「こちらの当事者である我が娘アヴァルウォフリージアは、ハイトリーリン殿下を追いかけて旅団から飛び出していってしまった。私の来訪を事前に知らせることなく乗り込んできた無礼は承知しているつもりだ。だが今だけはそのことを忘れて、どうか親同士、私と腹を割って話をして頂けないだろうか」

「!? ハイトがいない事をどうして……!?」

「こちらが逗留していた宿に、ハイトリーリン殿下の従者殿二人が忍んでやってきたのを見送った故に。殿下は良い臣下をお持ちだ」


 思わず零れたイーゼの叫びにもフローライト王は穏やかな言葉を返してきた。態度にも言葉にも、ハイトの不在を誤魔化そうとしていた二人への非難は欠片も感じられない。


「……非礼を詫びるならば此方の方だ、フローライト王」


 フローライト王の言葉に何と答えるべきか分からず黙り込むイーゼの横で、凍り付いていた父王がようやく動いた。


 椅子から腰を浮かせた状態で固まっていた体がしっかりと床を踏み締める。背筋を正し、床に零れ落ちる装束の裾を己の手で整えたアクアエリア王は、開いたままの距離を自らの足で詰めた。光の面紗ヴェールがユラユラと見守る中、互いの手が届く距離で二国の王が対峙する。


「貴方の来訪を嬉しく思う。国主としても、ハイトの親としても。非公式だからこそ、腹を割れる事もあるだろう。……私は、貴方の来訪を歓迎する」


 父王が穏やかな笑みを浮かべる。それを受けてフローライト王に最後まで残っていた強張りが取れた。言葉を操る国の王であるからこそ、アクアエリア王が驚きながらも、心の底から彼の来訪を喜んでいる事が伝わったのだろう。


「さて、そうと分かればおもてなしの準備をしなければな。リゼ! そこら辺にいるのだろうっ!?」


 相手の真意が分かって緊張が解けたのか、父王は気負いのない声で己の后の名を呼んだ。


 その言葉を聞いてイーゼは思わず脱力してしまう。あっさりと緊張を解いた声色や態度や神経にというよりも、父王が口にしたその内容に、である。


「父上……。人払いがされていて、重臣達でさえ近付けないこの空間に、后が近付けるわけがないじゃないですか……。さすがに見張りの兵が止めますって……」

「甘いなイーゼ。あれは后であってただの妃にはあらず。忍であり、薬師くすしであり、執着型変態ストーカーであり、后なのだ。あれには人払いも厳戒体制も完全封鎖も関係ない。必ずこの場に張っているのだから、呼べば出てくる」

「いや、父上……それって誉めてるんですか? 貶してるんですか?」

「そうよそうよ! 陛下! あたくしの事、変態だなんて思っていらしたのねっ!? そんなあたくしが好きで好きで仕方がなくて結婚したくせにぃっ!!」

「そうそう、父上と母上は今でも仲良しこよし……って!?」


 無意識の内に相槌を打っていたイーゼは、ハタと我に返って目を瞬かせる。


 目の前には先程と変わらず対峙する父とフローライト王。そしてその傍らには、たおやかそのものの挙措で団扇を操る小柄な女性が、いかにも『あら、最初からおりましてよ?』とでも言い出しそうな風情で佇んでいた。


 四人目が絶対に現れるはずのない空間に、四人目の人物が登場していた。


「うぇぇぇ!? は、母上っ!?」

「イーゼ、母を見て『うぇぇぇ!?』とは何事ですか、はしたない。ねぇ、陛下?」

「だから言っただろうイーゼ。それとリゼ。私がお前と結婚したのは、お前が私を好きすぎて、幼い頃から四六時中の洗脳・いつ何時も離れない追尾ストーキング・毎食ごとに惚れ薬を盛り続けるという病的愛情三揃ヤンデレフルコンボを噛ましてきたせいだ。私がお前を好きすぎたんじゃなくて、お前が私を好きすぎて私が身の危機をヒシヒシと感じたせいだろうが。事実を曲げるんじゃない」

