3.
シルヴィアはサエザルを婿に迎えることを受け入れ、サエザルは王位を継ぎ、そして時を置くことなくサラという娘を授かった。王宮の中枢から離れていたせいで最初は慣れなかった
外から見ればきっと、絵に描いたように美しい一家に見えたのだろう。
だがシルヴィアとサエザルの間には、出会った当時のしこりがそのまま残っていた。
いや、残っていたと断言するのは語弊があるかもしれない。少なくともサエザルは、そんなものは消えたと、シルヴィアに向ける愛情は本物だと思っていたのだから。
『……ずっと、謝りたかったの。ごめんなさいね。あなたの人生を、わたくしなんかの茶番に付き合わせてしまって』
そのしこりに気付いたのは、シルヴィアの命がまさに消えるという瞬間だった。
『わたくしを愛せなかったのは、仕方がないと思うの。わたくしを、真っ直ぐに見ることができなかったのも。……でも、どうか。どうかわたくしは愛せなくても、サラは愛してあげて。あの子のことは、真っ直ぐに見てあげて』
そしてどうか、あの子の未来はあの子自身に決めさせてあげて。あの子が誰かを選んだら、どうかその人を迎えてあげて。
あの子に……あの子にどうか、わたくしと同じ思いを、させないであげて……
「シルヴィア様には伏せていたが、きっとシルヴィア様は詞梟を通してサラとボルカヴィラ王太子の意に染まらぬ婚約を知っていたのでしょう。……それからです。私が、サラの婚約を何とか白紙に返そうと動きだしたのは。……あの時には、貴国にも、ハイトリーリン殿下にも、多大な迷惑をおかけした。感謝と、謝罪を申し上げたい」
サエザルは、シルヴィアのことを、想っていた。
始まり方は、確かに互いに本意ではなかったかもしれない。だけど向けていた気持ちは本物だったし、その気持ちは伝わっているとずっと思っていた。
思っていたからこそ、シルヴィアの最期の言葉は、酷い痛みをともなってサエザルの胸に響いた。
「申し上げた上で、さらに御迷惑なことを、申し上げたいのです」
だからこそ、サラのことは、何があっても守らなくてはならないと思った。
シルヴィアへの贖罪の気持ちも、もちろんある。
だがサエザルはそれ以上に、自分が抱いている愛情が娘に伝わらないことの方が怖かった。
「あの子が……サラが、とても楽しそうに、ハイトリーリン殿下のことを話すのです。今までに出会った、誰のことを話す時よりも楽しそうに」
反抗期なのか、お年頃だからなのか、サラは中々サエザルと素直に口をきいてくれない。よほど真剣に腰を据えて話さないと、二人の会話は漫才のように横道へ転がっていってしまう。
そんな素直じゃないサラが、あの旅の話をする中で、唯一素直に話してくれたのが、アクアエリアの一行のことだった。
曰く、瞳が綺麗。真っ直ぐで、強い光が宿っていて、宝石みたいにキラキラしている。
曰く、言葉が心地良い。嘘をつけなくて優しすぎて、あんなので国政に携わっていて必要以上に疲れたりしないのだろうか。
癖の強い従者と、彼らに振り回される主。絶望的に優しすぎる彼の強さと魅力を語る時、サラは本当に生き生きとしていた。
だから、ああ大丈夫だと思った。
彼にならば、託すことができると。サラが選んだのは、彼なのだろうと。
「どうかサラを、ハイトリーリン殿下の后に、もらっていただきたいのです」
婚約式が差し迫った今になって言う言葉ではないということは分かっている。サエザルがどう思おうとも婚約の話は進んでいて、よほど大きな問題が起きない限り二人の結婚はつつがなく成立するだろう。
だがサエザルは、どうしてもハイトの両親にこの言葉を直接伝えたかった。
政略という側面もあるのかもしれない。だがそれ以上に、サラの幸せを求めての、少なくともこちら側からは心を通わせての結婚なのだということを伝えたかった。サエザルの娘は政略の駒としてではなく、一人の娘として嫁ぐのだということを言いたかった。
「……アヴァルウォフリージア姫は、フローライト王家で唯一直系の血を継ぐ方だと伺っております。その姫を外へ出す事に、フローライト王宮は反対を示されてはいませんか?」
サエザルの言葉に、アクアエリア王は直接的な返事をしなかった。
「ハイトは『
だから、結婚の話があってもなくても、実質ハイトの方が王位継承権は強いのです、とアクアエリア王は続ける。
アクアエリア王が何を言いたいのか察したサエザルは、静かにアクアエリア王を見つめた。そんなサエザルにアクアエリア王は穏やかな笑みを向ける。
