に呑み込まれていきそうな感覚。力を上書きされるというのは、己という存在を相手の力でかき消されていくのと同じだ。ハイトが何のしがらみにも捕らわれず、何を省みることもなく己を満たす力を振るえば、きっとハイトの周囲には水龍の水以外に残るものはない。


 その時にハイトがどこに立っているかは関係ない。どの神の支配地だろうと、そこは即刻水龍の領域に上書きされる。ハイトという器は、それだけサラ達とは格が違う。その違いを、こうして立っているだけで突き付けられてしまう。


 ──私は、本当にハイトの隣に立てるの? こんなにも、ハイトは圧倒的なのに……


 喉の奥が引きつれて、勝手に悲鳴がこぼれそうになる。


 その瞬間、ハイトの視線がゆっくりとサラへ向いた。深く煌めくアクアマリンの瞳が、サラを見た瞬間にフワリと緩む。


「サラ、なんって顔してるんだ」


 ふはっ、とハイトの唇から笑い声がこぼれた。片手で猫を構うように水龍の頭をなでたハイトは、もう片方の手をサラへさし向ける。


「力の強弱なんて気にするなって俺に説教したのは、サラじゃないか」


 その声を聞いた瞬間、サラの体を雁字搦めにしていた恐怖がフッと霧散した。


 ──そっか、ハイトは、ハイトだ


 瞳がコベライトでもアクアマリンでも、ハイトがサラに向ける視線は変わらず穏やかで、差し伸べられる手はいつだって優しくて力強い。


 強大な力を従えていようとも、その力を失おうとも、ハイトの根本は変わらない。絶望的に優しくて、相手が誰であろうとも真っ直ぐに瞳を向ける、サラが隣にいたいと思った、ハイトだ。


 ──なんだ、何も変わらないじゃない


「さぁ、サラ。皆を待たせている。帰ろう」

「……うんっ!!」


 サラは階段を駆け下りるとハイトの腕の中に飛び込んだ。サラへ手を差し伸べつつも、抱きつかれるとまでは予想していなかったのだろう。ハイトは慌ててサラを受けとめながら目を丸くする。


 そんな二人を、清冽な水が取り巻いた。グァッと風が唸るのと同時に二人の体は宙へ押し上げられている。ハイトにしがみついたまま視線を走らせれば、目を見開いたまま立ちすくむリーヴェクロイツ兵達があっという間に遠ざかっていった。


「御前! 婚約式、間に合いそうかっ!?」


 耳元で唸る風に負けないようにハイトが叫ぶ。


 王宮の屋根を越え、広がる雲を抜けると、サラの視界には抜けるように青い青空が広がっていた。その景色を見て初めて、サラは自分が水龍の頭に乗って空を飛んでいるのだと気付く。


『婚約式は明日だ。空を飛べばアクアエリアまでは一刻もかからぬ。中座した衣装合わせからやり直す余裕はあろうて』

「ちょっとハイト! 気にするのはサラと婚約式の事だけなのっ!?」


 間近で見る青空と体に回されたままのハイトの腕、さらには水龍の発言と、どれに反応を返したらいいのか分からない。だというのに思わぬところから険を含んだ文句まで飛んでくる。慌てて視線を周囲に走らせるが、ハイトの腕の中にいるせいで中々体の自由が効かない。


「えっ!? ちょっと! キャサリン!! そんな場所で大丈夫なのっ!?」


 やっとの思いで声の主達がどこにいるのか知ったサラは、思わずギョッと目を見開いて絶叫した。


「はい~、大丈夫ではありません~っ!!」

「ちょっとサラまで! 僕とヴォルトの事はどうでもいいって言うのっ!?」


 従者三人はサラ達よりももっと後ろ、空を行くためにうねる水龍の体から突き出た腕とも足ともいえる場所に引っ掛かるようにして空を泳いでいた。額と角に支えられる形で態勢を安定させていられるサラ達と違い、三人は必死に己の手足で水龍にしがみついている。ふとしたはずみに振り落とされてしまってもおかしくない状況だ。


