畳み掛けるように続ければ、ハイトの気迫に押されたかのようにアドリアーナの瞳が揺らいだ。リーフェを締め上げる鞭の拘束がわずかに緩む。


「リーフェッ!! お前も動くなっ!!」


 その隙を逃さずハイトは叫んだ。わずかに動く余裕が生まれた指先で『水繰』を使おうとしていたリーフェがビクリと体を震わせる。


「突っぱねてる水龍シェーリンの力を今すぐ受け入れるんだっ!! 俺が一体何のために水龍に我が儘言ってお前に憑いてもらってると思ってるっ!? 無闇に命を削ろうとするなっ!! ヴォルト、お前もだっ!!」


 火を噴くような勢いで叫べば、反射的にヴォルトも動きを止める。


 ハイトを見たヴォルトの目には苦渋の色があった。


「ハイト……っ!!」

「つべこべ言うなっ!! 俺の腕が吹っ飛んでもいいのかっ!?」


 キリッと歯を噛み締めたヴォルトが構えた長刀の切っ先を流す。その様子に緊張が緩んだのか、相対していた男がガクリとその場に膝を着いた。今なら突破出来ると目線でハイトに訴えかけるヴォルトに、ハイトは重ねて首を横へ振る。


「リーヴェクロイツ王も、その鞭を引いて頂こうか」


 ハイトの言葉は静かだった。だが含まれた圧は先程よりもはるかに強い。


 それを感じ取ったのか、アドリアーナはわずかに瞳をすがめた。だが言葉で反論する事なく、大人しく『地繰クロイティーディ』の力を解除する。解放されたリーフェの体が傾ぎ、バルコニーの手摺りに身を投げ出すようにして崩れ落ちた。


「さて、事態は貴殿が望む硬直状態になったわけだが、貴殿はこれからどうするつもりだ? 国境沿いとはいえ、ここはリーヴェクロイツ領。重傷人を引きずりながらあの大河を渡るのは難儀であろうな。このまま逃げ出せるとは思えぬが」


 アドリアーナは投げ遣りに呟く。場の支配権がハイトに移った事が不満なのか、ハイトの思考が読めない事が不満なのかは分からない。そっぽを向くアドリアーナの表情は、幼子が不貞腐れた様に似ていた。


「……」


 腕に当てていた銃口を外し、ダラリと体の横へ垂らしながら、ハイトはリーフェへ視線を投げた。もはや息を継ぐのがやっとという状態のリーフェは、ハイトへすがるような目を向けている。その瞳の色は、見慣れた藍玉の色に戻っていた。次いでヴォルトに視線を向ければ、ヴォルトもリーフェと似た表情を浮かべてハイトを見詰めている。


 そんな二人の視線を一身に受け、ハイトは少しだけ笑ってしまった。


 ――お前ら、どうしてこんな時だけそんなに分かりやすいんだよ


 呟きは内心だけで留めて、手の中に握り締めていた銃を数歩前の地面に放り投げる。改めてアドリアーナを見上げたハイトは、一つ深呼吸をしてから言葉を紡いだ。


「貴殿の招きを受けようか、リーヴェクロイツ王」

「……なに?」

「貴殿の招きに従い、リーヴェクロイツ王宮へ行くと言ったんだ」


 ハイトがその選択をすると分かっていたのだろう。リーフェとヴォルトから批難の声が上がる事はなかった。だがその代わりに二人が歯を喰いしばって必死に激情を圧し殺しているのだという事は、二人の表情を見れば分かった。


「俺一人が従えば、貴殿は満足なんだろう? だから他の者はここに置いていく。貴殿の言う通り、重傷人を連れては行けないからな」


 それでも、この選択を曲げる事は出来ない。これ以外の選択肢は、今以上に血を流す。


「おお…! おお!! 我が元へ来てくれるのか!? ハイトリーリン殿下っ!!」


 ハイトの言葉の意味が分かったのか、アドリアーナの顔がパッと明るくなった。熱に潤む瞳は、もはやハイト以外は映していない。その熱狂ぶりにゾワリと背筋に怖気おぞけが走ったが、ハイトはその内心を綺麗に押し隠して優雅な笑みを浮かべてみせた。その笑みを肯定と受け取ったのか、アドリアーナの顔がさらに上気する。


「それならば是非もない。さぁさぁこちらへ!!」


 黒い燐光が舞い、バルコニーが姿を崩して中庭と二階を繋ぐ石段が創られた。そのきざはしが自分に向かって伸びてくるのを眺めながら、ハイトはさりげなく手首を回す。


 人差し指を伸ばして一回転、さらに中指を添えて一回転、最後に全ての指を伸ばして二回転。銃に痺れた右手を解すかのように動かしながら石段へ足を掛ける。


「『地繰クロイティーディ』を使って王宮まで一気に進める道を創るでな! 王宮までは一日とかからず着くことができよう! まずは湯あみで旅塵を落とし、貴殿にふさわしい衣装へ改めていただこう。なに、全ては用意してあるでな! 全て私に任せておくれっ!!」


 トンッと軽やかにバルコニーへ降り立ちながら、ハイトはリーフェへ視線を向けた。


 必死に息をつくリーフェが、視線だけで『諾』と答える。下のヴォルトの様子は確かめてこなかったが、ヴォルトにも同じようにハイトの意志は伝わっているだろう。


 ハイトは振り返ることなく、アドリアーナの後に続いて建物の中へ入った。


「ハイト……っ!!」


 最後の最後にか細い悲鳴が聞こえたような気がしたが、それに振り返る事も、答える事も、ハイトには出来なかった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る