4.

「……それで、意識が戻った時、キャサリンはリーフェと何となく会話をしていたのね?」


 サラは痛むこめかみを指先で揉みほぐしながら唇を開いた。ソファーの上に正座をした腹心のメイドは、伸ばした木槌の柄を両手で握り締めたまましおしおとうな垂れている。


「自分がその間に着替えていた記憶が何となくあったから、何となくリーフェを攻撃してしまった、と。それで当っているかしら、キャサリン」

「いいえ、攻撃したのは何となくではありません。明確な意志をもってりにいきました」

「余計に悪いわよっ!! リーフェは敵じゃないって、今はきちんと理解しているのでしょうっ!?」

「姫様、淑女の着替えをのぞく男なんて、敵味方問わずに抹殺対象であると思いませんか?」

「まぁ……そりゃあそうかもしれないけど……」

「ちょっとサラ、何キャサリンに丸め込まれてるのさ?」


 対するリーフェはキャサリンとの間にヴォルトを挟んで憮然とした顔をしている。左胸をさすっている右手は無意識のものだろう。キャサリンのハンマーを受けたというのによく生きていられたものだとサラは心の内だけで感心する。口に出せば新たな火の粉が生まれることは明白だから、あくまで呟くのは胸の内でだけだ。


「あのね女中メイドさん、寝惚けるならもうちょっと周囲を慮った寝惚け方をしてよね。僕はこれでも一応、気を使った方なんだからね」


 だというのにリーフェは火に油を注ぐようなことを口にする。グッタリとソファーに身を投げ出したリーフェの口調はどこまでも投げやりだ。そんなリーフェに向かってギンッとキャサリンの視線が飛ぶ。


 二人が吹き飛ばされたドアとともにこの部屋へ転がり込んできたのはもう三十分近く前のことだ。木っ端微塵に吹き飛ばされたドアとともに水塊がうねり、その隙間を縫って一条の光と化したハンマーが飛び交う様は衝撃的としか言い表せない代物だった。一瞬ここはどこの戦場だっただろうかと身構えたくらいだ。そのあまりの衝撃に自分がヴォルトと何をどこまで話し合ったか忘れてしまったサラである。


「淑女の着替え見物のどこに気を遣ったのか、教えていただけると嬉しいのですが……?」

「男性側から着る物を差し出すのって、無言の裡に『衣服を改めろ』って言ってる物だと思うけど? それとも何? はっきりと口に出して言った方が良かったわけ?」


 サラの気遣いを思いっきり無視して二人の言葉はさらに険を増していく。キャサリンからは周囲を窒息させそうな殺気が醸し出され、リーフェの周囲にはうっすらと燐光が舞い始めていた。キリッと握りしめられたハンマーとさりげなく構えられた指先が矛を交わすのは時間の問題だ。


 ……いや、『矛を交わす』と言っても、どちらも武器は矛ではないのだが。むしろ刃物でさえないのだが。だが刃物以上に双方の得物が危険であるとは一体どういうことなのだろうか。


「はーいはいはい、お二人さん、じゃれ合うのはそこまでな。話が進まねぇだろ。これ以上やるってんなら、二人ともここから追い出すぜ」


 そんな空気を払拭したのは、険悪な二人の間に挟まれるようにして座ったヴォルトだった。ハイトやサラなら窒息していそうな空気のただ中にいるというのに、二人をさりげなく引き離すヴォルトの態度は余裕にあふれている。口許にはほのかな笑みさえたたえられていた。


「今は時間が惜しい。そういう事は、後でやってくれねぇか?」


 だがその笑みの後ろには、隠しきれない覇気のようなものが見え隠れしていた。


 三人の中で一番武術に長けているのはもちろんヴォルトだ。事実、乱戦状態で転がり込んできた二人を、ヴォルトは一人であっさりと鎮圧して席に着かせている。二人まとめて放り出すことなど、ヴォルトが本気になれば簡単にできるのだろう。


「チッ!!」

「別に僕は戯れてるつもりもないけどね」


 頭に血が上っていても、二人ともそのことは分かっているのだろう。舌打ちをしたキャサリンと負け惜しみを口にしたリーフェがほぼ同時にそっぽを向く。


 そんな二人を横目で眺めたヴォルトはうっすらと笑みを浮かべた。その様は弟妹の面倒を見る兄のようで、思わずサラも苦笑を浮かべてしまう。


「で、サラ。二人も揃った事だし、状況をもう一度整理してみようか」


 だがそんな場合ではなかったと、ヴォルトの言葉を受けたサラは現実へ立ち返った。


「そうね、二人にも聞いてもらえれば、見落としが見つかるかもしれないわ」


 自身の気持ちを切り換えるために言葉を紡ぐと、キャサリンとリーフェの視線がサラへ向けられた。その顔に先ほどまでの子供じみた表情はない。一瞬で臣下の顔に戻った二人が真剣な瞳をサラへ向ける。


「リーヴェクロイツ王の目的は、コレクションとしてハイトを手に入れること。そのために相手は国軍を動かし、アクアエリア王城にまで潜入させた。ここまではいいかしら?」


 改めて言葉にしてみると、本当に突拍子もないことだと思う。


 ハイトは仮にもアクアエリア王家の血を引くれっきとした王族だ。それをリーヴェクロイツ王は、最初から力ずくで自分の元へ連れ帰る算段を立てている。恐らく侵入者が残していった『身代金一億リラ』という手紙は、リーヴェクロイツ王なりの買い取り金額の提示だったのではないだろうか。仮に一億リラを本当に用意したところで返すつもりなどないのだろうから、ブラックジョークとでも言うべきか。どちらかと言えば怪盗が犯行現場にあえて自分の名前の入ったカードを残す感覚に近いのかもしれない。


 事が露見すればリーヴェクロイツとアクアエリア間で国際問題になるのは必定。それが分からないリーヴェクロイツ王ではないはずだ。それなのになぜあえてリーヴェクロイツとの関わりをにおわせるような物を残していったのか、その感覚がサラには分からない。


 露見してもシラを切るつもりなのか、露見することはないと思っているのか。それとも……


 ――もしも『露見した所でアクアエリア側が動くことはない』と踏んでいるなら、ハイトに対して失礼だわ!!


 その可能性を思い、サラはキュッと拳を握りしめた。


 アクアエリア第二王子であるハイトが王族としての力をほぼ失っているということは、周知の事実として周辺各国にも知れ渡っている。そんな王子がどうにかなったところで国が動くわけがないと踏んで今回の事を企てたというならば、それはハイトだけではなく、ハイトのことを大切に思っている周囲の人に対しても失礼だ。


 ――そんなヤツの思い通りになんてさせないんだからっ!!






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