3.


「貴殿ならば、宝石なんて選びたい放題であろう。良質な、それこそ各筋で『最高級』と言われるべきモノが、宝石の方からこれでもかと言わんばかりに押し寄せてきているはずだ。だというのになぜ、貴殿は他国の国政に介入してまで、かのアクアマリンを求めるのだ? あれは『不良品』だそうじゃないか。わざわざ手間をかけてまで不良品を求めずとも、楽に手元に集まる宝石の中で満足しておけば良いではないか」

「陛下は、アクアエリアからかの宝石を奪ったことを『国政』と仰るのかしら?」


詞繰ライティーディ』の力が尽きかけているのが分かる。アドリアーナに言葉を向けながらチラリと視線を飛ばせば、斜め後ろに控えたキャサリンのドレスの輪郭がユラリとぼやけたのが見えた。密やかに奥歯を食い縛ったサラに気付いたのだろう。キャサリンがわずかにあごを引く。


「奪ったとは人聞きが悪いな、アヴァルウォフリージア姫。アクアエリア国内では、かの宝石は『不良品』と呼ばれて不遇な扱いをされているらしいではないか。私はかの宝石の美しさに価値を見出している。私ならば、かの宝石の美を存分に愛で、愛を注いでやることができる。だから私が頂戴したのだ。あれの価値が分からん者どもの所に置いておくよりも、美を愛でる私の所に置かれた方があれも幸せというもの」

「随分と一方的な物言いですのね。アクアエリアの陛下と、何より宝石自身の意志は確認されたのかしら? わたくしの記憶には、そのようなやりとりがされた覚えはありませんけれど」


 アドリアーナとはローウェルの町で対面している。あの時は一切サラに興味を示さなかったアドリアーナだが、さすがにサラがあの場にいたこと自体は覚えているはずだ。サラがフローライトからこれだけの隊列を引き連れてくることなど不可能であり、そうであるならばこの隊列は『詞繰』で作られた虚像だということをアドリアーナは最初から分かっていたのだろう。虚像のブレにチラリと目をやりながら、アドリアーナはわずかに唇の端を吊り上げた。


「かの宝石は、自ら私の手を取った。貴殿もそれは知っていよう、アヴァルヴォフリージア姫」

「宝石にとって、命よりも大切なモノを盾にとっての行為でしたわね」


 その笑みの中に侮蔑を感じ取ったサラはキッと瞳に力を込めた。『詞繰』に割いていた集中力が切れてアドリアーナに向けられるのが分かる。だが今更そんなことはどうでもいいとサラはアドリアーナを睨みつけた。


「さっきから聞いてれば不良品、不良品って……!! ハイトのどこが不良品だって言うのよっ!? 価値を見出している、ですって? 冗談も大概にしてちょうだい! 『不良品』なんて言っている時点で、あなたはハイトを貶めているのよっ!! 全っ然ハイトに価値があるなんて思っていないじゃないっ!!」


 一度切れた集中力は、崩壊するのも早かった。フワリと柔らかい風がサラの周囲を吹き抜け、豪奢なドレスが簡素な衣服へ戻っていく。中庭に待機させていた虚像兵の崩壊はもっと早かったのか、大広間の外から混乱がどよめきに乗って聞こえてきた。


「それに『あれの価値が分からん者ども』ですって? 『美を愛でる私の所に置かれた方があれも幸せ』ですって? ふざけないでっ!! ハイトのことを大切に思っている人が、ハイトをかけがえのない存在だと思っている人が、ハイトの周りにはたくさんいるのよっ!! その人達からハイトを引き剥がしておいて何が幸せですって!? いつハイトがそんなことを望んだっていうのよっ!?」


 そのどよめきを破るようにサラは叫んだ。アドリアーナを睨みつけたまま、あらん限りの声を張り上げて、内に抱えた怒りを叩きつけるように叫ぶ。


「ハイトは! 自分の居場所は自分で決める人よっ!! たとえアクアエリア王宮で冷遇されたことがあろうとも、ハイトがそこにいたいと思ったからっ!! ハイトがそこを『守りたい自分の居場所』だと思ったからそこにいるのよっ!! その自由を奪える人間なんて、この世界のどこにもいないんだからっ!!」


 その怒りは、身勝手な理由でハイトを苦しめるアドリアーナに対するものであり、すぐに己の身を犠牲にしようとする優しすぎる彼への怒りであり、そして何もできなかった自分への、気が狂いそうなほど強い怒りでもあった。


