6.

 サラは挑みかかるようにリーフェを見据えた。淡い色を宿すリーフェの瞳がスッと細められ、内心を見透かそうとするかのようにひたとサラへ据えられる。


 普段は隠れているリーフェの瞳が見えているのは、何だか不思議な気分だった。それと同時にサラは、ハイトの瞳がこの色を宿した時のことを思い出す。


 ――同じアクアマリンの瞳でも、微妙に色合いが違うのよね


 リーフェの瞳は、澄んでいながらもどこか影がある。表層のアクアマリンが、奥に凝ったドロリとした影を封じ込めているように見えた。


 対してハイトの瞳の中に閉じ込められていたのは、意志の強さを受けて煌めく光だった。その違いが陰影を生み出し、わずかな差異を作り出しているのかもしれない。


「……三百から五百って所じゃないかな。何を目的に組まれた行列であるか、というのも関わってくると思うけど。数も重要だけど、装備にも気を配った方がいいだろうね」


 サラの瞳を見据えたまま答えを導き出したリーフェが、サラの視線を受けて立つかのように言葉を返す。サラの瞳をそのまま写し取ったかのように挑発的な視線の中には『君はそれを成す事が本当に出来るの?』という問いが含まれていた。


「……三百なら、できると思うわ。供揃えとして、何が必要なの?」


 サラはあえて不躾な視線を咎めることなく正面から受け返した。だがリーフェの視線は緩まない。


「サラは馬車に乗ってもらう。王女が乗っていると一目で分かる頭数立ての馬車にね。それとは別に、お付きの者が乗る馬車が数台。騎馬隊と旗、武具、それに歩兵が最低条件だ。それだけの規模を、王宮から視認出来る範囲に入る前から展開し続ける事になる」


 失敗は許されない。


 チャンスは一度だけ。


 試しもできない、真実一発勝負。


 サラがフローライトに伝わる虚像兵を応用して行列を仕立てようと考えていることに、リーフェはすでに気付いている。博識なリーフェのことだ。虚像兵がどのように創り出されているのかも知っていることだろう。


 その知識の上に立って判断した時に、リーフェはサラの力ではこの規模の展開は無理だと判じたはずだ。数でこそ虚像兵の隊列よりずっと少ないが、今回の行列にはそれ以上の精巧さが求められる。一体一体を細かく創り上げなければならないために、創造主であるサラへの負担は嫌でも重くなる。それこそ詞梟ミネバの手厚い加護と力がなければ身がもたないほどに。


「俺達にとって、ハイトは何よりも大切だ。無二の主だからな」


 不意に、今まで沈黙していたヴォルトが口を開いた。


「俺達はハイトのためなら何だって利用する心積もりでいる。それがどれだけ後ろ暗く血に濡れていようとも、ハイトがそんな手を求めていなかろうとも。俺達にとっては、ハイトが健やかに平穏な日々を送れる事が何よりも大切だから。だから、サラが無理をして潰れようともハイトを救出できりゃあいいという考えが胸の内にないわけじゃない。正直に言っちまうならな。だが」


 ヴォルトは今まで伏せていた瞳を上げた。常に何かしらの笑みを浮かべていた瞳から、笑みがかき消える。


「サラが潰れたら、ハイトは悲しむ。ハイトは、サラをそんな目には遭わせたくはないはずだからな。その発端が自分にあると知ってしまったら、ハイトは心に再起不能な傷を負う。俺達は、そんな事態も歓迎出来ない」


 淡々と紡がれる言葉は、ハイトを思って紡がれたものであるのに、なぜかサラを案じる色も帯びていた。


 二人がハイトのために強い覚悟を持っていることをサラは知っている。その覚悟のためならばどんな手を使うことも厭わないということも。


 だがそんな二人の一歩内側へ、自分がいつの間にか踏み込んでいたことに、サラは気付いていなかった。少なくとも二人は、サラを潰してまでハイトを助けることをよしとはしていない。サラの身を案じているのだと、二人は遠回しに言ってきたのだ。そのことにサラは驚いていた。


「……リーヴェクロイツ王が、どうして裏から手を回したか、分かる? 自分が後ろめたいことをしているという自覚があったからよ。光の下に今回の所業がさらされれば、非難されるのは自分の方だと理解していたからだわ」


 その心が、嬉しかった。少なくとも二人は、サラがハイトに必要な人間だと、自分達に一歩近しい人間であると思ってくれている。


 だからこそ、その心に報いたいと、強く思った。


「同じ裏ルートを辿れば、先手は向こうに取られていて、数でも策でもこちらが負けている。だからこういう時こそ、真正面から殴り込みにいくべきなのよ。正面から叩きつけた挑戦状を無闇に突き返せば、周囲は何か後ろめたい所があるんじゃないかとリーヴェクロイツを疑う。リーヴェクロイツ側は、一度は必ず門を開かなくてはならない」