「ヤダァ、陛下、でも今、現にこうしてイチャイチャしてくれるくらいにはあたくしの事が好きなんでしょぉ!? 結果良好オーライって事じゃないですか!」

「離れなさい、リゼ。暑苦しい。鬱陶しい。抱き締められすぎて死にそう。肋が逝くから離れなさいっ!! お茶の準備をしてきてくれっ!!」

「あら、あたくしの毒茶が御所望? 毒殺したい相手はコイツかしら? 対面しているなら、わざわざ毒なんて盛らなくてもあたくしが一撃でサックリと……」

「此方の方はハイトの義父になる御方だ。お前、さっきの話は柱の陰なり床下なり天上裏なりで聴いていたんだろう……!! だ・か・ら! 肋が逝くから離れなさいっ!! は・な・れ・な・さ・いっ!!」

「ヤダァ、陛下、肋くらい、あたくしが幾らでも治して差し上げますっ」

「アギャァアアアア……ッ!!」


 イーゼにとっては見慣れた夫婦漫才だが、フローライト王にとっては珍しい代物だったのだろう。パチパチと珍獣を見るような目が二人に注がれている。


「申し訳ありません、陛下。いつもの事ですので、お気になさらず。満足すれば、母は勝手に退席致しますので」

「いや、その……アクアエリアの陛下は、大丈夫なのか?」


 冷静に対処したイーゼにフローライト王は何とも言えない瞳を向け直した。その視線を受けてイーゼは改めて両親を見やる。


 后の抱擁ハグで肋を砕かれたのか、父王は后の腕の中でグッタリとしていた。口から魂をはみ出させた夫を抱き締めて、母は御機嫌な様子で夫に頬擦りをしている。


 さすが、后にして現役の国王影護衛筆頭。その腕は護衛対象さえ昇天させる力を有しているらしい。


「ええ、全然大丈夫です。いつもの事ですから」


 グッタリしているのも口から魂をはみ出させているのも、割といつもの事なので問題ない。


 父はこんな母に幼い頃から護衛されてきた。こんな所も含めて后の奇行には慣れているし、何だかんだ言っても、父はこんな所も含めて母の事を好いているのだと思う。そうでなければいくら迫られようとも、平民出の一護衛官を后として迎え入れるはずがない。


 きっと、裏表なく全身全霊で愛情表現をしてくれる所が良いのだろう。ここまで大っぴらにされると、裏を勘繰る事さえ馬鹿らしく思えてしまうし、現に裏は全くない。


 まぁ、一言で纏めてしまうならば。


 ──父上は被加虐趣味マゾという事だな


「……ふふっ」


 しれっと実の父親に対して大変失礼な事を考えていたイーゼは、微かに聞こえてきた忍び笑いに目を瞬かせた。笑いを零したのはもちろんフローライト王だ。


「失礼。うらやましい夫婦仲だと思っただけで、他意はない」

「羨ましい?」


 穏やかな表情に、確かに他意は感じられない。だがこの夫婦漫才を見せられて何を羨ましく感じたのか、イーゼは正直に言ってサッパリ分からなかった。


「フローライト王も、被加虐趣味なんですか?」

「は?」

「あ。いえいえ」


 思わず零れた言葉を咳払いで誤魔化しながら父王を振り返る。父王は玉座に体を放り出した状態でグッタリと伸びていた。抱き付いていた母は跡形もなく姿を消している。これもいつもの事と言えばいつもの事なのだが、毎度母はどうやって密室へ出入りしているのだろうか。アクアエリア王城七不思議にそろそろ認定されても良い頃合いだと思う。


「父上、お茶会という事ですが、どちらへ御案内すれば良いですか?」


 イーゼが問いを向けると、父王の腕が上がった。プルプルと震える指先が右を差した後、ガクッと落ちる。指し示された方向へ顔を向けて数秒考え込んだイーゼは、父王が指示した場所に当たりを付けるとフローライト王へ向き直った。


