最初の言葉を言わなければ良かったとも、心の片隅では思った。だが弟の境遇を間近で見てきた者として、父の呑気な言葉に反論したい欲求を即座に呑み込む事は出来なかった。でも、父にこんな表情をさせたかったわけではない。


「いや、私が父親として不甲斐ないばかりに、ハイトに酷い思いをさせたというのは事実だ。そして今も、そんな思いをさせ続けている」


 イーゼの言葉に緩く首を横に振った父王は、全ての感情を呑み込んで淡く口元に苦笑を浮かべた。


 ハイトは父を恨んではいない。むしろ父の判断は王として正しい物だと考えている節がある。それが分かっているから、余計に父が苦しい思いを抱えている事も、イーゼは知っている。イーゼも、同じような思いを抱いているから。


 だけどきっと、ハイトはそんな父を知らない。


 第二王子である事と、『水繰アクアリーディ』の力の大半を失ってしまった事。一時は次期国王にと期待されていたのに、自分はそれを裏切ってしまったのだとハイトは勝手に考えている。その考えが、ハイトの中に父への遠慮を生んでしまっている。だからハイトが立つ位置は、家族の中で誰よりも父から遠い。


 家族として、仲が悪いわけでは決してない。むしろ他の王家と比べて、アクアエリア王家はより庶民が言う『家族』に近いとも思う。それでもその中に時折、複雑な感情が影を落としていると、イーゼは感じている。


「……その思いを少しでも軽くするために、今、俺達が頑張っているんでしょう」


 その影を払拭するのも、長兄の仕事の一つだ。イーゼはそう思い直し、軽い溜め息とともに思考を切り替えた。王もその変化に気付いたのか、姿勢を正してイーゼの言葉に頷く。


「相手はフローライトの王族だ。嘘偽りは全て通じない。だからお前を形代として、水鏡を用いて代役を演じる事も難しい」


『水繰』には、水の幕を銀幕スクリーンにして幻影を作り出すという技がある。だが相手は言葉の嘘を見抜く事に長けたフローライトの王族だ。そんな猿芝居は通用しないだろう。相手の猜疑心を募らせるだけだ。


「相手は、ハイトを生涯の伴侶にと望んでくれた方だ。そのような相手に不誠実な姿勢は向けたくない。だが」

「国同士としての体面を考えた時に、ここにハイトがいないというのはかなり不味い」


 本来ならば、体調を崩していようが死にかけていようが、這ってでも当人が出席しなければならない席なのだ。当人不在につき中止・延期など言語道断。これからのハイトの人生に大きな瑕疵を残す事になる。


「事情を説明するならば、姫のみに限りたい。姫とハイトは顔見知りなのだろう?」

「先の旅路をともにしていたと聞いています。ハイトから聞いたままの性格ならば、誠実に願えばこちらに協力してくれるかと」


 何せ、意に添わない結婚話に反発して城を飛び出してくるような王女なのだ。規格外の性格である事に間違いはない。だが一方でフローライト王女の名に恥じない聡明さも併せ持っているのだとハイトは口にしていた。事情を説明すれば、きっと理解は得られるだろう。


「……───」


 そこまで考えて、イーゼはふと嫌な予感を覚えた。いや、『嫌な』と言うのは少し違うかもしれない。もしもそうなっていたらアクアエリアとしては都合がいい事なのだから。


 先の旅でハイトと行動をともにしていたハイトの腹心二人は、当然の事ながらフローライトの姫とも面識がある。彼女の性格を自分達以上に知っているリフェルダが、彼女の助力を請おうと考えて動くという事はないだろうか。そして、仮に彼らがフローライトの姫に助力を請うていたならば、フローライトの姫は素直にアクアエリア王城に来るだろうか。自分一人でフローライト王城を飛び出すような行動力のある姫が、ハイトの探索をリフェルダ達に任せて大人しく王城入りするものなのだろうか。


「父上……」

「国王陛下とイゼルセラン殿下に申し上げます!」


 自分が思い付いた可能性を口にしようとした瞬間、外へ続く扉の向こうから声が飛んだ。王の視線が素早くイーゼに飛ぶ。その視線を受けたイーゼは、軽く首を振って口にしかけた言葉を打ち消した。静かに扉を示してから首を縦に振り、自身の心積もりが出来ている事を表す。