 彼を思い出す時に真っ先に脳裏に浮かぶのは、しなやかな背中と光をはじく瞳だった。それだけ自分がこの短い間にハイトにかばわれ続けてきたのだと知った。


「そのチャンスを作ることは、私にしかできない」


 彼の隣に、胸を張って立つことができるように。


 かばわれる後ろではなくて、助け合える場所にいられるように。


 背に負わせる荷物ではなく、重みを分かち合えるパートナーであれるように。


「大変なことだって、誰よりも私が分かっているわ。だけど、やらせてほしいの。みんなの足を引っ張るつもりはないわ」


 サラの言葉を、リーフェもヴォルトも真剣な表情で聞き入っていた。二人ともが胸中でサラの言葉を吟味しているのが分かる。


 重い沈黙はカーテンのように一行を包み込む。


「……そう」


 だが垂れ込めた空気は、長くは続かなかった。


 ふぅ、と小さく息をついたリーフェが不意に席を立つ。何事かと視線で動きを追うと、リーフェはトレーにティーセットを乗せて席に戻ってきた。


 トレーをテーブルの上に置いたリーフェは、ヒョイッとポットをキャサリンへ放る。中にはすでに水が入っているのか、何気なく受け取ったキャサリンは慌てて腕に力を込めた。


「リーフェ様、何を……」

「お湯沸かして」

「はい?」

「喉乾いた。だから、お湯沸かして」


 唐突な行動に首を傾げながらも、キャサリンはポットを抱えたまま隣室へ一旦下がった。あっちの部屋にお湯を沸かせるような火元があったかしら? と首を傾げるサラの前で、リーフェはどこからともなく茶筒を取り出して蓋を開く。フワリと鼻先をかすめた香りは、サラには馴染みのないものだった。


「お前、わざわざ茶葉持ち歩いてんのか?」


 だがヴォルトにとってその香りは馴染みのものであったらしい。リーフェの手元を覗き込んだヴォルトの表情が驚きに染まる。


「考え事をする時のお供はこれが一番いいんだ。一息吐けるように、少しだけ持ち歩いてる。茶葉じゃなくて粉茶だけどね」


 茶筒を右手に、蓋を左手に持ったリーフェはコンコンッと小気味いい音を立てながら茶筒の中身を少しずつひっくり返した蓋の中へ入れていく。少しのびあがってリーフェの手元をのぞくと、蓋の中には鮮やかな緑色の粉がこぼれ落ちていた。突然現れた馴染みのない物にサラはさらに首を傾げる。


「お待たせ致しました。こんな感じでいかがでしょうか?」


 リーフェはその中身をティースプーンで少しずつすくっては人数分用意したティーカップに均等に分けていく。


 その作業が終わり、ティースプーンがトレーに置かれ、茶筒の蓋が戻された時、隣の部屋からキャサリンが戻ってきた。キャサリンの手の中にあるポットからはやわらかく湯気が上がっている。


「ん。ありがとう」


 キャサリンからポットを受け取ったリーフェは、ポットの蓋に指を添えながらそれぞれのティーカップに丁寧にお湯を注ぎ入れた。その瞬間、リーフェの手元から爽やかな香りが広がる。


「アクアエリアでは、戦陣での束の間の休息に茶を振る舞うっていう習慣があるんだ。気分を入れ替えて、次の戦に備えるためにね。軍議の間の休憩とかにも茶が供される。そのお茶を入れるのは、王や将軍の側近、参謀の立場ポジションにある者の仕事っていうのが暗黙の了解なんだ。だから要人の側近にはお茶の知識が必要とされる。まぁ一種の為心ステータスみたいな物かな」


 マドラーでそれぞれのカップをかき混ぜながらリーフェが誰にともなく説明を始める。突然始まった講釈をサラは大人しく拝聴した。サラの傍らに控えたキャサリンもサラと同じような表情をしている。唯一、アクアエリア将軍であるヴォルトだけがリーフェの言わんとする所を察したのか、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「だからハイトの側近であり参謀である僕が、今その役を務めるべきかと思って」


 はい、どうぞ、とリーフェがカップの一つをサラに渡す。リーフェは同じようにキャサリンにもティーカップを渡した。あらかじめ意図を察していたヴォルトは、自分の分だけ勝手にカップを持っていっている。


「サラには馴染みのない習慣だと思うし、緑茶にも馴染みがないと思うけど。まぁ、景気付けだと思って付き合ってよ」


 そう言ってリーフェは乾杯の仕草をするかのように自分のティーカップを目の高さまで掲げる。


 その時になってようやくサラは、リーフェがサラの発案に乗ってくれるつもりなのだと気付いた。


 これはリーフェなりの、サラに対する叱咤激励なのだ。


「さあ、未来の我らが妃殿下、音頭をどうぞ」


 その言葉にヴォルトとキャサリンもリーフェを真似てティーカップを掲げる。


 サラもそれに倣いながら、何という言葉を上げるべきなのかわずかに逡巡した。リーフェは特に作法に対して何も言ってこないから、サラが好きな言葉を乾杯の音頭として口にすればいいのだろうか。


 言葉は、願いであり、決意だ。


 言葉を操る国の姫として、言霊と呼ばれるものを扱うに長けた者として、ここで何と言うべきなのかとサラは迷う。


「……我らの勝利に」


 だが結局、思考が答えを見つけ出すよりも、唇が勝手に言葉を紡ぐ方が早い。


「我らの勝利に」


 力強く紡がれた言葉に、三つの声が重なる。


 口に含んだ緑茶は、喉を潤すとともに苦い空気も押し流していった。






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