5.


「っ! ハイトッ!!」


 広場の片隅で片膝を着き、使い切ったマガジンを投げ捨てていたリーフェが姿を現したハイトに歓喜の声を上げる。泥と血で衣を汚しているものの、リーフェは大きなダメージを受けてはいないようだった。おそらく衣の汚れは、片付けた敵から受けた返り血なのだろう。周囲に積み上げられた生きているとも死んでいるとも分からない兵の体が、リーフェの激戦を物語っている。


「リーフェッ! 御苦労っ!!」

「何て事ないよ、これくらい」

「ハイトッ!!」


 マガジンを入れ替えたリーフェが二丁銃を構え直しながら膝を上げる。それと同時に駆け込んできたのは、抜き身の長刀を手にしたヴォルトとハンマーを構えたままのキャサリンだった。


「キャサリン!」

「姫様! ご無事でしたかっ!?」

「大丈夫よ! この通りピンピンしてるわっ!!」


 武人二人はさすがと言うべきか、かすり傷一つ負わずにあの数の兵の中を切り抜けてきたようだった。リーフェの前に滑り込む二人の姿を見て、サラは思わず安堵の息をこぼす。


「何だヴォルト、くたばってなかったの? リーヴェクロイツ王がここに来ちゃったし、兵もガンガン増えてくるから、てっきりくたばったものだとばかり思ってたよ」

「ハッ、寝言は寝てから言えってんだ」


 のほんと笑みを浮かべるリーフェも、肩の強ばりがいくらか取れている。口から飛び出す言葉は辛辣だが、二人の登場を誰よりも待っていたのはリーフェなのかもしれない。


「数で押されてる間に、アイツさっさと謁見の間からトンズラしやがってな。粗方片して退路を確保するまでに時間掛かっちまったんだよ。悪かったな」

「そーだよ、任務失敗じゃん。ちゃんと埋め合わせしてよね」

「おーよ、任せな。今からあいつの首を刈り取ってやるからよ」


 ヴォルトの言葉に、数を減らしたリーヴェクロイツ兵達が改めて得物を構え直す。その姿を見てキャサリンとヴォルトがわずかに腰を落とした。リーフェも瞳をすがめ、アドリアーナに照準を据える。


「まるで先程の再現だとは思わぬか、ハイトリーリン殿下」


 そんな中で口火を切ったアドリアーナは、声音の中に場違いなほど笑みを含ませていた。声音だけではない。ハイトに向けられた瞳にも、顔にも、溢れんばかりの笑みが乗せられている。


「学習能力のない従者ばかりでさぞや苦労をなさっておいでなのではないかな?」


 その言葉にサラは、もう一度中庭へ視線を走らせた。


 土がむき出しの庭。そこを取り巻くリーヴェクロイツ兵。退路はなく、おまけにここはリーヴェクロイツの支配地の中心。アドリアーナの『地繰クロイティーディ』が最も発動しやすい場所だ。


 状況は、ローウェルで一行が惨敗した時によく似ている。いや、それ以上に悪いのかもしれない。


「貴殿は無益な争いなど望まれまい。さぁ、学習能力のない従者達に貴殿の言葉を聞かせてやれ」


 あれは、勝者の笑みだ。アドリアーナは、ハイトが助けを跳ねのけてアドリアーナの手を取ることを微塵も疑っていない。ハイトが最も大切にしているモノを盾に取れば、ハイトは決して逆らえないと分かっているのだ。その上でハイトが己に従属する姿を見せ付けて、一行の心を圧し折る瞬間に恍惚にも似た感情を抱いている。


