外野の対面


 アクアエリア王城は美しい。


 外から見ても美しいのだが、内装もそれに勝るとも劣らない美しさがある。


 東方の城造りを継承しながらも、材質は西方風の石造り。大きく取られた硝子窓は細かく配された水路から反射光を取り入れられるように厳密に計算されている。水面を介する事で面紗ヴェールのように編まれた光は色がなくてももちろん美しいが、夕刻の淡い赤色がこの上もなく美しいと評判だ。国王が重要な来賓をもてなす『水光の間』は、その光の面紗が一際美しく天井に映る事で知られていた。


「……我が息子よ」


 そんな天井を見上げてせっかく現実逃避に走っていたというのに、不粋な声がそれを邪魔した。


 いや、きっと相手もイーゼと同じように現実逃避に走っていたのだろう。首の角度と向きが一緒だし、何よりその声に覇気がない。


「何でしょう、父上」

「ハイトは、一体どこへ行ってしまったのだろうな」

「さぁ……?」


 完璧に整えられた部屋。正装姿で待機するアクアエリア国王とその息子である第一王子。


 会場は完璧なのだ。今すぐ事を始めてもいいくらいに。


 唯一最大の欠点を言えば、この場の主役であるはずの第二王子が、昨日から行方不明である事だけだろうか。


「欠点どころか、もはや崩壊点だからね。お前がいなくてどうやって婚約式の御相手をもてなせって言うんだよ、ハイト」


 天井を見上げたまま、イーゼは溜め息に乗せて呟いた。その呟きを受けて王が頭を掻きむしる。『そんな事をしたら、悩みの種である薄毛が進行すると思いますよ』という言葉をイーゼは苦労して呑み込んだ。


 本人は気にしているが、実際問題、父の毛根はまだまだ健在だ。本格的に危うくなっても、妻でありイーゼの母であるきさきが何らかの手を打つから、余程の負荷ストレスが掛からない限り大丈夫だと思われる。


「父上、そんなに掻きむしると、折角乗せてもらった冠がずり落ちますよ」


 だからイーゼは別の言葉を口にした。そんなイーゼを王は呆れた目で見上げてくる。


「よくそんなに呑気に構えていられるな、イーゼ。私は胃に穴が開きそうだ」

「父上はこんな事で狼狽えるようなタマじゃないでしょうが。大体、胃に穴が開きそうになったら、母上が秘薬でも劇薬でも何でも使って助けてくれますって。安心して激務に身を投じて下さって構いませんよ」

「……お前のそういう所、ほんっとうにリゼに良く似ているよ」

「息子ですからね」


 しれっと答えて、首の角度を下げる。水光の間に二人以外の姿はない。だがもうそろそろ、先程王城入りしたフローライトの王女がここへ挨拶に来るはずだ。主役の一人であるはずのハイトがいない、この部屋へ。


「そういえばイーゼ、結局あの暗号文は解読出来たのか?」


 確認出来る範囲内での情報ではあるが、ハイトが行方不明になったのは、恐らく昨日の朝から昼にかけて。朝の鍛練の時と国議の席で姿が目撃されているから、その時までは確実に王城にいたはずだ。


 その後に行われていた婚約式に向けての衣装合わせの席に腹心二人がいて、その二人はハイトを呼びに行くために一時的に席を外した。その流れから考えるに、ハイトはきちんと衣装合わせには参加するつもりだったのだ。だが結局、ハイトも腹心二人も衣装合わせの席には戻ってこなかった。以降、三人揃って仲良く行方不明だ。つまり衣装合わせが行われていた最中に、何らかの事情で城を出たという流れが一番自然なのではないだろうか。


 だが一行が纏まって行動していると考えると矛盾する情報もある。それが伝書鳩を使って運ばれてきた、ハイトからの手紙だった。宛名がリーフェになっている事から考えると、城の外に出たハイトは腹心達がまだ城にいると思っている。行動をともにしていると仮定するならば、矛盾する思考だ。


 すなわち、ハイトが先に城を出て、それに気付いた腹心二人が続いて城を出た。だがハイトはそれを知らない。つまりこの行動は予め計画されていた物ではなかった。不慮の事故のような物ではなかったのだろうか。


 だがその『不慮の事故』が何であるのかがサッパリ分からない。


 ハイトは決して馬鹿でもなければひ弱でもない。それ所か事あるごとに容赦なく繰り出される掌底のキレからも分かるように、武術の腕前は並み以上だ。おまけにハイトには水龍シェーリンが憑いている。何かあれば水龍が黙っているはずがない。


 だからハイトがそう簡単に何かに巻き込まれるとも考えられない。それを読み解くヒントになるのが、リーフェ宛に送られてきた手紙なのだろうが……


「いえ、それがサッパリ。我が弟ながら、絵心のなさ加減に仰天している所です」


 ハイトはどうやら、他に知られるとマズイ事情を抱えてしまったらしい。万が一他の人間の目に触れても簡単には分からないように、ハイトの手紙は文ではなく絵で書かれていた。


 どの国の芸術家に見せても首を傾げられるような、前衛的すぎて壊滅的な芸術感性アートセンスの絵で。


「リフェルダやマイストは、あれを理解出来るのだろうか」

「理解出来ると踏んだから、あえて絵手紙にしてきたんじゃないですか?」


 ハイトは自分に絵画能力が壊滅的にない事を自覚しているはずだ。だから余程の事では絵を描こうとはしないし、その事を腹心二人だって事あるごとにからかって遊んでいる。


 だからハイトは、余程秘匿したい内容を手紙に書いて寄越したのだ。それだけ秘匿しなければならない情報というのは、それだけ重要な情報であるという事。確実に伝わらなければ、手紙を飛ばしてきた意味がない。


 イーゼの言葉に含まれた意味が分かったのだろう。王は感嘆の息を吐いた。


「いつもの事ながら、あの三人の絆には感心させられてしまうな」

「そうやって一致団結しなければこの王城で生き残れないような目に遭って来たという証拠ですよ」


 なるべく軽い口調で父の言葉に答えたつもりだった。だが案の定、父の表情が痛みを堪えるかのように沈む。


「……まぁ、ハイトの人徳というのもあると思いますけどね」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る