「フローライトの陛下、御案内致します」

「はぁ、どちらにかな? というよりも、本当にアクアエリアの陛下はあの状態で放置して大丈夫なのかな?」

「ええ、本当に、全然、いつも通りですから」


 案内に立つために先に足を進めて扉へ手を掛ける。だが追い越してきたフローライト王は、まだ心配そうにアクアエリア王とイーゼへ交互に視線を向けていた。


「腹を割って話し合うのに打って付けの場所があるんです。そちらへ御案内致します」


 イーゼは大きく扉を開くとフローライト王をいざなった。不安そうな表情を見せながらも、イーゼのぶれない返答を信じてくれたのか、それともフローライト王族ならではの力でイーゼの言葉を判断したのか、フローライト王はゆっくりとイーゼの方へ歩を進めてくる。


「父上、いつまでも伸びていると、母上を呼びますよ」


 そんなフローライト王の肩越しにイーゼは父王へ視線を投げた。


「十秒以内で復活してください。復活しなかったら、王城中に響き渡る声で『陛下が危篤ゥゥゥウウウッ!!』って叫びますからね」


 その言葉にピクリと父王の指先が動いた。それを確認してから、ゆっくりとイーゼは数を数え始める。


「い~ち、に~い、さ~ん……」


 その間にフローライト王はイーゼの前まで辿り着いていた。イーゼは体を半身に捌いてフローライト王へ道を譲る。水光の間から外へ出たフローライト王は、体を反転させるとイーゼの肩越しにアクアエリア王を眺めた。


「よ~ん、ご~ぉ……」


 ピクピクと痙攣していた腕が蠢き、ガシッと玉座の肘置きを掴む。その手を支えに、力の抜けていた上半身が起こされ……


「ろ~く、十! 陛下が危篤ゥゥゥゥゥゥウウウウウウッ!!」

「は?」


 アクアエリア王が復活した瞬間、イーゼの絶叫が王城中に響き渡り、パタリと扉は閉められた。


「へ? イゼルセラン殿下、七、八、九はどこへ消えたのだ?」

「さて。どこかへ家出でもしたのでしょう」


 背後で目を瞬かせるフローライト王へイーゼはしれっと答える。


 その瞬間、閉じられた扉の向こうでこの世の終わりのような絶叫が響き渡った。フローライト王が文字通り体を飛び上がらせて驚く。まるでそれを叱咤するかのように響いた声は常にはない緊張を帯びていた。


「陛下! 危篤って何ですの!? 敵は!? 御怪我は!? こんなにグッタリなさって……。この傷は相手にやられたものですのね!?」

「違う違う違うこれはお前が自分でやった事だろうが治療はいい私は十分元気」

「安心なさって! 肋が粉砕骨折していようとも、五臓六腑が焼け爛れていようとも、腕や足が千切れ飛んで頭がもげていても、あたくしが必ず陛下をお元気にして差し上げますから!! ついでに敵も殲滅して差し上げるからっ!!」

「頭がもげていたら死んでいる既に死んでいるしだから大丈っ……ギャァァァアアアアアアアアアアアッ!! 治療はイヤァァアアアアアアアアアアッ!!」


 父王一人しかいないはずである空間から響く夫婦漫才に一つ頷いたイーゼは、ようやく背後に立つフローライト王を振り返った。『后は一体どこから舞い戻ってきたのか』やら『アクアエリアの陛下は本当に大丈夫なのか』やらと問いが飛ぶかと思ったが、フローライト王は実に微妙な表情でイーゼを見詰めたまま黙り込んでいる。


「……どうかなさいましたか?」

「……イゼルセラン殿下……。そなた、案外、イジメっ子なのだな」


 促してみたら、向けられた言葉は予想外の物だった。全くアクアエリア王の悲鳴に動じていない。イーゼを見詰める瞳には若干の呆れが混ざっているような気がした。想像していた以上に、場への順応性が高いのかもしれない。


 ──この方ならば、ハイトのぼやき癖もすんなり受け入れてくるかもしれない


 そんな感情を心の隅に転がしながら、イーゼは弟の側近に『剽軽ひょうきん』と評される喰えない笑みを浮かべた。


「息子なりの愛情表現ですよ、陛下」


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