「っ……!!」


 ──許せない


 気付いた時にはサラは『詞中の梟ミネバ・ラス・フローライト』に手をかけていた。右手が宙を滑り、琥珀の光が紡がれる。


「確かに、従者達には苦労させられている」


 だがその光は、形になる前に宙へ散った。


「無茶ばっかりするし、暴走するし、俺の言う事を聞かない時も多々ある。こいつらに迷惑掛けられた数なんて、もう面倒になって数えてすらいない」


 サラを片手で制したハイトは、静かに言葉を紡ぎながら階段を下りていく。カツ、コツ、とハイトが立てる足音が、静まり返った中庭の空気に落ちていく。


「だが、こいつらの暴走は、必ず俺を思っての事。未来の后の暴走もまた然り」


 その足が中庭の土を踏んで、足音が消える。


「その気持ちを無碍にするような真似はしてはならないと、さっき説教されたばかりなんでな。……無能で従順なフリは、もう止める」


 その代わりと言わんばかりに、アクアマリンの大刀が鈍く空気を切る音が響く。刃に追従するように散る青い燐光が、『地繰』に支配された地を染め変えていく。


「俺は貴方に命令される立場ではない。迎えが来たんだ。帰らせてもらうぞ」

「っ……許さぬっ!!」


 アドリアーナの腕が鋭く振り抜かれる。その動きに合わせてハイトの足元から土の触手が立ち上がった。まばたきをする間もなく増殖した触手は、数える間も与えないままハイトに襲いかかる。


「ハイトッ!!」


 サラの悲鳴に応えたのは、大刀が空を裂く音だった。軌跡に青い燐光を残して振るわれた刃は、触手を土くれに帰してハイトの手元に収まる。


 ──ハイトの動き、見えなかった……っ!!


「っ!!」


 それを見てとったアドリアーナは次々と腕を振るって触手を召喚する。


 ハイトはそれを冷めた目で見据えると大刀を構えながら唇を開いた。


「リーフェ、ちょっと借りてもいいか?」

「どーぞどーぞ、やっちゃって。ハイトが本気になったなら、僕達が出る幕なんてないもの。水龍シェーリンもそこにいるんでしょ?」


 リーフェは軽やかに答えると一歩下がって右手の銃を後ろ腰に片付ける。そんなリーフェの瞳が、フッと色を暗くした。


 その瞬間、ハイトの足元から湧き上がった水が刃となって荒れ狂う。土の触手を薙ぎ払った水は、伸びあがるようにアドリアーナへ襲いかかった。


「なっ!?」


 目を見開いたアドリアーナが半ば無意識に石壁を展開する。だがその石壁は押し寄せる水塊にあっけなく突き崩された。アドリアーナはさらに土壁を展開しながら後ろへ下がるが、その顔から余裕というものが剥がれ落ちていく。


「いいっ加減、俺も腹が立ってんだ」


 その中へ、大刀を構えたハイト自身が突っ込んだ。


「俺は物じゃない。囲われる謂われもない。あんたに人質を取られなきゃならん立場でもない。そしてあんたに欠陥品だのなんだの言われる筋合いもないっ!!」


 最後の土壁を崩されたアドリアーナが腰の剣を抜く。


 迫る大刀の先をアドリアーナは剣を立てて受け流した。だが遠心力を上乗せした大刀の重みを細い剣でしのぎ切れるはずもない。


「なぜ貴殿は貴殿の価値を分かろうとしない場所へ戻ろうというのだっ!? なぜ大人しく我に所有されぬっ!? 我がこの世にある限りの幸せを与えてやろうというのにっ!!」


 大刀の衝撃に押されてアドリアーナの足は徐々に下がっていく。下がりながらも無意識の内に創り出される土の触手や石の鞭が反撃を試みているが、その全てが水の刃にそがれ、濁流に呑まれて消えていく。


「俺の事が大切だと言って泣く人が、そこにいるからだ」


 ガキンッと鈍い音がして、割れた剣が宙を舞う。


 尻餅をついたアドリアーナの首筋めがけて大刀の切っ先が振り下ろされた。


「俺の為に命を懸ける阿呆どもが、そこにいるからだ」


 その切っ先は、指一本分の隙間を残してピタリと止められた。


「俺に目を掛けてくれる存在が、そこにいるからだ」


 ザァッと、ハイトを取り巻いていた水と、ハイトに襲いかかっていた土が大地へ戻り、青と黒の燐光が風にまかれて消えていく。


「価値などという言葉で俺を計らない人が、いてくれる場所がある。その場所が、俺の帰る場所だ。あんたに俺の意志を縛る権利なんぞない。あんたに何かを与えられなきゃならん必要性も、ましてや俺の『幸せ』ってやつを定義されなきゃならん必要性も」


 アクアマリンの輝きを取り戻した瞳をアドリアーナに据え、ハイトは凛と強く言葉を紡ぐ。


「俺の幸せは俺が決める。俺の生き筋も、決めるのは俺だ。あんたなんかに指図される謂われはないっ!! 付け上がってんじゃねぇぞ、耽美王っ!!」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る