「……三人とも、あの距離からよく乗れたわね」


 ハイトが立っていた場所から三人がいた場所まではそれなりに距離があったはずだ。あの暴風の中、その距離を詰めて乗り遅れることなく付いてこられたのは、やはり類まれな従者魂があってこそなのだろうか。


『あれらを置いてこようものなら、これに激しく叱られる』


 思わず呟くと、意外な所から声が返ってきた。サラが視線を向けると、水龍はチラリとサラへ視線を向け、呆れたような風情を漂わせる。


『我としても、ハイトのために労をったあれらを置いて行くのは本意ではないでな。ついでに拾って来てやった』

「水龍っ! 別に情けを掛けられなくたって、僕達気合で何とか出来たんだからねっ!!」

「いや~……無理だろ」

「意地を張るのはよくないですぅ~っ!!」

「そういやリーフェ、お前、体調は大丈夫なのか?」

「ちょっとハイト! 僕と水龍の論議はまだ終わってないよ! 話を逸らさないでっ!!」

『我は確かに顕現してリフェルダの中から抜け出しておるが、これだけ近くにおるのだ。きちんと邪神は抑えられておるで安心せよ』

「肋が軋むから出来ればちゃんと上に乗っけて欲しいけどねっ!!」

「ところでヴォルト様。突撃前に交わした約束は有効でしょうか?」

「約束……? 約束って…、あぁ! あれか!! ……って、この状況で語れってか!? 無理だろっ!!」

「語るって何をさ、ヴォルト」


 他に声を上げる者が近くにいないせいか、風の音がうるさいはずなのに一行の声はサラの耳にもはっきりと届く。


 こんな状況で戯言を転がしている場合なのかとハラハラするサラのすぐ耳元で、またふはっと気の抜けた笑い声が聞こえた。


「ハイト?」

「え? ……いや」


 クックッと喉の奥で笑ったハイトは、アクアマリンの瞳のままいつものように笑みを浮かべる。


「やっぱあいつらが傍にいてくれなきゃ駄目だなと思ったんだ」

「当たり前でしょ!」

「サラもな」


 フワリと、サラの額に熱が触れる。一瞬近くなったアクアマリンの瞳は、まばたき一つの間に元の距離に戻っていた。


「サラも、傍にいてくれなきゃな」


 ──あれ? 今、もしかして、もしかしてだけど……っ!!


 サラは思わず両手で額を押さえる。そんなサラを見ていたハイトが瞳の笑みを深めた。意味深なその笑みにボフッとサラの顔が発火する。唇が何かを発しようと思考が回るよりも先に動き始めるが……


『そろそろ飛ばすぞ。皆、戯言ばかり言うてないで覚悟せい』

「!?」

「キャァァァアアアアアアッ!!」


 唐突に身をくねらせた水龍が一気に速度を上げる。ガクンッと体勢を崩したせいで、開いた唇からほとばしったのはけたたましい悲鳴になってしまった。


「大丈夫だ、サラ。王藍玉リラ・アクアマリンの持ち主は水龍から振り落とされたりしないから。……多分」

「多分っ!? 多分って何なのよっ!?」

「ハイトぉ、王藍玉持ってない俺達は?」

「知らん。水龍に訊いてくれ」

「うっわ! ひっどっ!!」

「僕達、ハイトの傍にいなきゃいけないんでしょ~? そんな忠臣達をそんな扱いしててもいいの~?」

「るっさい! 振り落とさせるぞっ!!」

『ハイト、振り落とそうか?』

「やっ、やめてください~! ここから振り落とされたら確実に死んでしまいますぅ~っ!!」




 その日、リーヴェクロイツの上空には、青い燐光を散らしながら舞う白銀の龍の姿が見えたとか。


 その龍は何やらにぎやかしく、楽しそうにアクアエリアへ帰っていったとか、いないとか。





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