「ハイト自身は、そんな事に拘りはないのでしょうが……。ハイトがフローライト王宮に婿に入ってしまったら、水龍はそれに付いて行ってしまうでしょう。ハイトがいる場所が、水龍のいる場所となるのでしょうから。今水龍の器となっているリフェルダも、二人の警護に付いているマイスト将軍も、職を辞してでもハイトに付いて行くでしょうし。そうなったら、アクアエリアとしては大きな損失です。ハイトにはアクアエリアにいてもらわなければならない以上、ハイトが王位を継ぐ、継がぬに関係なく、アヴァルウォフリージア姫にアクアエリア王城に入ってもらわなければならなくなりますが、それに関しては問題ありませんか?」
「問題はありません。前例がないわけではありませんから」
サラの口からハイトの話を聞くようになってから、サエザルはサラの輿入れに関して様々な方策を模索してきた。宰相や側近達にも知恵を貸してもらって、今ではサラが国外に輿入れしても問題がないように体勢は整えてある。
「あぁ、そういう意味でもあるのですが」
表情を引き締めて具体的な前例を出そうとするサエザルをアクアエリア王は穏やかに止めた。その顔に浮かぶ笑みは、いつの間にか苦笑と呼べるものに変わっている。
「その……何と言いますか……私は子供が二人とも息子だったので、あまり子供達が手元から巣立って行くという事を、考えた事がなくて」
少し弱ったような表情で頬をポリポリと掻いたアクアエリア王は、言葉がまとまらないのか、考え考え、少しずつ言葉を紡いでいく。
「ハイトは、そりゃあ自慢の息子です。どなたを迎える事になっても、遜色なんてありはしない。優しいし、頭も切れるし、腕っぷしも良くて、気遣いも出来て……だが、本物の姑の他にも、厄介で癖が強くて、おっかない姑が三人……いや、二人と一柱? 付いて来ますし、苦労性でなぜか面倒な事を背負い込みやすいし……その、あの……」
言葉を探していたアクアエリア王は、結局うまい言い回しを見つけることができなかったのか、パタリと手を下ろすと柔らかく笑った。苦笑というべきか、弱り切ったというべきか、何とも形容しがたい笑みを浮かべたアクアエリア王は、温かなまなざしをサエザルに向ける。
「アヴァルウォフリージア姫を送り出したら、きっと、貴方は寂しくなる」
その言葉に、サエザルは思わず目をしばたたかせた。
「国内の貴族と縁を結べば、いつでも会う事が出来るでしょう。婿を取れば、城中で一緒に暮らす事も出来るかもしれない。アクアエリアに嫁いで来たら、出来ない事です。いつか貴方は、アヴァルウォフリージア姫という愛娘を、手元に置いておかなかった事を後悔する日が来るかもしれない。……それでも、貴方は、問題ありませんか?」
ふわりと、心の中を、暖かな風が吹き抜けたような気がした。
あるいは、春の温もりにゆるんだ雪解け水が、光をまとったかのような。そんな清らかで柔らかなものが、サエザルの心を満たしていく。
『ハイトの言葉はね、本当に心地よいのよ、お父様。清らかに湧き出る、山奥の泉のような言葉なの。きっとお父様も、聞いたら分かってくださるわ』
きっとサラが耳にした言葉は、今サエザルに向けられた言葉に似た空気をまとっていたのだろう。『
「誰よりも愛してきた一人娘が嫁に行くのです。どこへ嫁ごうとも、悲しみや寂しさは募るものでしょう」
その温かさを噛みしめながら、サエザルは笑みを浮かべていた。
きっと今のサエザルの笑みは、アクアエリア王と似通った雰囲気をまとっていることだろう。
「同じならば、あの子が望む場所へ旅立たせてやりたいのです。……それに、サラがこちらへ嫁げば、寂しさに暮れる私の言葉を、あなた方が聴いてくださるでしょう? この美味しい茶とともに」
「そうですなぁ、私も息子に嫁が来たら、ますます構ってもらえなくなって寂しくなるかもしれません」
アクアエリア王は困ったように笑いながら茶器に口をつけた。そんな王の隣で王妃と王子は同意を示すような笑みを浮かべている。
「その時は、また御茶をしましょうか、フローライトの陛下。今度は私が茶を淹れますよ。リゼほど上手くはありませんがね」
カタリと、アクアエリア王の茶器が机に戻る。その茶器の中でユラユラと揺れる水面は、アクアエリア王の言葉を受けてキラキラとペリドットのように輝いていた。
「だから、どうぞおいで下さい。アヴァルウォフリージア姫とともに。ハイトを選んでくださった姫とその父君を、私達はいつでも、家族として歓迎致します」
フワリと、その水面を渡って、涼やかな風が吹き抜ける。
ペリドットとアクアマリンに彩られた風は、未来を祝福するかのように輝いていた。
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