3.
「ハイト! 今扉を開けるわ! ちょっと離れていてっ!!」
ともあれ、ハイトの居場所がすんなり分かったのは喜ばしい誤算だ。
サラは扉の元まで駆け戻るとスッと指先を宙へ滑らせる。
「『
パッと宙へ散った琥珀の光は、鍵の形を取ってサラの手元へ戻ってきた。光でできた鍵を扉の鍵穴へ差し込めば、サラが鍵をひねるよりも早くカチリと錠が外れる。その音を聞くのと同時にサラは扉を押し開いた。
「ハイトッ!!」
扉の向こう側は小さな部屋になっていた。寝台と机でほぼ一杯になった部屋を背景に、目を丸く見開いてハイトが立っている。
無理矢理着替えさせられたのか、ハイトがまとう衣服は別れた時とは違うものに変わっていた。袍をまとわず中着の単衣とズボンという格好も、普段は後ろの高い位置で一つにくくられている髪が下ろされているのも、まるで寝起きのような雰囲気を醸し出している。常にないくだけた姿に普通の乙女はときめくのかもしれないが、サラは状況が状況なだけに血の気が下がっていくのを感じた。
──もしかして、もしかしてだけど……っ!!
「ハイト! まさか、リーヴェクロイツ王に何かされたん」
「サラ! まさか一人かっ!? 大丈夫なのかっ!?」
間に合わなかったんじゃないかという不安が言葉になって飛び出していく。
だがその言葉は、ハイトの声に蹴散らされた。
「キャサリンは一緒じゃないのか? リーフェやヴォルトは何してる!?」
勢いのままサラの両肩を掴んだハイトは真っ直ぐにサラを案じる色を向けていた。そこに己の状況を省みる空気は微塵もない。
「何であの二人はこんな危ない状況でサラを一人に……」
その瞬間、サラの中で何かが切れた。
「っ……!?」
パシンッと鋭い音がハイトの言葉をさえぎる。鈍い痛みが自分の手に走って初めて、サラは自分の右手がハイトの頬を引っぱたいていたことに気付いた。少しだけ体勢を崩したハイトが、何が起きたのか分からないという表情でサラを見ている。
「ハイトのバカッ!!」
力一杯叫んだら、そんなハイトの姿がぼんやりと輪郭を崩した。
「バカッアホッオタンコナスッウスノロッ! ウドの大木スットコドッコイッ!! 空気読めない分からず屋っ!!」
自分の知識にある限りの罵倒を並べながら、サラは大粒の涙を流して泣いていた。輪郭がぼやけた世界で見ても、ハイトが泣き出したサラを前にしてオロオロしているのが分かる。その姿が余計にサラの怒りを煽った。
「殴られたならっ! 殴られたことに怒りなさいよっ!! 私の心配なんてしてるんじゃないわよっ!!」
「へ?」
「私はっ、ハイトを助けに来たのよっ!? 助けに来た人間が助けられる人間を殴るなんて理不尽じゃないっ!! その理不尽に対して怒りなさいよっ!!」
自分が言っていることが無茶苦茶で、一番理不尽なことは分かっている。
だが、理解していたって止められない。だってサラは、ハイトのこういう所にずっと怒っているのだから。
「どうして他人に降りかかる理不尽には怒れるのに、自分に降りかかる理不尽に対しては怒らないのよっ!? どうしてっ、そんなに自分を大切にしてくれないのよっ!? どうしてっ……どうしてっ、あなたを大切にするみんなの気持ちに気付いてくれないのよ……っ!!」
リーフェやヴォルトが、いつもあんなにも必死になって、命がけの覚悟を見せるのが誰のためなのか分かっているはずなのに。サラがここへ来た理由だって、きちんと理解しているはずなのに。
それでもハイトは自分よりも相手を思う。それがサラには歯がゆくて歯がゆくて仕方がない。
「どうして受け取ってくれないのっ!? たまには心配させなさいよっ!! 助けさせなさいよっ!! 他人の心配をしていられる立場じゃないってっ! 分かりなさいよっ!!」
だって、自分の言葉を、気持ちを、無視されているようなものではないか。
届かない気持ちは、受け取ってもらえなかった言葉は、たとえ相手の耳には聞こえていたとしても、理解してもらえなければ形にならなかった事と同じだから。
だから、サラは、許せない。
『言葉を操る本の国の姫』という身分云々を抜きにして、ただの『サラ』として、許せない。
「どうして……っ!! どうして分かってくれないのよぉ……っ!!」
悔しい。
こんな状況になってまでハイトに心配されなくてはならないことも。こんなに胸をぐちゃぐちゃにされるくらい吹き荒れている感情がハイトに伝わらないことも。
「どうしてって、言われてもなぁ……」
涙が嗚咽に変わって、サラの声は当初のハリをなくしていく。
対するハイトは、弱り切った声で呟いていた。こんなに弱々しいハイトの声は、もしかしたら初めて聞いたかもしれない。
「心配される事に、慣れてないから……かな?」
サラは涙を払ってハイトを睨みつけた。声からの想像を違えぬ弱り切った表情で、それでもハイトは笑みを浮かべていた。苦笑とも諦めともいえるその表情に、一度勢いを失ったサラの怒りが再燃する。
「ほら、
「もうそれ、随分昔のことなんでしょっ!?」
