2.


「開門!」


 目の前に立ちはだかる厳めしい城門が少しずつ開かれていくのを見留め、サラは馬車の中で小さく安堵の息をついた。


 リーヴェクロイツ王宮の大門は、王宮から隊列が出入りする時か、異国からの来賓を迎える時にしか開かれない。常時は大門の左右にある通用口で身元を確認されながら出入りする慣わしだ。この大門を開かせることが今回の殴り込みの第一関門とも言える。どうやらその第一関門は無事に突破できたようだ。


「交渉に出たのはリーフェ様です。衛兵ごときが口先で敵う相手ではありません」


 サラの溜め息を敏感に聞き取ったキャサリンが小さな声で囁きかける。


 サラが乗る馬車に同乗したキャサリンは、顔立ちこそそのままだが身を包む衣装は正装用のドレスに改められていた。もちろん旅団を飛び出してきたキャサリンにそんなドレスの手持ちはない。今キャサリンが纏っているように見えるドレスは、サラの『詞繰ライティーディ』で作り出された幻だ。交渉のために衛兵と対面しているであろうリーフェにいたっては、身元を隠すために顔立ちから衣装まで外見は全てまったくの別人に上書きしている。隊列のどこかに潜んでいるヴォルトも同じだ。サラの『詞繰』が破られない限り、この隊列にアクアエリア第二王子の側近二人が紛れ込んでいることを見破れる者はいない。


「姫様、大丈夫ですか?」


 リーフェのことをふて腐れた顔で評したキャサリンが表情を改めてサラに問いを向ける。心配の中にわずかな緊張を溶かすキャサリンへ、サラは精一杯の笑みを向けた。


「大丈夫よ、やり通してみせるわ」


 この千人規模の隊列の中で、実存している人間はたったの四人。装備に至っては、ほぼ全てが『詞繰』で作り出された幻だ。その全てがサラの力と精神力で保たれている。


 今すぐにでもベッドに潜り込んでしまいたいほどの疲れがたまっていることは、サラ自身が一番よく理解していた。だけど、ここで引くわけにはいかない。


「ですが……。ローウェルからここまでだって、ほぼ休みなく『詞繰』を使い続けてきたのですよ? やはり少し休憩なさってからの方が良かったのでは……」

「キャサリン」


 心配させていると、痛いほどに分かっている。その心遣いは、もちろん嬉しい。


 だけど今欲しいのは、そんな言葉ではない。


「もう少しだから。……あともう少しで、私の力の出番は終わる。その後は、キャサリンの力が必要になるわ。その時になったら、お願いね」


 その思いを込めてキャサリンに言葉を向けると、キャサリンはグッと唇を引き結んで紡ぎかけていた言葉を呑み込んだ。少しだけ震えていた唇は、最後には力強い笑みを見せてくれる。エメラルドの瞳は真っ直ぐにサラを見ていた。


「お任せください」


 その言葉に、サラは笑みを返した。


 それとほぼ同時に馬車が止まる。しばらく時を置いて、扉をノックする音が聞こえてきた。


「殿下、これより屋内に入ります。御下乗願います」

「分かりました」


 フローライトの上流子女は、護衛兵など下位の使用人と公の場で直接言葉の受け答えをしないのが慣例とされている。この幻の中で鮮明に言葉を紡ぐ人間は実存している四人だけだが、どこにリーヴェクロイツの耳目が張り巡らされているか分からない。


 それを警戒したキャサリンがサラよりも早く了承の意を伝えると、サッと外から扉が開かれた。外見をフローライト風に上書きしているから中身がリーフェなのかヴォルトなのかは分からないが、護衛兵は慣れた手つきで下乗用の踏み台を用意してくれる。それを踏んでまずキャサリンが降り立ち、次いでサラが優雅にリーヴェクロイツの土を踏んだ。乾いた土を払って広がるドレスが、土色が大半を占める景色の中に鮮烈な色を加える。


 虚像で作り出された隊列は、城門をくぐった広場の中を埋めつくすように歩みを止めていた。その虚像達が、サラが馬車から降り立った瞬間、ザッと一斉に膝を着いてかしこまる。


「参りますわ」


 その光景を一瞥してから、サラはドレスをさばいて前へ足を進めた。前を先導する形で踏み台を用意してくれた衛兵が、後ろを固める形でキャサリンが続く。


 リーヴェクロイツ王宮は、フローライトともアクアエリアとも違う造りがされている。乾期の酷暑に耐えるべく風通りを計算された王宮は、高い天井を支えるいくつもの柱が装飾的に入れられた、壁の少ない造りになっていた。