「フローライト国より、アヴァルウォフリージア王女殿下、コルデロイ宰相閣下の御到着でございます!」

「御通しせよ」


 呼び声に答える王の声は落ち着いていた。


 王もイーゼも、ハイトの失踪が分かってから悪戯に時を浪費してきたわけではない。この時までにハイトが見つからない可能性を踏まえて、策はいくつも練ってきた。後は相手の様子を伺いながら、それを如何に組み合わせていくかに懸かっている。


 要は、度胸と即興力アドリブ。この二つにかけてイーゼの右に出る者は、父王と、そして認めることは癪だが、リフェルダしかいない。


 そんな今はどうでも良い感情を心の片隅へ追いやり、イーゼは背筋に力を込める。それと同時に正面の扉が開かれ、扉の向こうにいた西方服に身を包んだ男女の姿が目に入った。優雅に足を進める少女は華やかなドレスに、後ろに従う初老の男性は地味だが仕立ての良い服に身を包んでいる。


 イーゼは少女を見詰めて瞳を細めた。


 先の旅でイーゼは直にアヴァルウォフリージア姫と対面していない。遠目で見掛けた事はあれども、ここまでの至近距離、少人数での対面は初めてだった。


 確かに少女は美しい。『フローライトの歪み真珠バロックパール』という呼称は性格を加味した物だと聞いているが、見た目だけならばどこにも歪みなど見出だせない。最上品の、完璧な真珠姫だ。


 姫は腰からフンワリと大きく広がるドレスの裾を優雅に捌いてイーゼ達の前に立つ。その後ろを固める初老の男性が部屋の中ほどまで進んだ所で二人が入ってきた扉は閉ざされた。二人の登場を待っていた兵も、二人が入室した所でこの場から離れるように命を降されている。しばらくこの部屋の周囲はこの四人だけになるはずだ。


 そしてさらにハイト不在の情報を伝えるためには、何らかの事情を付けて宰相である初老の男性にも席を外してもらわなければならない。どの時節タイミングでどの札を切るのかと、イーゼは父を流し見た。


 そこでようやく、イーゼは父の異変を知る。


「父上……?」


 王は凍り付いたように宰相の事を見詰めていた。その顔に笑みはない。浮かんでいる表情を無理矢理分類するならば、『驚愕』とするのが一番近いだろうか。


 予想もしていなかった父の反応にイーゼは小さく戸惑いの声を上げる。だが王はその声に答える事なく、おもむろに椅子から立ち上がった。その動きを咎めるかのように冠から下がる飾りがシャラリと大きく揺れ動く。


「貴殿は……!!」


 狼狽した声が水光の間に響く。その声に、存在を無視される形になった姫が愛らしく微笑んだ。姫の後ろに控えた宰相も、真っ直ぐに王を見て朗らかに笑う。


「ああ、やはり、あなたには通じないか」


 後ろに控える宰相がフワリと穏やかに笑う。『堅物』と周辺諸国にまで知られる宰相が浮かべるには柔らかな表情にイーゼは思わず目を瞬かせた。


「水のように清らかに生きるあなた方に嘘はつきたくない。幸い、この周辺は人払いがされているようだ。ありのまま、腹を割って話したい」


 宰相は穏やかな笑みを浮かべたままスッと右腕を前へ差し出した。そのまま優雅な挙動で腕は真横へ振り抜かれる。パチンッという音とともに、腕の軌跡に琥珀の光が舞った。


「えっ……」


 そこまで来てようやく、イーゼは男が纏う気配の異質さに気付く。その間に琥珀の光は姫の周囲を巡り、続いて宰相の周囲を吹き荒れた。その渦の中に姫の姿がパッと散り、乱舞する光が凝って一つの形を作り出す。


「……っ!!」


 風の中から姿を現した梟は、男が差し出す腕に柔らかく留まった。


 衣服こそ変わっていないが、梟に腕を差し出す男の容姿は、この短時間で様変わりしている。


 白が混じっていた茶色の髪は豊かな白金に。優雅さと高貴さを兼ね備えた知性の溢れる瞳は、時を閉じ込めた琥珀の色に。顔の部位パーツは似ていないのに、纏う雰囲気はどこかさっきまで立っていた姫に似ている。


「このような形での対面という無礼をお許し願いたい」


 目を見開くアクアエリア王家二人に、真の姿を晒したフローライト王、サエザル・イーヴォ・フローライトは穏やかな声で呼び掛けた。



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