「いや、でも、一度固まった
「~っ! だったらっ!!」
気付いた時には、体が前へ出ていた。伸びた手がらしくない表情を浮かべるハイトの顔を両側から挟みこむように引っぱたく。そのまま顔を固定し、サラから視線が動かせないようにして、サラは固い決意とともに唇を開いた。
「私が! 新しくハイトの隣に立つ私が!! ハイトを心配するポジションの人間になるわっ!!」
突き抜ける衝撃と苛烈に輝く琥珀の瞳を前に、ハイトが改めて瞳を見開く。
「私がハイトの隣に立って、嫌になるくらいハイトを心配してあげるっ!! 心配されることに慣れちゃうくらいに心配してやるわよっ!! だから……っ!!」
コベライトの瞳に映り込んだ自分が、クシャリと顔を歪めたのが分かった。こういう時くらい毅然としていたいのに格好悪いなと思いながらも、一度歪んでしまった表情は戻ってくれない。
「だから、お願いだから、自分を犠牲にするようなことはもうやめて……っ!!」
「……サラ、どうして、そこまで………」
「私がっ! ハイトの婚約者だからよっ!!」
くず折れそうになる体をハイトの両頬を挟んだ手で支えていたら、そっと控えめにハイトの腕がサラの背中に回った。その腕に力を借りて、サラはもう一度喉に力を込める。
「恋とか愛とか、まだよく分かんないけど……っ!! でも! 私は!! ハイトがいいって思ったのっ!! ハイトが大事なのっ!! ハイト『で』いいんじゃない、ハイト『が』いいの!! 他に代わりなんていない……っ!! だからハイトがハイト自身を蔑にするのが悔しくて悲しいのっ!!」
どうしてこんなに届かないんだろう。自分は、誰よりも言葉を操ることに長けた、本の国の姫であるはずなのに。今までこんなに伝わらなくてイライラモヤモヤすることなんてなかったのに。いつの間にか自分は、気付いていない間にバカになってしまったのではないだろうか。
そんな苛立ちと焦りを込めて、サラは己の武器とも言える言葉をハイトに向かって叩きつける。
「不良品だの欠陥品だの言うヤツなんてほっときゃいいのよっ! 後でハイトの魅力に気付いたって遅いんだからっ!! ハイトのどこに欠陥があるっていうのよっ!? ハイトのことを『
「……有難う」
だがその武器は、最後まで紡がれることはなかった。
フワリと力の込められた腕が、サラの体を抱き寄せる。トンッと体がぶつかった衝撃で言葉を止めた時には、視界が青で埋め尽くされていた。
「形にならなかった問いに答えをくれて、有難う」
「…っ……うぇっ……うーっ!!」
抱きしめられてしまったから、サラからハイトの表情をうかがうことはできない。だが穏やかな声は、今までまとっていた諦観に似た空気を脱ぎ捨てていた。いつもの、優しさと強さと、光にも似た温かさを宿した空気だった。
──やっと、届いた
そのことを実感した瞬間、また涙腺が緩んだのが分かった。ハイトの背中にすがるように腕を回せば、答えるようにハイトの腕にギュッと力がこもる。その柔らかさに、また涙腺が一段と緩んでいく。
『……盛り上がっている所、悪いのだが』
「ふぇっ!?」
『どうやら時間切れのようだぞ』
だが衝動に任せて大泣きすることはできなかった。
誰もいないと思っていた空間から響いた声に、サラは慌ててハイトの腕の中から撤退しようと体を動かす。だがハイトの腕の力が思いのほか強かったのか、サラの体は顔を跳ねあげただけで動きを止めてしまっていた。
仕方なくハイトの腕の中からソロリと顔をのぞかせて声の方を見やれば、部屋の中にはハイト以外にも見慣れない銀髪の麗人が立っていた。ハイトが警戒していないから、敵ではないのだろう。神々しさを感じさせる中性的な面立ちには、何とも表現しづらい微妙な表情が浮かんでいる。
「えっ……誰っ!?」
だが敵ではないと分かっても、監禁されているはずであるハイトと見知らぬ人間が一緒にいるとは何事なのだろうか。
サラは反射的に『
「
『あれだけ大声でお前を呼び、あれだけの勢いで説教をしていたのだ。見張りが侵入者に気付かぬわけがなかろう』
「えっ、御前って、つまりこの人は
「扉が開いているぞっ!!」
「やはり侵入者かっ!?」
はっと我に返ったサラは慌てて現状をまくし立てる。だが開きっ放しの扉の向こうから地下階段を降ってくる足音が響く方がわずかに早い。外から声が聞こえた時にはすでに扉の向こうに兵の姿を見えている。目まぐるしく変わる状況にサラの思考が付いていかない。
「っ!!」
だがそんな中で一番目まぐるしく立ち回っていたのはハイトだった。
ダンッと重い踏み込み音が聞こえた瞬間には、どうやって動いたのかサラとハイトの立ち位置が入れ替っていて、ハイトの容赦のない掌底が兵の顎をすくい取るように放たれている。追うようにして現れた二人目は、宙を舞う同僚の姿に目を瞠っている間に鮮やかに放たれたハイキックの餌食になっていた。
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