 馬車が正面玄関に横付けされていたおかげで、足元は土からすぐに石廊に変わり、次いで華やかな織り目の絨毯に変わる。そういえば、この絨毯もリーヴェクロイツの特産品の一つだ。最上級品ともなれば、この絨毯一枚で邸宅を買える額になるという。ハイトがそのことを知ったら、きっと『そんな高級品を床に敷くなんて頭おかしいんじゃないか?』と顔を青ざめさせることだろう。


「……アヴァルウォフリージア姫、何かございましたか?」


 きっと、『詞繰』を使い続けて、疲れが限界にきていたのだろう。知らない間に、そんな他愛もないことを考えていた。


「わたくしが、何か?」


 気付いた時には、天まで届くのではないかと思うほど大きな扉の前に立ち、扉の前に控えたリーヴェクロイツの人間に声をかけられていた。相手はサラがこぼした笑みに戸惑ったようだが、結局サラの笑みの理由を見つけることもできず、さりとて場違いな笑みを咎めることもできなかったのだろう。サラの冷静な問い返しにあからさまに視線を泳がせてからオホンと咳払いをして、無理矢理会話を終わらせる。


「この先で、陛下が特別に貴殿にお会いになられるとお待ちです。よろしいか。事前の申し入れなく王宮に押しかけるなどという前代未聞な暴挙を、陛下は不問に伏すと格別に仰せられたのです。くれぐれもこれ以上の無礼は……」

「あら、先に無礼を働いたのはどちらだったかしら?」


 ──ハイト、私、あなたに言いたいことがたくさんあるの


 何かをブツクサと言い連ねる小者なんて、視線を向ける必要さえない。だってサラの敵は、今集中すべき相手は、扉の前なんかに控える小者ごときではないのだから。


 だからサラは、気合を入れ直すべく胸の内だけでここにいない彼への思いを呟くと、静かに扉を睨み付けた。


「中立国というだけで何もかもを許されると思ったら、大間違いなのよ」


 サラの言葉に、家臣は口にしようとしていた口上という名の小言を引っ込ませる。己が戴く王が何をしでかしたのか、密やかに察しているのだろう。家臣は今度こそはっきりとサラから顔をそらすと、扉に向かって声を張り上げた。


「フローライト国王女、アヴァルウォフリージア姫の御来入でございます!」


 扉の向こうから応えの声はなかった。ただ静かに、軋みひとつさえ上げずに巨大な扉が開かれる。


 中は廊下以上に天井の高い、だだっ広い広間だった。果てしなく遠い部屋の奥に、数段上がって玉座が置かれているのが分かる。扉から玉座に至るまで細く長く敷かれた絨毯とその玉座だけがこの部屋に置かれた調度品だった。その代わりと言わんばかりに、兵士と臣下が玉座まで続く道の左右を埋め尽くしている。


 サラは呼吸一つ分だけその景色を眺めると、気負うことなく最初の一歩を踏み出した。毛足の長い絨毯のせいで、ヒールの音は響かない。これだけ大勢の人間が一つの空間に詰めているというのに、謁見の間は信じられないほど静かだった。空間を埋め尽くすリーヴェクロイツの人間も、サラの後ろに続く衛兵とキャサリンも、衣擦れの音しか空気の中に落としていかない。その静寂が、この対談の異常さを示しているかのようだった。


「急な来訪に関わらず、拝謁叶いまして嬉しく思いますわ、リーヴェクロイツ王アドリアーナ陛下」


 長い長い道を歩き切ったサラは、その静寂を自ら破る。下位にあるサラから口火を切ったことに臣下は不満を感じたようだった。人の気配を感じさせなかった空気がサワリと一瞬だけ不穏に揺れる。


「貴殿は今、アクアエリアに滞在されていると聞き及んでいたのだが。……何かの間違いだったかな? アヴァルウォフリージア姫」


 だが揺れたのは臣下だけだった。玉座にゆったりと腰掛け、気楽に足を組んだアドリアーナ本人は、艶然と笑みを浮かべて面白そうにサラを見つめている。


「婚儀に必要なアクアマリンを陛下が勝手に持ち出されたとあっては、わたくしも呑気にアクアエリアに滞在していられませんもの」

「ほぅ? アクアエリアの大事に、アクアエリアの人間ではなく貴殿が動くと言うのか?」

「わたくしの婚儀でもありますもの。わたくしも当事者の一人として、ただ大人しく待っていることなんてできませんわ」


 鮮やかに言い切ってニコリと無理矢理笑う。自然な笑みを浮かべられたはずだ。

だがその一方で、冷や汗が浮かんでいるのも分かる。


 ──もって……もたせるのよ、サラ。あともうちょっとだけ………!!



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