2.
「この場所を選んだのは、城内で一番ここが静かで、一番会話を盗み聴きされないからであって、他意はないのです。『裁定の泉』やら『神域』やらと聞かされて、さぞかし緊張なさったでしょう? そうでなくても、フローライトの方は水が苦手と聞きますし」
「フローライトの陛下、安心なさって。ここはあたくしでも忍び込めない場所なの。どんな言葉を紡ごうとも、聴くのはあたくし達だけしかおりませんわ」
「泉の主である水龍は、リフェルダに憑いていて不在でしょうしね」
好きなように言葉を並べては自分勝手に茶器を口に運ぶアクアエリアの王族達は、勝手気ままなようで、それでいてしっかりサエザルのことを見守っている。まるで旧知の友と語らっているかのように。
「……湧き出る泉のように軽やかだ。我が家もこれくらい風通しが良かったら、シルヴィア様にいらぬ心労をかけることもなかったろうに」
気付いた時には、そんな言葉がこぼれ落ちていた。
「シルヴィア様というのは……、亡くなられた王妃様の事ですわね」
コトリと静かに茶器を机に戻した后が控えめに口を開く。
交流のない后のことをなぜ知っているのかと一瞬疑問が首をもたげたが、アクアエリア王妃である彼女は、同時に現役の影護衛でもあるらしい。そうでなくても他国の王妃の名くらい知っているかとサエザルは己の疑問に己で答えをつけると、唇をまごつかせる后に視線を向けた。
「意外ですわ、フローライトの陛下がそんな事をお考えになるなんて。その……フローライトの陛下とシルヴィア様の仲は……」
「リゼ」
「良いのです、アクアエリアの陛下。私とシルヴィア様の仲が冷めきっていたというのは、近隣諸国には知れ渡っていることですから」
思ったままを口にしようとする后を、アクアエリア王は厳しい声で止めた。だがサエザルは笑みを浮かべたままアクアエリア王を制止する。
辛辣な后と思慮深い王。本当によくバランスが取れている。
「もっとも、私自身は、そこまで冷めているとも思っていなかったのだがね」
そのバランスのいくばくかでも自分達にあったらと、サエザルは詮のないことを思った。
当代フローライト王サエザルと、その后にして唯一の直系姫であったシルヴィアの結婚は、王の直系を絶やさぬために行われた政略結婚だった。
ここまでで説明が済めば、ありふれた話だったのだろう。現に各国の王族や貴族を見れば、こんな話はゴロゴロ転がっている。
サエザルとシルヴィアが特殊だったのは、サエザルに白羽の矢が立った時、すでにサエザルには婚約式という披露を済ませた婚約者がいたということだろう。
「私は、シルヴィア様を愛していた。そのことに嘘はない。……少なくとも、シルヴィア様と結婚して、サラが産まれてからは」
フローライトでは、たとえ直系で強大な力を宿していようとも、女性の王位継承は認められていない。先代の王には正室の他に側室の妃も何人かいたが、先代の血を引いて産まれた子供は姫であるシルヴィアしかいなかった。
先代の王にこれ以上子は望めないと分かった時から、シルヴィアが『
「その心は、シルヴィア様にも届いているものだと、勝手に思い込んでいた。……言葉を操る力を持ちながら、私は、想いを言葉にすることを、無意識のうちに惜しんでいたのかもしれない」
シルヴィアの結婚相手には、元々別の王族男性が推されていた。
それも一人ではなく、複数人。
サエザルの『詞繰』の力は確かに当時シルヴィアを除けば王族随一であったが、純粋に力の強弱だけで話がまとまるわけではない。当時のフローライト王宮は今より権謀術数がうごめいていて、サエザルは意図的にそういうものから距離を置くようにしていた。
だから好きなように己の結婚話を進めることが許されていた。
そうは言っても結局は政略結婚で、相手の姫とは特に想いあうこともなく、ただ『政権から遠く』というサエザルの望みを叶えただけの話にはすぎなかったが。
それでも、サエザルには満足な話だった。相手の姫は穏やかな性格で、時をかければやがては愛情を育める相手だと思っていた。相手もサエザルに同じことを感じていたらしく、男女の情こそないものの、顔をあわせれば二人の間には穏やかな空気が流れていた。
そんな空気が崩れたのは、いよいよ先代の崩御が近いかと噂されはじめた頃だっただろうか。
『……あら、サエザル。今度はあなたがわたくしを縛ろうというのね?』
シルヴィアの婚約者として公表されていた王族男性が、理由不明のまま急逝したのは。
「たとえ始まりがネガティブであっても、いつまでもそのネガティブが続くわけではない。それを、シルヴィア様も分かっていると思っていた」
正式な候補だけではなかった。
あるいは病で。あるいは事故で。あるいは政変で。
シルヴィアの婿候補と呼ばれた男達は、驚くほど短期間で、驚くほど呆気なく消えていった。
『あなたまで消すわけにはいかないわね。少なくともあなたには、
──ごめんなさいね、披露の済んだ婚約者がいるあなたまで引っ張り出されるなんて思っていなかったの。せっかく詞梟にお願いしてきたのに、結局わたくしは誰かの子種を受け取らなくてはならないのね。
今でも、サエザルは覚えている。
結婚相手が変わったと、半ば引きずられるように連れていかれた王宮。その先にいた、美しい死神の言葉を。
唯一の直系王族であったシルヴィアを相手に、大きな声で口さがのないことを言える人間は、当時の王宮に誰もいなかった。だが、誰もが少しでも考えたのではないだろうか。
亡くなった彼らは、シルヴィアの婿などと呼ばれなければ、生き永らえることができたのではないだろうかと。
「……まぁ、今更こんなことを言っても、何も変わりはしないとは分かっているのだがね。いくら私がフローライトの王であろうとも、言葉の力で死者を蘇らせることなどできはしない」
真実を知る人間は、もはやこの世界に誰もいない。彼女から罪の告白を聞いた、サエザルを除いては。
拝謁に上がったサエザルを出迎えたシルヴィアは、無邪気な狂気に彩られていた。その肩で羽を休めていた詞梟の瞳の冷たさと、シルヴィアがまとう穏やかな笑みのギャップ。妖しく、窒息するほど濃密なあの殺気を、サエザルは生涯忘れることはないだろう。
彼女は確かに、美しき殺戮者だった。サエザルが殺されなかったのは、ただ単に運が良かったのと、彼女と顔見知りだったからにすぎない。
いくら殺そうとも、己は結婚して血を残さなければならない。相手はいくらでも、どこからでも連れてこられる。
彼女がそのことを悟るのに今しばらく時がかかったら、あるいは自身の婚約をなきもののごとく扱われたサエザルに彼女が同情していなかったら、サエザルは生きて王位を継ぐことはなかっただろう。
「だからこそ、残された言葉は、大切にせねばならんと思っているのです」
サエザルは過去の回想から己を引き戻すと目の前に座す人々に改めて視線を向けた。こぼれ落ちる言葉だけではサエザルが何を思っていたかも分からなかっただろうに、同席者達は静かにサエザルの言葉に耳を傾けてくれている。
「シルヴィア様の今際の際に、私はシルヴィア様と一つ、約束を交わしました。サラの結婚相手には、サラ自身が選んだ相手を迎えると」
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