「あの綺麗なコベライトの瞳を陰らせようなんて、私が許さないっ!!」


 心の中をグチャグチャにかき乱す怒りに決意を乗せて、サラは一際言葉に力を込めた。


「ハイトは連れ帰らせてもらうわっ!! リーヴェクロイツ王っ!!」


 キンッと響いた怒号に、他の音がかき消される。


 謁見の間の空気はサラが入室した時よりも音をなくして張り詰めていた。サラの声に気圧されたのか、サラの言葉に『詞繰』の力が乗っていたのか、明らかにアドリアーナに対して無礼な口をきいたというのにリーヴェクロイツの兵達は息をのんで押し黙っている。


 だからこの静寂を破れる人間は、必然的に一人しかいなかった。


「っふふっ……」


 優雅なドレープを描く袖元がサラリと動き、優美に弧を描く口元を覆う。


「ふふっ……ははは」


 響いた微かな衣擦れをかき消すように、場違いな笑い声が広間を満たす。


「ははははははははっ!!」


 そしてその笑い声が消えた後、場の空気はサラが作り出したものとは違う静寂に支配されていた。


「連れ帰る? 貴殿が?」


 こぼされた言葉に含まれていたのは、愉悦か、呆れか、はたまた怒りか。


「そんなみすぼらしい姿で、供もたったこれだけ、おまけに不法侵入に等しい手段で王宮に入った貴殿がか?」


 だがサラはその中に不穏の種を見つけた。だから瞳に力を込め、手の中に握りしめていた小道具の存在を確かめる。


 それを悟ったのか否か、アドリアーナはスクッと立ち上がると、高い場所からサラに指を突き付けた。


「やれるものならばやってみよ、この『耽美王』のコレクションに手を出すと言う痴れ者よ。ここは我の宮、……リーヴェクロイツ王宮ぞ」


 その言葉と動きにようやく兵が反応を示した。不動を貫いていた槍兵の穂先が一斉にサラに向けられる。


「これはアヴァルウォフリージア姫を語る偽者だ。捕えよ」

「ハイトは『不良品』で、私は『偽者』だっていうのね? 『歪品』だったら『歪み真珠バロックパール』に掛けたみたいで面白かったのだけど。……まぁ、いいわ。とにかく、ハイトは返してもらうから」


 そんな中、サラは冷静に右手を振り抜いた。手の中に収められていた物が宙へ投げられ、緩く弧を描きながらアドリアーナの足元に向かって飛んでいく。


「後で吠え面かいたって知らないんだからねっ!!」


 その軌跡を追いながら指を鳴らした瞬間、バムッという鈍い音とともにサラが放った小石から真っ白な煙が噴き出した。


「!?」

「ゴホッ! ゲホゲホッ!!」

「なっ……なんだこれはっ!?」

「ギャッ!!」

「おっ、おい!! 槍を振り回すな! 味方に当たるっ!!」

「槍は立てるんだ! 相討ちを避けろっ!! うわっ!!」

「不審者を捕えよっ!! 煙に乗じて逃げるつもりだぞっ!!」


 アドリアーナの視界は一瞬にして真っ白に塗り替えられた。袖元を口に押し当てて煙を吸い込むのを防ぐ。


 この煙がサラの放った小石から噴き出しているということはとっさに判断できたが、煙の正体が一体何であるかまでは推測できなかった。毒か否かと思考を巡らせている間にも煙はどんどん謁見の間の中に広まっていく。長い髪やたっぷりと布地を使った衣服が、その煙に触れた傍からしっとりと水気を含んで重くなっていく。


 ──水気?


「おいおい、そんなに慌てなくても、これはただの水蒸気だっての。この程度で統率が乱れるなんて、兵の質が問われるんじゃねぇのかー?」


 フローライト王族の『詞繰』で作り出されたものと考えるには妙にリアルな感触。だがただの煙というには水気が多すぎる。


 そのことにアドリアーナが気付いた瞬間、煙の向こうから笑みを含んだ声が飛んできた。


「せっかく俺が直々に相手取るんだからよぉ、どーせなら骨のあるヤツにいてもらいてぇのよね」


 低くよく通る声は、聞くだけで声の主の男振りが分かるような声色をしていた。それを合図にしたかのように、濃くたゆたっていた煙が引いていく。


「つまんねぇヤツ並べてんなら、全員薙ぎ倒してあんたの首を貰ってくぜ? なぁ、リーヴェクロイツ王アドリアーナ陛下?」


 最初に見えたのは、青とも紺とも言える色味の衣。その上に鈍く煌めく防具は、主の戦歴を語るかのようにいぶされ、細かな傷が残っている。それがみすぼらしく見えないのは、ひとえにそれを纏う男の覇気のせいだろう。


 アクアエリア禁軍の武官装束と、ハイトから下賜された許色ゆるしいろに身を包んだヴォルトは、凄みのある笑みを口元に閃かせると腰に佩いた長刀を抜いた。


「我等が殿下の御身に手を伸ばしたその罪、この場に詰める者どもの命で購ってもらおうか」



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